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20070612 日付変更線(2)

 日付変更線$${^{*1}}$$はマゼラン一行が地球一周を終えて戻ってきた時に、航海日誌の日付とスペイン本国の日付とがずれていた$${^{*2}}$$ことが発端となってできた、ということが色々なところに書いてある$${^{*3}}$$。

 世界一周をしようとすると日付変更線が何となく必要な気になってくるが、現代のように通信が発達している世の中ならば船上で出港地の日付と時刻帯とを使っていれば何ら問題はない。寄港地で日付がずれていたらその場で日付をずらせば済む。

 大航海時代で未開の地がまだ沢山残っている時なら、寄港地で日付を聞いても言葉が通じなかったり$${^{*4}}$$、国際的な標準時$${^{*5}}$$もないから正確な日付が判らなくなってきそうだ。とは言え、船上と地上とで日付がずれたからと言って何か問題が生じるのだろうか。宗教上の問題$${^{*6}}$$ぐらいは発生したかも知れない。ずれは悪魔の仕業ではないか、世界一周などと言う神をも畏れぬ行為のために天罰が下った、などと言われて船員たちはいじめられたのかも知れない$${^{*7}}$$。

 それにしてもマゼラン一行の航海日誌の日付と出港地の日付とがずれていたという話は本当であろうか。しかもご丁寧に「一日」ずれていた$${^{*8}}$$ということになっている。波瀾万丈の三年間の航海だった$${^{*9}}$$から二、三日ぐらい間違えそうだ。

 航海の最初から最後まで日誌を書き続けたのはアントニオ・ピガフェッタ$${^{*10}}$$と言う人だったらしい。航海中、一日も欠かさず日誌を付け続けたというのは凄い精神力である。もしかしたら航海日誌というのは命の次に大事な物で、航海士にとっては当たり前なのかも知れないが、大したものである。

 一日のずれに気付いたのは、スペインに帰る途中、アフリカの西海岸の沖にあるサンチャゴ島$${^{*11}}$$で、補給をした時である。日付を訪ねたら、七月九日水曜日のつもりが七月十日の木曜日だと知らされてびっくりした$${^{*12}}$$、と記録している$${^{*13}}$$らしい。

 1519年九月に出発して1522年九月に戻ってきた。1520年は4で割り切れるので閏年である。丁度この時代はユリウス暦$${^{*14}}$$からグレゴリオ暦$${^{*15}}$$への切り替えの時期だったが、閏年はどちらでも4で割り切れる年だ。ビガフェッタが閏年を忘れていれば上手く日付が合致したが、しっかり二月二十九日を入れていたのだろう。

 出港地ではなかったが、とにかく世界を一周した時点で一日だけ日付がずれていたのは本当のようだ。

*1 20070611 日付変更線
*2 日本船主協会:海運雑学ゼミナール:110  世界一周で1日ずれた日付の謎
*3 日付変更線って何
*4 20070512 カンガルーの語源
*5 20020217 正確な時刻
*6 Monty Python - The Spanish Inquisition
*7 Spanish Inquisition Pictures from Martyrs Mirror
*8 [ 314 日付変更線 ]
*9 Magellan
*10 Quell'italiano che circumnavigò il globo, Antonio Pigafetta
*11 カーボヴェルデ(カボベルデ)の旅行情報・カーボヴェルデ(カボベルデ)の旅行知識|アフリカ大辞典|道祖神
*12 A History of the International Date Line
*13 ANTONIO PIGAFETTA PATRIZIO VICENTINO E CAVALIER DE RODI A L'ILLUSTRISSIMO ED ECCELLENTISSIMO SIGNOR FILIPPO DE VILLERS LISLEADAM , INCLITO GRAN MAISTRO DI RODI, SIGNOR SUO OSSERVANDISSIMO
*14 現行の暦
*15 19991016 裏のウラ閏年

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