【ミステリ】切り裂きジャックの帰還 8 / 全8話


 13

 寒さを忘れて伸びをして、曽根は腕時計を見た。
 すっかり落葉した並木道ではライトアップの準備が進んでいた。ハロウィンが終わったばかりだというのにクリスマスとは気が早い。すれ違う学生たちの歩みも心なしか浮かれているような気がした。
 芝生の只中にガラス張りのモダンなカフェが見えてきた。大学に併設しているためか、午前中でも席の大半は埋まっているように見えた。
 席を見回すと、外から見える位置にスーツ姿の真琴がいた。向かいの席の若い女性と楽しそうにしている。ガラスを小突いて合図をすると、真琴が振り返って会釈した。入り口から回って声をかけるころには、向かいの女性はいなくなっていた。
 曽根は代わりに椅子に座り、一息ついた。
「ご無沙汰です。いまの子は、よかったんですか?」
 真琴はすっきりした表情をしていた。
「もう済みましたから、進路相談だったんです。川村教授に会わせたくて」
「なるほど。あなたの後輩ですか?」
 曽根は資料をテーブルに置いた。
「元気そうでよかった」
「曽根さんも」
 大学に復帰したことや曽根の退職前の引継ぎなど、他愛のない雑談をした。出会ったころに感じた張り詰めた感じは薄まっていた。
 真琴がふとテーブルの資料に目を落とした。
 曽根は真顔になって水を向けた。
「夢は、まだ見ますか?」
「時々は。でも、前のようにひどい夢じゃありません」
 真琴は寂しそうに笑った。本当に平気なのか核心が持てずにいると、今度は表情を硬くして言った。
「夫とも相談しているんですが、やっぱり警察を去るべきなのかもしれません。でも、同じぐらいもっとやれることがあるんじゃないかという気持ちもあって」
「旦那さんはなんて?」
「現場は危険だから避けてほしいとはいわれました。実際、今回は運が良かっただけで、犯罪プロファイリングはほとんど役に立ちませんでしたから」
「納得いくまで考えたらいいですよ。旦那さんも、あなたを送り出すぐらいのことをしたんだから、考えた上での答えなら納得してくれるんじゃないですか」
「そうですね」真琴は頷いた。
「そこ行くと、古賀美月のほうは荒れてますよ。例の父親が離婚させようと話を進めていまして、当然彼女は断ったそうですが、勾留中じゃ調停になりませんから裁判を起こすってことになりそうです」
「じゃあ古賀亮太は?」
「家を追い出されました。仕事も辞めて、どこにいるかもわかりません」
 弁護士の話では離婚の手続きは父親の独断で、娘の歯車が狂ったのは夫の浮気のせいだと主張したらしい。古賀亮太はなすすべもなくサインをし、そのまま姿を消したという。
「古賀美月は離婚届をはねつけて、いまでも夫が面会に来るのを待ってるそうです」
 真琴は沈痛と言っていい表情で俯き、思いを巡らせているようだった。
「彼女が気になりますか?」
「ええ、まあ。実は古賀亮太の履歴を遡って気づいたんですが、古賀美月との出会いも、あのアプリ経由だったみたいなんです。それで、これは仮説なんですが、トリガーの話を覚えていますか? 犯行に及んだ決定的な理由についての話です」
「浮気を知ったためでは?」
「それはそうなんですが、古賀亮太は結婚した後もマッチングアプリの利用を辞めた形跡がないんです。つまり、古賀美月は夫の浮気と同時に、自分がほかの浮気相手とそう変わらない存在だと気づいたんじゃないかと思って」
「それが本当の原因だと?」
「わかりません。でも彼女にとっては、夫の気持ちが誰かに移ったことよりも、自分が軽んじられたことのほうがトリガーだったんじゃないかと思って──そう考えるとすこし同情したんです」
 何と答えていいかわからなかった。
「それでも、あの凶行の理由にはなりませんよ」
 真琴は黙って頷き、顔を上げた。
「彼女自身の裁判はどうなっているんですか?」
