白金のアールデコ・朝香宮邸
ノートでトーマス・クックシリーズを書き続けていたら、なんとなく同年代の建物、朝香邸を久しぶりに訪れたくなり、バスに乗り、白金台へ行って来ました。
(駐車と渋滞を考えると、車よりバスや自転車派です。)
この辺りは私自身が出身地域ですが、親が転勤族だったため、白金台の思い出はあまりありません。一時、シロカネ―ゼという言葉が生まれましたが、あれは南北線を開発し、不動産業が一気に活発になった、馬鹿馬鹿しい「煽り」だったと思っています。
ただこのエリアを訪れるたびに毎回感じるのが
「テルアビブの住宅街に似ているなあ」
さて、私自身は朝香邸見学は20年ぶりくらいです。
朝香宮ー
朝香邸の女主人だった允子(のぶこ)内親王は1891年に生まれた、明治天皇の12番目の子どもであり、8番目の娘です。
京都生まれの母親の園祥子(さちこ)は園基祥伯爵の令嬢で、明治天皇の5番目の側室として嫁いでいます。
允子は朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう)に嫁ぎ、白金台(町)に邸宅を構えます。
二人の間に生まれた娘の一人、紀久子(きくこ)がのちに渋谷の大地主でもあった鍋島家に嫁いでおり、紀久子の娘、つまり允子の孫娘が「朝香宮邸に生まれて」という本も書いています。
また、紀久子の妹の湛子(きよこ)は尾張の徳川義親の息子、義龍に嫁いでいます。
1920年。
允子の夫の朝香宮鳩彦王はブルゴーニュ地方にあるサンシール軍事学校(École spéciale militaire de Saint-Cyr)に入学しました。この学校はナポレオン・ボナパルトが1802年に創立した学校です。
同年代、オスマン帝国の王子たちも、エジプトのムハンマド・アリ王朝の王子たちもフランスに留学しています。そういうものだったのでしょうか。
ところがその1,2年後。
鳩彦王が乗車していた車が交通事故を起こし、大怪我を負います。そこで彼はフランスで長期に渡り静養することになりました。当然、軍事学校は退学。
そして、夫の身の回りの世話で允子もパリへ渡りました。
2年後、夫婦はパリのアールデコ万博を見物し、帰国後、允子が白金台町の朝香邸を大胆にアールデコ調に改築。
第二次大戦後の1950年12月18日、鳩彦王はローマ・カトリックに改宗。日本の皇族で改宗した初めての人物です。
さてさて。
「入場料1400円」
これにびっくりしました。旧皇族かつ戦争の責任のあった陸軍の偉い方のお住まいでした。そして東京都庭園美術館の管理運営なのに…。
一方、目黒区の前田邸 の方は入場料無料なんです。
目黒区の区役所のある人が
「目黒区はエ◯ザイルの事務所があるおかげで儲かっています」
と冗談だが本気だがわからないことを言っていたことがありましたが、
港区だって儲かっているんじゃあ…。
中に入ると、どの部屋・廊下の電球のカサはどれも素敵ですが、壁紙が一切ないので、すべての廊下と部屋の壁は面白みがありませんでした。
それに見事に家具や骨董品がありません。空っぽです。にも関わらず、見張りの監視員が多すぎました。盗まれるモノが何もないのに。
これだけ見張りがいると圧迫感が強く、しかも、私の布製のバッグが白い壁に触れただけで、監視員の女性に大声で咎められました。注意するにしても、もう少しエレガントにできないのかしら。
ちょっと休憩するための椅子もなく、これならよほど皇室ファンや朝香宮ファン、アールデコ建築様式のファンでなければ、目黒区の前田邸の方がお勧めです。
そっちは入場料がかからない上、内装がもっと素晴らしく家具も揃っているので眺めていて面白みがあります。見張りがみっちりいないのも良いです。
朝香邸を出た後、バスに乗り、すぐ近くの寄生虫博物館!に寄りました。
こちらは目黒区です。寄生虫博物館も入場料無料です。
寄生虫博物館の中は明るい感じでしたが、昔はもっと薄暗くおどおどしかったらしいです。でも、暗くてじっとりした感じの方が、口コミでもっと広がるんじゃないでしょうか?ホラー漫画の世界ぽくて。
だけどダニとか蛆虫、ネズミの死骸などの展示で、別の緊張感がありました。
食事をとる店を探すのに、ちょっとうろうろしました。すると、昔はこの辺はもっとフレンチやイタリアンが多かったのに、チェーン飲食店や中華屋がとても増えていることに驚きました。
繁盛している蕎麦屋が目に入りましたが、寄生虫をさんざん見た後なので、蕎麦が回虫に見えてならず、お蕎麦は止めておきました、、、。
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