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101年倶楽部かもしれない

今日は、わたしが主宰している、101年倶楽部というものの話をしようと思います。

とはいったものの、実はこの話をするのは少々気が重いのです。

おそらく、自分の中でも言語化が完了していないからでしょう。

言語化できていないというのは、考え終わっていないということです。

かといって、これはすべて考え終わってから初めて言葉を発するべき類のものではない気がします。

実際に経験を積み重ねないと、そもそも考えるための材料が不足したままなわけですから。

そんなわけで、わたしは日々、「101年倶楽部とは何か」を考えながら、101年倶楽部の活動を続けているのです。

よって、今日お話できるのは、

「今現在でわたしがわかっている(言語化できている)101年倶楽部のこと」

というのが正確な表現かもしれせん。

メンバーの幸福が一番の望み

さて、101年倶楽部が何なのかを説明するにあたり、わたしは巷で流通している言葉を使うことで、あなたがイメージするのを助けられると考えています。

その言葉は、「(オンライン・)コミュニティ」です。

101年倶楽部は、そういったものに近い外形的特徴を持っています。

しかし、わたしは、本来こういった、「フワッとわかった気になる」言葉を用いるべきではないと考えます。

たとえば101年倶楽部を「オンラインコミュニティです」と紹介しようものなら、あなたは即座に、既存の他のコミュニティを想起するとともに、101年倶楽部についての何かしらの印象を持つでしょう。

わたしは、それを怖れています。

「似ているけれど、まったく違う」というのは非常に重要な相違です。

むしろ、違いというのは、そういう中にしかないくらい。

だから、十中八九誤解を生むであろう表現をするのを、これまで避けてきました。

そんなわたしですが、今回ついに、説明を始めます。

深い理由は、ありません。

「説明したい気分である」

それがすべてです。

さて、101年倶楽部に話を戻しましょう。

101年倶楽部はどんなコミュニティ(とあえて呼びます)なのか。

もっとも高次の目的は、「みんなが幸せでいること」です。

ここでいう幸せは、つかみとる結果のことではなく、状態のことです。

この両者の違いはとても重要です。

実はわたしも、最近までわかっていませんでした。

前者、すなわちつかみとる結果の方は、宝探しにおける宝のようなものです。

受験における合格とか、仕事における昇進とか、人によっては結婚するといったことも含まれるかもしれません。

そういったものを目指して、実現することももちろん素晴らしいことです。(わたしは目標達成とか苦手ですけど)

101年倶楽部では、それはそれで認めつつも、もう少し結果が分かりにくいものを扱っています。

101年倶楽部が目的とする幸福は、「いろいろあるし短期的には落ち込むこともあるけど、長期的に見れば結構幸せだよね」という状態でいることです。

そして、コミュニティとして目的を果たしているのかいないのかは、数字やファクトでは示しにくいし、仮にメンバーに対してアンケートをとって、分析をしても、ほとんど意味はありません。

なぜなら、「コミュニティとしての目的」とは言ったものの、それは決して「101年倶楽部全体としての」ではなく、「メンバーそれぞれの」という意味だからです。

「85%のメンバーが、101年倶楽部の効果を実感しています」

みたいなアンケート結果は、ナンセンスだということがおわかりいただけるのではないでしょうか。

では、人によって異なる幸福に対して、101年倶楽部はどのような機能を果たすのでしょうか。

それを考えるために、またいくつかの言葉を用います。

資産

まなび

投資

です。

先にわたしの主張の骨子を示しておくと、

各自の幸福には、その人に必要な種類・大きさの資産がセットで存在するはずで、資産をふやすには「まなぶ力」をつけるのがよい。そのためには、「学習観の更新」や「資本の蓄積についての使える状態の知識の形成」など、一朝一夕にはなしえぬ「やったほうがいいこと」が複数ある。そして、いつなにに注力するかは人によってまちまちである。では、長期的にゆるくつながって、お互いに刺激を与えあっていつの間にかすごいことになるというヒミツ結社をつくったらおもしろいじゃないか。

