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ゴジラの記憶#2 「ゴジラの逆襲」


ボンネットバス、冷凍ゴジラ、そして宴会(笑)

初めての視聴は多分小5(1971年)ぐらい。媒体はテレビ。当時は野球中継が雨で中止になったときの代替番組や子供が家にいる夏冬休みの昼間。そして、日曜日の午後などに突然怪獣映画が放送されることがあり、「ゴジラの逆襲」はおそらく日曜午後のパターンだったんじゃないだろうか。

当時我が家のテレビは既にカラー化されていたので、モノクロのこの作品は、ことさら古く見えてしまった。初の対決怪獣として登場したアンギラスのいかつい外見はなかなか強そうだったのに、案外あっさりやられてしまったのは、やはり飛び道具が有る無しの差だったのでしょうか?ただし、撮影の時フィルムの回転数を間違えたのをそのまま使ったと言われるゴジラとアンギラスの格闘は、ガチ野生動物の戦いのような剣呑さにあふれているし、セットや合成の技術も、第1作から間もなかったはずなのに格段に進化している。ラストでゴジラを閉じ込める氷の質感も製氷機で作ったとは思えないほどである。ただ、劇中、どうみても戦闘機が後ろ向きに飛んでるようにしか見えないシーンがあるんだけど、あれは一体何なのだろうか???

そして、この映画については、昔田舎を走っていたようなボンネット型のバスの記憶が何故か残っている(第1作ゴジラの大戸島陳情団のバスは全然覚えてなかったのに)。どうしてかなあと思いながら20年後に再見すると、それはバスではなく囚人護送車だった。光に過敏なゴジラを刺激しないために灯火管制が敷かれた大阪で、護送車から囚人が逃げ出し、通りすがりのタンクローリーを奪って(これもボンネット型)逃走中、運転を誤ってガスタンクに激突、爆発炎上がゴジラに見つかって、折角の「灯火管制&照明弾でおびき寄せ」作戦が水の泡。いや、こうして改めて文章で書くとなかなか凄い展開である。

しかも、この映画、北海道に異動した主人公の歓迎会の場面が中盤ぐらいで延々と描かれる(と、言っても実際に計ると3分ぐらいのものだったけどやっぱり長いか)。そこで偶々再開した軍隊時代の上官が自衛隊の航空隊長で、戦友会も兼ねて盛り上がってるところにゴジラ出現の報が入り、主人公たちも連れて行ってくれと志願するって、オイオイ、そんなボランティアありなん?と。そらまあ、英語の”volunteer”には「志願兵」の意味もあるけどさあ。

しかし、これはある意味「怪獣映画」の事情が非常に分かりやすく出ていると思うのですよ。後のゴジラやガメラの如く擬人化した意思を持つまでは、怪獣というのは人間の思惑などに関係なく、ただ動き、暴れまわる存在だった。だから、それを映画のストーリーの中に落とし込むには人間の方が怪獣の都合に合わせて動くしかない。これは、最近のハリウッド版ゴジラでも変わることがなく、だからこそ怪獣映画の登場人物には怪獣と戦う軍人、怪獣を調べる科学者、怪獣を伝えるジャーナリストが多く出てくる。要は、怪獣に合わせて動かしやすく、クライマックスで怪獣のそばにいても不自然ではないからなのだ。

「ゴジラの逆襲」は、第1作目の望外の大ヒットを受けて急遽制作が決まり、3ヵ月ぐらいで撮られたらしい。しかも、本多猪四郎監督は既に別の撮影に入っており、小田基義監督が起用された。そういうことで、限られた予算と納期に間に合わすこと最優先した結果、怪獣映画の「原理」のようなものが剥き出しの形で表れてしまったのではないだろうか。この時点では、ゴジラ自体がここまで長く続くキャラクターになるとは誰も思ってなかったろうし、「怪獣映画」というジャンル自体がまだ確立してない頃である。そうした試行錯誤のあとを確認するつもりで観ると、なかなか味わい深い作品だと思う。

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