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喪主とか祖母とか叔父とか

祖母が亡くなったので急遽名古屋に帰っていたのです。

10日に亡くなって、12日がお通夜で13日が葬儀。久しぶりに礼服を着たらズボンが締まらなくなっており、11日に近所のAOKIで急いで礼服を新調しました。Yシャツもずいぶん着ていなくて襟が黄色くなってたし1枚しかなかったので2枚新調。ベルトもどこかに紛失したので新調。合計にして7万円強の緊急出費なりけりや。

遠いな・・・と思いながら広島から新幹線に揺られて名古屋へ。まずは栄のホテルにチェックイン。近くの松屋で牛めし大盛りをかきこみ、ホテルで礼服に着替えてお通夜へ。

父母とは秋に会っていたのだけれど、父方母方それぞれの叔父とは久しぶりに会った。母方の叔父(母の兄)にいたっては20年ぶりくらいだと思うが、変わってなかった。こんなイケメンな老人がどこにいようか、目の前におったけど。

妹夫婦と甥っ子も来ていた。甥っ子大きくなってたなあ。思わず「大きくなったなあ!」と親戚のおじさんみたいなことを言ってしまった。まあ親戚のおじさんなんだけど。

祖母の妹さんとか、たぶんそんな感じの親戚だけのお通夜で、僕は親族席。小規模だったのでササッと1時間くらいで終わり。

お通夜の後に父方の叔父(父の弟)から「俺が死んだら君が喪主をやってくれ」と頼まれた。叔父には子がいないので、ああそうか、と思った。僕はこの先、親より先に死ぬことがなければ、父、母、叔父の三人の喪主になるのか。

ホテルに戻ってから、お通夜の帰りに渡された助六寿司を食べる。腹いっぱいである。腹いっぱいすぎて2時くらいまで寝付けなかった。

翌日(今日)は目覚ましをかけておいたけど目覚ましが鳴る前の7時半に起床。食べ過ぎと寝不足でしんどいなあと思いながら葬儀へ向かう。10年以上ぶりに通勤ラッシュの洗礼に合う。そうか今日平日か・・・

斎場につくと昨日と同じように父母と父方の叔父がいたのだけれど、父から「時間もかかるしお前来ると思ってなかったから火葬場のメンバーには入ってないからな」と告げられる。気遣いと連絡ミスが交錯した。てっきり僕も火葬場に行くと思っていたので予定よりかなり早く帰れることになった。まあ終電も早いので実際火葬場無理かなって感じもあったんだけど。

お坊さんの南無阿弥陀仏が終わってから喪主の挨拶があった。喪主は僕の父である。祖母の長男。普段はわりとよく喋る父なのだが本人がいま体調がよくないこともあってか、それとも思うところが多かったのか、ところどころ言葉に詰まりながら、祖母について少し語り、短く出席者への御礼を述べて終わった。たぶんこんな感じの父は見たことがない。僕はコロナ禍の真っ只中に亡くなった祖父の通夜にも葬儀にも顔を出していないので、少々面食らった感じはある。虚を突かれた思いはしていません。

祖母の棺桶にたくさん花を入れた。今まで誰かの葬儀で気にしたことなかったけど飾られてた花をスタッフが切りまくってそれを入れるんだな。祖母は穏やかな顔をしていた。95歳の大往生である。祖母の妹さんが泣きまくっていた。育った環境は人それぞれで、特に祖母の家や祖母の兄弟は苦労したそうであるということを聞いた。祖母の妹さんは三人兄弟の末っ子で、一番上の方はもう亡くなっているので、これでついに一人になってしまったという想いもあったのかもしれないが、個人の心の中は僕にはわからない。ただただいたたまれなかった。

母からも頼まれていたので、出棺の際、棺を持った。軽かった。父母と叔父、そして祖母が斎場を後にし、残った親戚も散り散りになる。母方の叔父が「おまえこの後もう帰るんか」というので「帰る」というと、「じゃあ駅まで一緒に行こう」と車で名古屋駅まで送ってくれた。「おじさんまだ車乗っとるんか」というと「ないと動けんわ」と返された。まあ、田舎はね・・・

道中いろんな話をした。空白の20年のダイジェストのようなものだ。叔父はそんな僕の半生を聞いて「そら辛酸なめすぎだわ」といって笑っていた。そして「いろんな考えや生き方があるけど楽しく生きてればそれでいいと思うわ」と言っていた。そういう境地に達したんだそうだ。僕もそう思う。

帰りに自分の家族向けに赤福と「なごやん」の猫バージョンの「なごにゃん」を買った。そして思った。荷物が多いと。

私服で出かけ、カバンと礼服を持って来たのだけれど、帰りは礼服で、カバンと私服とお土産を持たなければいけない。これがまあかったるくて、今度から旅に出る時はもうちょっと移動のことを考えないといけないなと反省した次第です。幸い新幹線は空いていたので別に良いんですが。

昔お会いしたことがあるかどうかお互いに定かでないくらいの親戚ともお話をする機会もあり、まあ、遠くても顔を出してみるもんだなあとか、これからのこととか、いろんなことを考えた2日間でした。

みんな歳を取り死んでいくことは産まれた時から決まっているわけで、「どう生きるか」と考えることは無駄ではないけれど、どっちにしろ死ぬので、母方の叔父が言うように「楽しければそれでええわ」ということになるんだろう。「そう思っとらんとやっとれーせんぜ」と叔父も言っていた。だよな。そう思っとらんとやっとれーせん。誰かを攻撃したりして自分の人生を自分からつまらんもんにするのはたーけだわ。エンジョイ!

と、ここまで書いてさらに母方の叔父の言葉なのだけれど、「葬式ってのは・・・嫌だなあ」というので「まあ、いいもんではないね」と返した。避けられないけれども、別れは悲しい。

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