といったところです。

以下では、キーとなる概念を中心に書いていきます。

資産

資産とは、

それがあることで一定の期間、富を生み続けるもののこと

です。

それは決してお金だけとは限りません。

スキルや経験もそうだし、知識もそうだし、人間関係だって含まれます。

わたしは資産を、

一定期間、継続的に自らを幸せにし続けるもの

と読みかえて考えていて、そのために何をしらいいのかについて、自問自答しています。

101年倶楽部のメンバーを見ていると、何となくそういう考え方が浸透してきていて、資産の蓄積がうまくなってきていると感じます。

トータルで資産が増えていくと、結果的にお金(金融資産)も増えてくることでしょう。

とはいえ、ここはまた難しいところで、「お金を増やすために」みたいな話の順番にしてはいけません。(似ているけど違う)

最近ネットで見かける、「お金よりも先に信用を稼げ」みたいな、あまり中身のない話と変わらなくなってしまいます。

(これだけを書いて、なぜ中身がないのかを書かないというのも言い逃げのようなので、話が逸れるのを承知で続けますね。)

「お金よりも先に信用を稼げ」というのは、ただ単にビジネスの常識をさも新しそうに言っているだけです。

大昔から、まったく変わっていません。

だから、それを「これからの時代は~」などというのは間違いで、ましてやそれを聞いてテンションを上げたりしてはいけないのです。

情報弱者というやつですね。

あなたは、ビジネスをする「ために」生きているのでしょうか。

それだけではないはずです。

であれば、「お金を稼ぐため」ではなく、「結果的にお金が増える」ほうが、幸せを実感できるのではないでしょうか。

まなび

まなび。

この単語は、多くの人が誤解していて、伝えるのを諦めそうになることもあります。

でも、書きますね。

これを書かないと、101年倶楽部の話を書いたことになりません。

今回のブログの中で、一番重要な話です。

まなびというのは、先生から知識をもらうことだけを指す単語ではありません。

わたしたちは、小学生のころから、

授業を聞いてノートをとって、暗記してテストを受ける

というスタイルの勉強に慣れ親しんできました。

そのせいか、何かを習得しようとすると、すぐに学校のようなところに行きたがるし、ビジネス書と呼ばれるハウツー本で、本の向こう側の先生から正解を聞きたがります。

そして、人の知識をもらってありがたがって、そのまま使って、でもなんとなく合わない気がしてきて、いつのまにかやめてしまいます。

このプロセスには、いくつか問題点があります。

まず挙げられるのは、「まなぶ姿勢がない」ということです。

より正確にいえば、「主体的にまなぶ姿勢がない」でしょうか。

こういうことを書くと、熱心にセミナーに通うような人から、

「そんなことはない」

という反論がきます。

でも、わたしはあえて、

「そんなことあるよ」

と言いたいです。

そういう人は、先生が知識を持っていて、それをもらうのがまなびであると考えています。

だから、その知識をありがたがってもらったり使ったりするわけですが、一向に自分のものになりません。

Twitterなどを見ていても、まったく自分の言葉ではなくて、誰かが言ったであろうことをそのまま同じように言っているアカウントを見かけることがあります。

受け身の学習者だと、そういうことになるのでしょう。

受け身の学習者は、さらに新たな知識が欲しい場合、またお金を払わなければなりません。

そういう人にとって、知識は人からもらうものだからです。

だから、そのスタンスのまま一生懸命セミナーに通うことは、「一生懸命受け身の学習をしている」わけです。

その一生懸命さをまなぶ姿勢だと勘違いしています。

だから、わたしが言うことを聞くと怒るんですね。

でも、いったん気づけば、そういう人も主体的な学習者に変貌します。

わたしは、101年倶楽部で主体的な学習者が増えたらいいなあと考えています。

では、そもそも主体的にまなぶとはどういうことなのでしょうか。

重要なのは、

「知識はつくるもの」

という意識です。

知識を、もらうものではなくつくるものだと定義し直すことから、すべては始まります。

知識をつくるとはどういうことでしょうか。

人は、何かを見聞きしたとき、既存の知識を参照して理解します。

つまり、理解は人によって異なってくるので、獲得した知識について説明してみようという話になれば、皆、少しずつ違う言葉になるはずです。

