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ゴジラの記憶 #29「シン・ゴジラ」

「FINAL・WARS」でゴジラシリーズが幕引きされて12年。もう日本でゴジラの新作は作られないかも?と思っていたらこれである。しかも総監督は庵野秀明氏。これはよく観たなぁ。公開時に3回。地元の名画座で1回。配信になってからはいちいち数は数えていないが、2~3回は観ている。で、そうこうする間に「ゴジラ-1.0」までが配信されてしまい、当分は配信され続けることだろう。本当に、根強い人気であるんだけど、それまで日本ではオワコンか?と思っていたゴジラがこの映画のヒットにより復活したのが嬉しい。考えてみれば、「-1.0」もこの映画あってのことだしねぇ。

お分かりのようにこの映画、長谷川博己、石原さとみ、竹野内豊の主役3人の他に「平成の根こそぎ動員」と言っていいほど大量の役者たちが出てくる。この映画撮影期間中は、他の現場でバイプレイヤー不足に悩んだとか悩んでないとか言うほどのもので、まあ庵野さんは岡本喜八氏の「日本のいちばん長い日」を」お手本にしたというし、基本的に群像劇である怪獣映画は、バイプレイヤー達の活躍の場が多いものである。であるがしかし。

この映画には特撮シリーズで強烈な印象を残した人たちが出ていないか、出ていても全く違うキャラで出ている。例えば渡辺哲という役者さんがいる。この人はその風貌も相まって、平成ゴジラ・平成ガメラ・ミレニアムゴジラで戦車隊長役を務めたという稀有な経歴の持ち主だが、「シン・ゴジラ」では閣僚の一人として出演している。例えば手塚とおる。平成ガメラシリーズでのエキセントリックなゲームデザイナーの印象が強烈で、以来、ドラマや映画でも変わった人役が多かったような気がするが、「シン・ゴジラ」では小心な文部科学大臣である。まあ、年齢的なものもあるとは思うけど(2016年時点の柄本明にゴジラVSスペースゴジラでやったような役をやれと言っても無理だろうし)、私はそこに、従来の特撮映画からは距離を置こうとする庵野総監督の"意志”みたいなものを感じてしまうのである。

それが何より証拠には、芸能界きってのゴジラファンとして知られ、自身も数本映画に出ている佐野史郎などは今回お呼びがかかってない。ゴジラ映画が庵野氏の手により再開されるのを聞いてスケジュールを空けてオファーを待っていたらしいのに、である。また話はゴジラシリーズにとどまらずこういう映画ならどこかに出ていてもおかしくない本田博太郎と蛍雪次郎の両名の名前もない。怪獣ファンが観たら、どうしたって平成ガメラの斎藤審議官と大迫刑事を思い出してしまうから、なのであろうか?

勿論これらは部外者の単なる思い込みで、単純にスケジュールが合わなかったせいなのかもしれない。でも偶然にしては、余りに注意深く特撮色を避けているな、と思うのだ。私の妄想が多少の真実は含んでいるとして、とにかく一般映画ファンが観て面白いものを作ろう、という思いはあったのではないか。いずれにせよ、この映画から作り手がゴジラに遠慮しないようになった。エンタメのいちパーツとして客観的に観ることができるようになったのは大きい事だと私は思う。そしてその思いは「ゴジラ-1.0」の本家アカデミー賞受賞として結実したのである。

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