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エジプトを愛した写真家たち(19世紀)と... 世にも不思議なお話

 1800年代、写真について知っているアラブ人はほとんどいませんでした。ましてやアラブ人でプロの写真家など皆無でした。

1865年のカイロの写真スタジオ

 ところが1800年代半ば、カイロの街にも写真スタジオが生まれました。その多くがアルメニア人写真家で、エジプトにおける写真産業の初期はほぼアルメニア人で占められます。これには理由があります。簡単です。

 まずアルメニアもオスマン帝国でした。そしてアルメニアにはクリスチャンが大勢いました。(偶像崇拝禁止で写真も敬遠した当時の)ムスリムは写真家になることがなく、必然的にクリスチャンのアルメニア人がコンスタンティノープル(イスタンブール)で写真の仕事に就きました。

 あとはアルメニア人コミュニティの中で仲良しこよし…同業者の写真家が増えていきました。その彼らが同じオスマン帝国のエジプト州でも写真スタジオを設立するのは自然の流れでした。

 例えば、カイロの伝説的なシェファードホテルの近くに自分の写真スタジオを構えたアルメニア人のレケギャン(G. Lékégian)は作品の質の高さで急速に名声を得ました。

 レケギャンの写真の評判が高まるにつれ、スタジオには「写真を撮ってもらいたい」とやって来るヨーロッパ人の客が後を絶たなくなりました。
 おかげで「シェファードホテルとオペラ座とレケギャンの写真スタジオがあるカスル・アル・ニール通りとオペラ広場の間のエリアは〈カイロの黄金の三角地帯〉だ」と噂されるようにまでなりました。

 彼の作品は、エジプトや他の北アフリカ諸国におけるアラブの生活の重要な記録であり、今だに残る十九世紀に撮影されたエジプトの写真の多くはレケギアンによるものだったと言ってもいいかもしれなません。
 一八九二年にパリ国際写真展で金賞を、一八九三年にはシカゴ国際写真展で大賞を受賞しています。

撮影G. Lékégian。恐らくエジプトに連れて来られたスーダン人奴隷たちだと思います。イスラムでは奴隷を明確に禁止していないため、本当に最近まで存在していました。イギリスはエジプトを支配し(1882年)、色々非道でもありましたが、奴隷を何とか無くそうと尽力したのは偉かったと思います。(でもなくならなかった。奴隷売買システムは今の日本のペットビジネスと酷似だと思います)

 次はオスマン帝国のアルメニア系の三兄弟…ヴィチェン(1820-1902)、ホフセップ(1830-1908)、ケヴォルク(1839-1918)のアブドゥラー三兄弟(Abdullah Frères )です。

撮影Abdullah Frères オスマン帝国の役人のチェルケス人たち。ちなみにエジプトでチェルケス人といえばマムルーク朝の人々を一般的に指します。

 3兄弟はコンスタンチノープルで収益性の高いスタジオを経営し、それがうまくいき事業拡大でカイロやイズミールにもスタジオを構えました。 

 1862年、3兄弟はコンスタンティノープルでスルタンの宮廷御用達写真家となり、王家のモノグラムを使用する権利を得ました。
 オスマン帝国を写真で記録するよう依頼もされた三兄弟は帝国の衰退の最後の時代を写真でたくさん残しました。

 他には3兄弟の有名な写真といえば、コンスタンティノープルの軍隊、技術的に進歩した消防団、官僚、豪華な宮廷など、政権の業績や西洋化する改良に焦点が当てられた一連のテーマものでした。

 カイロで写真の需要が高まると、アルメニア人以外の外国人写真家たちも現れました。例えばギリシャ人のザンガキ兄弟(Zangaki Bros)です。この兄弟は1870年代から1890年代にかけてエジプトで活躍しました。

 ザンガキ兄弟は歴史的な風景や古代エジプトの風景を専門とし、観光客向けのプリントも制作していました。
 19世紀末のエジプトを撮影した彼らの写真は、当時の生活についての洞察に富んでおり、歴史家やコレクターに珍重されています。作品には、ピラミッドや都市(スエズやアレクサンドリアなど)のほか、日常生活を送るエジプト人(教師と生徒、ナイル河畔の男性、主婦など)の姿も含まれており、非常に貴重です。
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 さて、ここから私の奇妙な話になります。(*頭がおかしい妄想話と思っていただいてOKです👌)

 昔、ナイルヒルトンホテル(現リッツカールトン)にアンティークショップがありました。イギリス英語が完璧で、育ちの良さを隠しきれていないチェルケス系のダンディー紳士がオーナーでした。

 そこには何気なくふらりと立ち寄ったのですが、ダンディーなオーナーはじっと私の顔を見て、無言である一枚のスフィンクスの額入り写真を出してきました。ようは「買え」と。
「君がこれを所有すべきだ」
と言われたのははっきり覚えています。
 