ところが、受け身の学習だとそうはいきません。

先生が言ったことや本に書かれていたことをそのまま「まなんだこと」としてアウトプットしてしまいます。

そこには知識を「つくる」意識はなく、ただ単に先生の知識をもらっただけなのです。

もらうだけでは何が問題なのかというと、

他人の知識は、使い物にならない

からです。

知識は、既存の知識との掛け合わせなので、それ(掛け合わせること)をしないかぎり、あなた独自の知識にはなりません。

たまに、何の話を振っても、

「知ってます」

と言う人がいて、たしかに知っているのかもしれないですが、他人の知識のまま(使えない知識)なので、その人からは一切おもしろい話が出てこなかったりします。

知識をつくることは、重要なのです。

自分の知識、自分の言葉を持つ人って、魅力的ですよね。

さて、「つくるのが大事」と理解したら、実際に何をすればいいのでしょうか。

自分の知識をつくるための活動は、

経験すること

記録すること

振り返ること

概念化すること

また試すこと

からなります。

このあたりの話は深入りすると終わらなくなりそうなので、いったんやめます。

101年倶楽部では、なんとなく上に書いたようなプロセスになるように、イベントやFacebook上のやりとりをデザインしています。(少なくとも、そのつもりです笑)

わたしは先生でも社長でもないので、上からモノを言うことはありません。

ただ、先生や上司ではなく、「コミュニティがうまく回っているかどうか」に責任を持っています。

だから、わりと真剣に考えています。

投資

わたしは株式投資が得意なので、時々ミニセミナーを開いています。(Soreo101)

金融資産ももちろん大切なので、興味のある人はぜひ参加してみてください。

101年倶楽部以外の方も参加できる会もあります。(メンバー外だとチケット料金は異なります)

お金でも自己成長でも、投資的に考えることが大切で、でもそれは打算的とは少し違います。

「これは将来の資産を増やす可能性が高い」

とともに

「いいかわるいか分からないが、おもしろそう」

という理由で一歩を踏み出すことも時には必要で、投資的な思考とは、この両者のバランスをとる考え方だといえます。

こういった投資的なふるまいの前提となるのは、

「いらないものを買わない」姿勢です。

これだけ欲望が作り出されている時代だからこそ、無防備であってはなりません。

101年倶楽部のメンバーになって、投資脳や自分の知識を育てて、ゆるい人間関係をつくるのも、「投資」です。

普段の101

これらを実現するためにやっていることは、シンプルです。

まず、メンバーはそれぞれの日々(実生活)をまなびながらすごします。

これが大前提です。

メンバーの人生はメンバーのもので、101年倶楽部のために生きているわけではありません。

だから、何よりも自分の毎日を幸せにしたらいいと思います。

次に、Facebook上での雑談です。

メンバーが主催するイベント(セミナーやワークショップ)にも、興味があれば参加して、

振り返って、

そしてまた日常に戻ります。

101年倶楽部でやっていることは、これだけです。

たまに、食事をしたり飲み会をしたりもします。

前に書いたこの記事にもそれらしきことを書いたので、ぜひ読んでください。

101年倶楽部って知ってる?なんか、おもしろいってよ。

101年倶楽部は「場」ではなく「人の集まり」

コミュニティという単語で101年倶楽部を説明してきましたが、101年倶楽部は「場」ではなく「集団」の名前です。

だから、あなたが入ればその分だけ色が変わります。

そこがまたおもしろいですよね。

もしメンバーになったら、もちろんすぐにやめることもできますが、できるだけ長期視点で考えてほしいと思います。

人がまなぶ、変容するタイミングは、ある日突然やってきます。

わたしは、人によってタイミングが違う、まなびが盛り上がる瞬間に、近くにいられたらいいなあと思っていて、だからこそ、長期的にゆるくつながっていきたいのです。

その状態をつくるために、会員費も安く設定しました。
(いらないものを買わないだけで元が取れます!!!)

ということで、興味を持った人は、ぜひメンバーになってください。

一緒にまなびましょう。

お待ちしています。

メンバー入りは、こちらから

いしざわ

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