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ベルリンで日本語の舞台を観た

よく考えてみると日本でお芝居というものを観た記憶がほとんどない。一番感動したのは中学生の時に学園祭で見た二つ上の先輩たちの演った「曽根崎心中」(?)ではなかったか。それに出ていた八島先輩は今でも劇団カムカムミニキーナ所属でタレント活動もされているのだから大したものだと思う。学園祭でもマイクをずっと握って、ひとりでしゃべりまくっていたのをよく覚えている。

さて、シアターに足を運ぶようになったのは、おそらく2000年に半年くらいモスクワでインターンをやっていた頃だったように思う。医療クリニックのアメリカ人医師がロシアの演劇のことに詳しい人だったので、何度かシアターに連れて行ってもらったのがきっかけだ。残念ながらロシア語で語られる台詞が全て理解できるほどの語学力は持ち合わせていなかったが、カリスマ性のある役者たちには驚かされたものだ。

その後、ベルリンに戻ってからも度々シアターには足を運んでいたが、正直ピンとくるものが少なかった。ドイツの演劇とは相性が悪いのだろう、くらいに思っていた。理解力が付いていかなかったのもその理由だろう。

ベルリンで本格的にシアターに足を運ぶようになったのは、ここ数年のことである。2017年にブログの方にもシアターに関する投稿をしている。

ベルリンにきたばかりのときに当時付き合いのあったドイツ人とその母親に観劇に誘われたことがあるのだが、シンプルなセットとダイアローグ(会話)が中心という構成だったため、苦行を強いられた上に感想を聞かれた際に「ドイツ語力がまだそれほどないので理解に苦しみました」と正直に伝えたところ、母親に馬鹿にされた、という記憶がある。大体、そんな劇にドイツに来てまだ日が浅い外国人を誘うという考えにどうやったら至るのか、意地悪がしたかっただけなのでは、と勘繰ったほどだ。そもそもその母親とは初対面のときから全く馬が合わなかったのである。一方で彼の父親とは家族同然のような付き合いになったのだが。

そのときのイメージが強かったのだろうか。ある程度ドイツ語が理解できるようになるまではシアターに行こう、という気持ちに全くなれなかった。インテリ風の小難しいひねくれた台詞も多い上、ストーリー性のない抽象的な展開や奇抜な演出なども好きになれずにいた理由かもしれない。

カストロフ退任が近い、ということで滑り込む感じでフォルクスビューネを訪れ、長丁場の公演を通して観たときに「あ、なるほど」と腑に落ちた。長く住むことで色々な背景がある程度は理解できるようにもなり、言葉の壁も少しは低くなってようやく自分に楽しむ余裕が生まれたことに気づいたからだ。

今回、シアター関係の友人に勧められて観たのがシャウビューネに招聘された庭劇団ペニノによる『笑顔の砦』だった。ホールに入ると波の音がして、舞台のカーテンにも白い波が描かれていた。事前に何の前知識も入れずにシアターに向かったので、カーテンが上がり舞台を目にした途端、思わず微笑んでしまった。小さな古いアパートの2部屋が並んでいたからだ。日本の小さな生活がそこには完璧に再現されていた。炊飯器からは湯気が立ち上っていて、ご飯が炊けたということを告げるメロディーまで流れた。ピロピロピローピー。

これは泣ける。舞台の初っ端からそう思った。日本の音、日本の何気ない風景、日本の生活。久しぶりに観た日本語で語られる劇は自然に自分の五感に訴えてきた。「あー、何も考えずにただただ観て感じればいいだけなんて、本当に贅沢な話だなぁ!嬉しい!」そんなことを思いながら2時間が経った。そしてとにかくよく笑った。

幸せな時間だった。

シアターを出て、ベルリンの夜の風景とのギャップを感じながら帰途についた。

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