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ゴジラの記憶#23 「ゴジラ2000 ミレニアム」

前回「ゴジラVSデストロイア」から約4年。「ミレニアム・シリーズ」第1作である。この映画も当然劇場で観たんだけど、この頃はまだ東宝の系列館であっていた。この次の「ゴジラ×メガギラス」からはシネコンで観たので、この「ゴジラ2000 ミレニアム」がシネコン以外で観た最後のゴジラ封切り映画となる。

大体、新シリーズの第1作は、それまでのシリーズの流れはリセットされるのだが、この頃のゴジラシリーズの場合、初代ゴジラの世界観はそのままに、それ以降を「なかったことにする」のが特徴である。特に、ミレニアム・シリーズの場合、1作ごとにそれをやっていて、「機龍シリーズ」の2作品を除き、作品毎にストーリーの関連性はない。でも、原点が初代ゴジラであることには変わりないのであって、必然的に作り手がゴジラという存在をどう考えているか、「ゴジラとは何か」を色濃く感じさせる作品になっている。いわば、ミレニアム・シリーズは「ゴジラ論映画」の側面も持っていたのじゃないかと思う。

そういう意味では、この映画の導入部、根室という地方都市を襲うゴジラ、リアル志向のためのゴジラのサイズダウン、ゴジラによる災害を事前に予知するためのNPOの存在などは、「おおっ、そうきたか」と思ったものである。しかし、映画が進むにつれ、UFOが出てきたり、謎の宇宙怪獣が出てきたりして「なんじゃこりゃ!?」という感じになった。いや、最初からそういう映画だという気構えがあれば、こっちもその気で観ることができたんだけど、そうやなかったもんねぇ。なまじ前半のリアル路線の出来が良かったので余計そう思ったのかもしれない。

これはやっぱりあれだろうか。興行的に敵怪獣を出さなということになったんだろうか。だとすると、その目論見は見事に外れたと言わざるをえないどろう。この4年の間に、怪獣やゴジラは、子ども向けコンテンツの主流から完全に外れていた。子どもが観に行きたいと言わなければ親も観に行かない。そこらへんの、作り手と受け手の意識のズレがこのシリーズの運命に大きく影響してしまったと思う。「ゴジラ論映画」としての面も持っているだけあって、作る側はゴジラに対して並々ならぬ思いをもっているのは確かに伝わるんだけど、「ゴジラだよ。分かるでしょ。」だけじゃ子どもは動かないのである。

なら、いっそ思い切って現在みたいに一般映画の方に舵を切ればとは思うけど、諸般の事情でファミリー向け正月映画という線は外せなかったのだろう。次次作から「とっとこハム太郎」の併映も始まる等、ゴジラ映画を巡る状況は、段々厳しさをましていくのであった。


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