 迷いましたが(日本人の感覚では安いけれど、エジプトの物価で考えると高い)、あまりにもぐいぐい迫るので「ま、いいか」とそんなに欲しくなかったけれども買いました。

 さてさてここから、ここからです。

 そのスフィンクスの写真を購入して以降、時々不思議な夢を見るようになりました。私が1800年代のアレクサンドリアで生活しているのです。自分が話している言語も聞いたことのない言語です。そして夢の中の私は外国人の「オッサン」です。

「なんであんな夢を見るのかなあ」
不思議だなあと思っています。するとある日、ご近所老婦人と井戸端会議をした時、ふといきなりこんなことを言われました。

「古代エジプト神殿の神官だった姿と1800年代?でエジプトの海辺の街にいる赤いトルコ帽を被った男性の姿のあなたがみえる」
 さらにこう言われました。
「自宅にあなたの前世の写真があるわ、赤いトルコ帽男性の写真よ」
 はっ?
 しかしそんな写真は心当たりがないので、聞き流しました。ちなみに彼女は我が家に来たことはありませんし、私がエジプトに住んでいたことも一切知りません。(変人に思われるので、私の中東の過去は普段隠しています)
 それから後になって、その御婦人の経歴を知ります。イギリスの◯◯霊能者協会のお偉いさんだった女性でした。
 
 さらに御婦人に「赤いトルコ帽の男性」のビジョンをあれこれ語ってもらいました。
鳥肌が立ちました。
 私が夢で見る内容と同じなのです。

 ちょっと気になって家にあるエジプトの古い時代の写真(1800年代ー1950年代の写真)のあれこれを見てみました。しかしどれも街中の景色や遺跡の写真ばかりなので「赤いトルコ帽男性の写真」はありません。
 
 ある日。
 例のナイルヒルトンホテルの店のチェルケス系ダンディーから購入したスフィンクスの写真を額から初めて外しました。捨てようと思ったからです。スフィンクス写真は自分が撮影したものも含め山程あるので、「こんな汚い古い写真は要らないや」と思ったからです。

 そこで、「初めて」購入時セットになっていた額から外しました。そしてびっくりしました。スフィンクスの写真の裏に、あともう二枚、写真が隠されてあったのです。しかも一枚目の建物写真を見た瞬間、そこがどこか分かりました。

私の所有のZankakiの写真 見えませんが下に白いサインが入っていました

 この時は、それは行ったことも見たことも何も知識のない建物でしたが、写真を見て一発で「あ、あそこだ」と声に出してしまいました。 それは1869年にスエズ運河開通式が開かれた時、世紀の大宴と言われた晩餐会が開催されたイスマイリア宮殿です。

ネットで見つけたZankaki兄弟のイスマイリア宮殿写真。左手に人が三人いますね
私の所有の写真 左の男性の腕のポーズが変わりました

 一応すぐにググりました。当たっていました。やはりイスマイリア宮殿でした。本当にこの時はそこを全く知りませんでした。なのに見た瞬間に分かった!

 すると、そこから不思議なことにその宮殿の内部や周囲が映像になって頭の中にどばっとでてきました。

 そしてそのイスマイリア宮殿の写真の裏にあったもう一枚の写真ですが、赤いトルコ帽の男性の写真でした。そう、近所の霊感婦人の言っていた服装と顔そのものです。

 しかも奇妙なことに、その写真のオッサンを見ていると「自分だ」という感覚がしてなりません。気のせいと言われればそれまでですが、どうしても自分の気がしてなりません。ちなみにエジプト人ではないです。イケメンでもありません。

 余談ですが、その御婦人はウクライナロシア戦争、アラブイスラエル戦争も開戦日までだいぶん以前にビンゴで預言しています。めちゃくちゃ驚きました。
 また、よくよく考えればナイルヒルトンのアンティークショップの店主も不思議です。なぜあんなに私に買うことを勧めたのか、そして裏の二枚の写真のことも知っていたのでしょうか。

 いちいち真剣に考えていたら、エジプトではやっていけないので流すとしますが、ちなみに前世の記憶を完璧に持った友人もいます。間違いないですね、その根拠は一切そのような環境ではなかったのに、物心がついた時からイタリア語がべらべらで、国外に出たこともなかったのに昔のイタリア(今のイタリアではありません、◯◯共和国がいくつもあって細分化されていた時代です)の詳細を話していたからです。
 大人になったその人は著名考古学者になっています。(日本人ではありません)
 世の中、不思議なことがやはりあるものです。おやすみなさい

これは有名、↑イギリスに帰化したイタリア人写真のAntonio Beatoの撮影した岩倉使節団。
兄のFelice Beatoの撮影した東京の愛宕山。びっくりです! この兄弟もエジプトに写真スタジオを持っていましたが、写真家ってみんな兄弟で組んでやるものだったのでしょうか?
今の愛宕山↑ なお「Felice Beato Japan」で検索すると1800年代の日本写真が沢山出てきて面白いです

 

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