「犯行は全面的に認めてます。二年前も今回も、古賀亮太の出張中を狙って犯行に及んでいて、計画性は十分なんですがね。弁護士と父親は心神喪失で進めるつもりのようです。あの異常な手口では精神鑑定も入るでしょうし、どっちの主張が認められるかはなんともいえんでしょう。夫に対する依存も酷くて、会話にならないこともあるそうです。いずれにしても長くなるでしょうね」
 すっきりしない決着だった。それを真琴も感じているのだろう。反応を見る限り、これまで情報を何も入れてないのは明らかだった。いまの気持ちは警察を辞める方向に傾いているのだろう。
 結果として、この事件は神代真琴にも引導を渡すことになるのかもしれない。
 事件の再捜査を誓った時、何かあればすべての責任を追うつもりだった。それで済むと思っていたが、いまではなぜそう考えたのか、自分の判断が信じられなかった。楽観的すぎる。現実には真琴を危険にさらし、蟹江を巻き込んだ。救いもあったが、代わりに二人の人生を破壊するところだった。
「誤認逮捕の件は、どうなりました?」
 我に返ってテーブルの資料を開いて渡すと、真琴はしばらく読んでから納得したように頷いた。
「裁判はこれからなんですね」
「刑事補償になるでしょう。富岡萌は複数の男と関係がありましたが、古賀亮太と会ってから古賀美月の手にかかるまでの間に、この──」
 不運な男は、といいかけてやめた。運ではない。捜査の不備が招いたことだ。男が偽の自供をするまで追い込んだのは警察なのだから。
 言葉を飲み込み、言い直した。
「たまたま、この男と出会ったんでしょう」
 真琴が資料に目を落としながら頷いた。
「男の車両から毛髪や皮膚片が検出されたことも、富岡萌の遺体から男のDNAが出たことも、それで説明がつきますね。スムーズに進んだんですか? 黒伏さんが先手を打ったとか?」
「ご名答です。奴は出世しますよ」
「一番うまくやったのは黒伏さんですね」
「奴の手柄ひとつでジャックを逮捕できたし、被害者も救うことができたんだ。できすぎなぐらいですよ」
 ただ黒伏がどこまで公表するかはわからない。少なくとも組織にはびこるすべての膿みを出すつもりはないだろう。奴のことだ。上を震え上がらせるネタを掴んだのだから、切り札として取っておくに違いない。
「それで曽根さん、DNA型のデータベースって、一体どういうことだったんですか?」
 曽根は水を飲んで口を湿らせた。
「話しますが、ここだけにしてください。公表するかどうか黒伏に任せています。それが協力の条件でしたから」
 真琴が頷くのを待って、曽根は続けた。
「一連の隠蔽は、DNA型データベースの法制化を避けるためだったということは話しましたよね」
「ええ、ということは、いまは規制がないんですか?」
「利用規則だけで法はないんです」
 曽根は『裁判で無罪となった場合にDNA型データを削除せよ』という地裁判決について語ったが、真琴は聞いたことがないと首を振った。
「データベースの利用は犯罪捜査に利用できる強力な武器ですから、警察はデータの蓄積に躍起になっています。現在はデータ削除の基準を『死亡した時』『必要がなくなった時』だと決めていますが、いうまでもなく後者はまともに機能しなかったわけです」
「警察から見れば消すことに何のメリットもないわけですしね」
「その通りです。市民感覚では地裁の判決は当然だと思うでしょうが、この議論は以前から国会審議や日弁連が指摘し続けたことで、警察はのらりくらりとかわし続けていました」
「そこにまた、ジャックが現れた」
 曽根は頷いた。
 二年前、DNA型の特定から早々に捜査対象を絞りこんでしまった。容疑者の男に前科があり、状況証拠がそろっているのも災いした。
「なるほど。警察はデータベースを適切に利用できていない。つまり強力な武器を与えるに足る信用がないってことですね。極端な話、隠蔽ができるならその反対もできますし」
