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25年前に住んでいたエリアを歩く

えーっと、ここに住んでいたのが1996年で今は2022年だから、16年前か。あれ?もしかして、もう26年前になるのか…

20年以上も前だなんて、なんなんだ一体。

日本語の補習校に向かう子どもたちを乗り換え駅であるコットブッサートア(Kottbusser Tor)駅まで送り届け、その後に例のごとくカメラ片手に辺りを30分ほど歩いてみた。通称コッティーと呼ばれる地下鉄8番線の駅だが、ベルリンに来て二番目のWG(Wohnungsgemeinschaft:シェアルーム)があったエリアなのだ。

オラーニエン通りは当時から、メーデーになるとショーウィンドウが派手に壊されたり、警官とデモ隊が激しく衝突する「イベント」が繰り広げられるような場所だった。26年経った今でも、駅周辺のカオスっぷりはそれほど変わらない。警察官が常に常駐しているような場所なのだ。それでも当時よりは行き交う人々が大人しくなったように感じる。

お馴染みの駅前

オラーニエン通りをモーリッツ広場に向かって歩いてみる。当時あったお店もまだいくつか残っているかもしれない。せっかくなので、住んでいたアパートの様子もみてみよう。そんなことを思いながら歩を進める。

こんなところに寿司屋はなかった

オラーニエン広場を超えて裏通りを入ったところに、モスクワから来たロシア人3人組に出会った元ギャラリースペースを見つける。ギャラリーの展示会の準備を真夜中までしていた彼らと知り合いになった。それがきっかけで、モスクワくんだりまで行く羽目になってしまったのだ。

当時はギャラリーが入っていたスペース

ギャラリーから目と鼻の先に当時住んでいたアパートがあった。ここはなぜか常に表の扉が開いている。もしや、と思い扉の前に立ってみたら26年経った今でも扉は開いたままだった。

ロフト形式のだたっ広いアパート。30平米近くもあったシェアルームは130ユーロもしなかった。中庭から見える景色は当時とほとんど変わっていない。同居人がいつも大音量で流していたハードロックが聞こえてこないくらいだ。今は一体、どんな人たちが住んでいるんだろう。物音ひとつしない中庭をしばし眺める。

いつも開かれている扉

ここを毎日、出たり入ったりして語学学校に通ったり、友人とその辺りをウロウロと遅くまで徘徊していた。あの角にあったオーガニック製品を取り扱う店はまだあるのだろうか。

オーガニック製品を売るお店

あった。オーガニック製品がまだ普通のスーパーでは売られていない時から、このお店はここにあったのだから大したものだと思う。オータナティブシーンとオーガニック製品というのは相性が昔からいいのだろう。それほどここで何かを買っていた記憶はないし、お店の様子がどんなだったかなんてすっかり忘れてしまった。同居人がいつもここで買い物をしていたことを覚えているくらいだ。

逆にはっきりと覚えているのは、下の写真にある塗料屋さん。ここで同居人がよく壁に塗るペンキを買ってきては、それを塗るのを手伝っていたからだ。ふたつあったバスルームは入居してすぐ、オレンジとブルーに姿を変えた。

ディスプレイまでほぼ昔のまま

色んなお店がひしめき合っているオラーニエン通りだが、馴染みの店は思った通りかなり姿を消していた。ここにはバーもいくつかあり、昼間のこんな時間にはまだ営業していない。

ちょっと物寂しい感じがするのは、こうしたお店が閑散としている時間だったからだろうか。シャッターが降りたままの店もいくつか目についた。駅前の集合住宅にも少し開発が進んでいるかのようだ。

また今度歩くときは、オラーニエン通りを反対側に向かって歩いてみることにしよう。よく足を運んだ本屋兼ギャラリーはまだあるだろうか。どこかに入ってコーヒーくらい飲んでいってもいいかもしれない。

オラーニエン通り


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