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瘴気にやられたようだ

「ママ、トイレに落書きしても消したら消えるけど、あれは(起こったことは)もう消せないからな」

息子はこんなふうに物事をよく観察していて、非常に的を得たことをさらっと言ったりする。これだけよく理解できているのであれば安心だ。この言葉を聞きながらそんなことを思う。まだ小学生だけれど、物事の本質をわかっている方なのかもしれない。とはいえ、やはりまだ小学生なのでしょーもないことをやらかして怒られることはたびたびある。

世の中には「取り返しの付かないこと」というものが一定数存在する。何らかの形で損なわれたものは、後から謝罪したところで損なわれたままで修復ができない。そういう類のものだ。息子はそういうことをこちらが説明しなくても理解できていることになる。12歳なりの言葉で。

子どもでもわかることなのに、そういうことに気が付いていない人間もこれまた一定数存在するらしい。言ってはいけないこと、してはいけないこととそうでないこと。

それは普段の何気ない会話の中やSNSのタイムラインを眺めてみればよくわかる。まだ顔の見えているやり取りの中であれば言いにくいことでも、それが匿名性を帯びた途端に何を言ってもいい、に変容してしまったりもする。あの現象は一体なんなんだろうか。話し言葉や書き言葉の違いもあるかもしれないが、書き言葉というものはなかなか消えないものではなかったか。

そのようなことを今朝も冷めかけたコーヒーを片手にごちゃごちゃと考えていたが、途中でアホくさくなって公園に走りに行くことにした。そして、その前に日本の友人と少し話をした。

気が立っているときは楽しいことを考えるに限る。日本ではユニクロが明日からゼルダのTシャツを販売開始するらしい。もしやと思い、ドイツのサイトも確認したらやっとホームページに販売情報が反映されていた。値段は20ユーロほどなので日本のほぼ倍だがそれには目を瞑ろう。

ゼルダの伝説Tシャツ(ユニクロのサイトより)

半分冗談、半分本気で「今は地下に落ちて瘴気にやられているような状態」だという話をした。自分の中に知らずに溜まっている毒気を抜いて地上に戻らなければならない。それもできるだけ早く。ハートの数もまだまだ足りない。もっと経験を積んで力をつけなければいけないのだろう。修行が足りないのだ。

公園を走ってみたものの20分で限界がきた。昨日のマッサージが効いているのか足がとんでもなく重いのだ。止むなく数分間息を整えるためにインターバルを入れた。悔しい。走るのは好きではないが自分のコンディションが手に取るようにわかる。今日の調子はどちらかといえば最悪だった。それでもなんとか残り10分を完走できた。

地下にまっさかさまに落ちてもまだ息はあるし、毎日少しずつ力を取り戻すしかないのだ。結局のところ何があろうと、最終的には自分との戦いなのである。別に謝ってもらおうとも思わない。



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