「そういうことです。個人の究極のプライバシーを国家公安委員会の規則ではなく法律で管理しようという議論が再燃する。世論も反応するでしょう。裁判が進むこのタイミングで隠蔽事件が明るみに出ることは、絶対に避けなければならない」
 組織の信用。
 蟹江が話していたことを思い出した。隠蔽することで信用を守るべきだという話も、あながち間違いではない。だが自分も関わった事件だ。どうしても真実が知りたかった。あわよくば告発が警察改革の嚆矢になればという欲もあったが、そんなことを言えば仲間にだって笑われるだろう。
 だから、根底は自己満足にすぎない。それでも一矢報いることができたのだ。納得する結末とはいかないまでも。
「データはそんなに登録されているんですか?」
「百五十万人に近づいています。実際、交通取り締まりのキャンペーンみたいなものです。ノルマがありますから、より軽微な犯罪でも採っていこうとなります。電柱に迷い犬の張り紙をしただけで採取された事例までありますよ」
「どうやって突き止めたんですか?」
「ジャック事件からこっち、告発のための情報集めを行いました。各方面に協力者がいますが、結局、この数日で黒伏と接触できたことが大きかったです」
「曽根さんは警察を信用してなかったんですね」
「手前味噌ですが、日本の警察は優秀です。でもそれは個人単位の話であって組織はそう簡単じゃない。現に隠蔽は起こっていますし、信用に足る組織ができあがったとしても、変わらないものはありません。法制化は必要だと思います」
 真琴はテーブルに身を乗り出し、片手で頬杖をついた。
「ところで、その協力者のことですが、川村教授も入ってるんじゃないですか?」
 曽根はどきりとした。
「聞いたんですか?」
 真琴はにやけて首を振った。
「勘です」
「実は、DNA型データベースについて調査するときも助言をもらいました。警察政治にも通じてますからね。神代さんに連絡する前に教授にお伺いも立てましたよ」
「ようやくわかったわ。曽根さんは捜査本部からの隠れ蓑に私を利用したのね?」
 真琴の険しい表情を見て、曽根は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。警察の意向に左右されず、誠実に捜査してくれる人が必要だったんです。本当に、誤解してほしくないのは、わたしは最初から被害者救助を最優先に考えていましたし、教授も神代さんを心配していましたが、やるかやらないかは本人に判断させたいと仰って──」
 曽根があたふたと説明を続けていると、真琴が破顔した。
「わかってます。別に恨んでません。でもうまく立ち回りましたね」
「わたしはフロントマンだっただけです。捜査に問題ありと思っていた者はほかにも多くいました。彼らの協力があってこそです」
「警察を去ってまで真実を暴こうという人がいなかったんですよね? 告発するにも、最後に泥をかぶる役目が必要になる」
 苦笑いで答えると、真琴が続けた。
「一番辛い役目じゃないですか?」
 手抜きを褒められているようで、何とも言えない気持ちになった。
「今度の事件では、みんな何かを犠牲にしてます。あなたもそうだし、川村教授にも無理をお願いしたし、蟹江も協力してくれました。どんな思いがあったのかはわかりませんが、感謝してます」
「わたしは足を引っ張ったんじゃないですか?」と真琴が笑った。
「実のところ、あなたが廃墟に踏み込んだ時には、これですべてばれてしまうのではないかと思って焦りました。一瞬、被害者の救出と捜査本部の隠蔽事件を天秤にかけましたよ」
「でも、約束を守ってくれましたね」
「もしも、を話してもしかたないですが、神代さんが犯人逮捕に尽力してくれたからこそ、道を踏み外さずに済んだ。被害者を二の次にしていたら、自分が許せなかったでしょう」
 曽根は今度は深々と頭を下げた。真琴は周囲の視線を気にして、曽根の肩を叩いた。
「やめてくださいよ。曽根さんには危ないところを何度も助けてもらったんですから」
 上目遣いに真琴を見た。
「まあ、正直、あなたは無謀だった」
「じゃあ貸し借りなしですね」
 曽根は資料を閉じて、重さをはかるように手元で眺めた。
 まだひとつ、話すべきことが残っていた。話しておくべきだ。
 曽根は意を決して切り出した。
「これは私のケジメなので、やはり話したほうがいいと思いまして──わたしがジャック事件の隠蔽を暴こうとしたわけなんですが」
「曽根さんも関わっていたんですよね。隠蔽に」
 驚いて言葉を失った。
 真琴はひそかな笑みを浮かべていた。
「知っていたんですね」
「曽根さんが異動したり危険を冒して隠蔽事件を追う理由が、マスコミや警察の体質にウンザリしたというだけでは説明がつかないとおもったので」
「二年前にDNA型データが出て、捜査が男の逮捕に絞られた時点でおかしいとは思ったんです。わかっていても言い出せなかった。臆病だったんです」
「自分が許せない気持ちはわかりますよ」
「そのときから警官を辞めるつもりでした。ただこのままにしてはおけなかったんです。できるかぎり証拠集めを始めました」
「それで蟹江さんともめたんですね」
 曽根は頷いた。
「お互い半人前だったってことですね。わたしは事件を解決したくても力が足りなかった。曽根さんは力はあっても勇気がなかった」
 真琴は椅子に深く腰掛けた。
「この後は、どうするんですか?」
「年明けで退職しますが、その後は考えてません。とりあえず誤認逮捕の後始末を見届けるつもりです」
「なにか償いをって思ってるんですね」
 曽根は頷いた。
 いまさら冤罪でしたと言われても、一度破壊された人生は元に戻らない。釈放された男の前に名乗り出て謝罪したとしても、ただ自分の荷物を下ろしたいだけの自己満足だ。だが、なにか助けになれるかもしれない。そうすべきだという気がした。
 真琴はしばらく考えてから口を開いた。
「彼を直接助ける以外にも、償い方はあると思いますよ。一番の大仕事はやり遂げたんですから」
「いずれにしろ、気が済むようにしますよ」
「あまり自分自身を追い込まないでくださいね。もしそういう思考から抜け出せなくなったら、いい医者を紹介します」
 思わず顔が綻ぶと、真琴も笑った。
 気が付くと埋まっていたカフェの座席はまばらになっていた。真琴も学生がいなくなったことに気づき、スマートフォンを見ると立ち上がった。
「資料、気のすむまで見たら返しますね。いろいろ、ありがとうございました」
 真琴が握手を求めた。
「また退職する前に連絡します」
 手を握り返し、もう一度感謝を伝えた。

 14

 スーパーに寄って帰宅すると、パジャマ姿の夫がリビングでくつろいでいた。ゲーム実況を見ながら、テーブルには晩酌セットが並んでいる。
「え、ちょっと、鍋作るっていったじゃん」
「おなか減りすぎてつまんでただけだから、大丈夫」
「ごめん。遅くなっちゃった。ちょっと学生の相談乗ってて」
 キッチンに入って食材を置いた。
「ああ、全然いいよ」
 夫が後からキッチンに入ってきて、鍋敷きや食器を取り出してリビングに持って行った。真琴は手早く調理をして、夫にできがあった鍋を運んでもらうと二人で食事をした。
「きょう曽根さんと会ったんでしょ?」
「うん、年明けで退職するって」
「そうか。マコは残るのか聞かれたでしょ?」
「迷ってるんだよね。正式に大学に雇ってもらうとしても、もうちょっと実績残してないと、なかなか」
「まあゆっくり考えなよ。とりあえず食えてるし、急ぐ必要はないからね」
 この数か月で完全に日常が戻ってきた。日々の何気ないやりとりでそれを実感する。仕事でどれだけ疲れていても、家に帰れば一息つくことができた。
 風呂から出てくると、明日が早いという夫はすぐに寝室に引っ込んだ。
 あとは歯を磨いて寝るだけ。一日の終わりにリビングでひとり、BGM代わりのテレビをつけてくつろいでいると、急いでいてソファに投げ出したままのカバンに気づいた。
 なかを漁って、曽根から渡された資料をとりだした。この数か月頭から離れなかった事件が、このファイルに詰まっていた。これが事件の集大成だという気がした。
 やっぱり、警察をやめようか。
 ファイルを膝にのせて、古賀美月のページを見た。彼女の治療はすでに始まっているらしく、医師の所見が申し訳程度に付記されていた。彼女が夫に依存しているという曽根の言葉を思い出した。退院した日に一度、取調室で会ったときのやり取りがぼんやり思い出された。
 古賀美月は夫に会いたがっていた。だがあの状況では、かえって会わないほうが治療には良いのかもしれない。それに、黒伏の言葉通り、あの男にそこまでの価値はない。離婚してからはすぐに姿を消したというし、面会に行ったという話も聞かない。もう会う気もないのだろう。留置場で話した時も、生活がめちゃくちゃになるだの、家も仕事もなくなるだのと、自分の心配だけをしていた。
 薄情だし、情けない男だ。
 仕事と義父の財産目当てだったのだとしたら、彼の被害者は古賀美月のほうかもしれない。
 古賀亮太の資料は夫としての基本資料と犯歴のみで、ほとんど記載がなかった。不起訴になってるのだから残す必要もないのだろう。
 過去の暴行事件に目が留まった。素行の悪い友人たちとつるんで女性の髪を切ったため、通行人に通報されたという経緯だった。重要参考人になった状況証拠のひとつだ。古賀亮太は今回同様、暴行に直接関わってないという判断で不起訴になっている。
 どこまでも運がいい男だと思って、ふと家族構成に目が留まった。
 家族は全員死亡とあった。死因の記載はない。
 胸騒ぎがして、平静でいられなくなった。
 家族が亡くなったのはいつ頃の話だろう。孤独な環境で育ったのだろうか? 嫌な予感が抑えられず、曽根に連絡した。
「遅くにすいません。古賀亮太のことなんですが」
 曽根は手帳を取ってくると言って電話口を離れた。
 その間、しばらく離れていた事件の記憶を思い起こしていた。

 ──古賀亮太が獲物を選択して、古賀美月が殺していた。
 ──家族が被害者となるケースはありますが、犯人に近いがゆえに最初か最後になることが多い。
 ──むしろ妻との生活は隠れ蓑になるはずで、うまく維持しつつ犯行を行おうとするんじゃないでしょうか?
 ──シリアルキラーには理知的なケースと衝動的なケースがあるが、ジャックについてはどちらかといえば前者だろう。
 ──身動きでないように手足を縛って、どこから切ってほしいって聞いたの。でも親切にもしてやったつもり。じゃないと死んじゃうっていうから
 ──見える範囲に自傷行為の跡はない。彼女の場合は、どういうわけか感情が他人への敵意にだけ振り向けられているのかもしれない。

 まさか。そんな。
 曽根が電話口に出た。
「一家心中です。父親が火をつけて、唯一の生き残りが古賀亮太だそうですよ。計算すると、十六才ぐらいのときですね」
 研究対象としていた過去の犯罪事件が脳裏を過った。
「犯歴に残っていた暴行事件ですが、その後、彼と一緒にいた半グレたちはどうなったんですか?」
「蟹江が追いましたが、足取りがわかったものはみんなグループを抜けて行方知れずか、内輪もめや抗争で死んでるようですが──」
 背筋が寒くなった。
 古賀亮太の後ろには、いつも死体が転がっていた。まるで数年に一度、関係したものを消して人生をリセットするかのように。
 半グレの友人も、古賀美月も、古賀亮太が操っていたとしたら? いやそれ以前に、古賀亮太は本当に『古賀亮太』なのだろうか?
 手のひらに汗がにじんだ。
 確証はないが、調べてみたい。
「どうしました? 何かあったんですか?」
「明日時間を作ってくれますか? どうしても相談したいことがあって、古賀亮太をもっと調べる必要があると思うんです」
 曽根は戸惑った様子で返事をした。自宅に迎えに行くというので時間を伝え、大学側には欠席すると連絡を入れた。
 通話を切ると、しばらく茫然とスマートフォンを眺めた。それから資料に目をやり、躊躇しながら古賀亮太の番号を押した。
 スマートフォンを耳に当てた。番号は生きていて繋がったが、呼び出し音が鳴るばかりで出ない。古賀美月の捜索を進めるうえで電話番号を交換していた。登録を残していれば着信相手はわかるはずだ。
 義父の前でかしこまっていた姿が蘇った。留置場では意気消沈と言った様子で座り込んでいた。あの姿が本当の古賀亮太なら、警察からの連絡を無視するとは思えない。
 しばらく呼び出したが応答がなく、通話を切った。真琴と同じくもう登録を消していて、知らない着信は無視しているだけかもしれない。思い過ごしだろうか。
 そう思った矢先、着信があった。
 バイブレーションに驚いて思わず短い悲鳴を上げ、スマートフォンを取り落とした。ラグに落ちて震えている画面には、いま掛けたばかりの番号が出ている。
 心臓が掴まれたように苦しくなった。恐る恐るスマートフォンを手に取ると、通話ボタンを押した。
 風の哭くような音がした。耳元に当てると、かすかにアナウンスが聞こえる。大きなターミナル駅らしい。
 まんじりともせず、聞こえる音に耳を澄ませた。相手は声を発しない。無言の時間が流れた。息を詰めているのが伝わったように、古賀亮太は言葉を発した。
「そうか、やっぱり気づいたんですね。この電話を生かしておいてよかった」
 声に覇気があった。知っている古賀亮太とは別人のようだった。
「古賀さん?」と思わず聞き返すと、鼻で笑うような声がした。
 言葉が続かなかった。
 古賀亮太は嬉しそうに続けた。
「この名前はもう捨てようと思ってたんですが、私に気づいた人間ははじめてだったので、一言、褒めておこうと思いまして」
 今にも通話が切られそうな気配を感じた。
「ちょっと待って!」
 思わず声を張った。古賀亮太は無言だったが、まだそこにいて、次の言葉を待っている気配がした。
「目的はなんなの?」
 くすくすと笑い声が聞こえた。
「思いのほか、わかってないんですね」
「ごまかさないで」
「自覚はないですけど、嫉妬、とかいえば納得しますか? みんな、ぼくにないものを持っている。欲しかったのかも」
「これだけのことができたなら、欲しものぐらい手に入ったはず」
「欲すると同時に、それが全く意味がないものだってこともわかってるから、虚しいのかもしれません。いっそ壊してしまいたいのかも」
「ふざけてるの?」
 古賀亮太はまた笑った。
「自覚してるのは、これが実験だってことです。誤解がないようにいっておきますが、女性を暴行したことなんてないですよ。誰でもいいのでデートすると、彼女が気に入らないパーツを切り取る。それだけです」
「古賀美月だけが、あなたが直接手を下した被害者だったのね」
「被害者、ですか。心外ですね。美月さんは元々他人に依存する方でね。しばらく試行錯誤してみたんですが、仕上がりは悪くなかったと思ってます。彼女は素敵な女性でした。最初の殺人には立ち会ったんですが、正直、どきどきしました」
 わずかに以前の声色が戻って、高揚しているのがわかった。
「切れなんて、まったく指示してないんですよ。彼女のコンプレックスや嫉妬がそうさせたんでしょうが、情熱的な手口だと思いませんか?」
「最初に殺された女性は、富岡萌と言う名前よ。わたしが捕まえるまで覚えておいて」
 また含み笑いがして、すうっと息を吸うのがわかった。
「もう行きます。曽根さんにもよろしくお伝えください」
「あなたは、何者なの?」
「さようなら」
 プツリ、と通話が切れた。

 翌年、当時の捜査責任者は自身の公判で誤認逮捕とその隠蔽について自供した。捜査官数名の責任が問われたが、判決文にはDNA型データベースや組織的隠蔽ついて記載されることはなかった。
 誤認逮捕によって刑に服していた男には刑事補償が支給されたが、およそ二年間の服役に対して、わずか六百万円ほどだった。引き続き、国家賠償法訴訟を提起するという。
 古賀亮太を名乗った男の足跡については、杳として知れない。

1:https://note.com/zamza994/n/nef2c2bd0746b
2:https://note.com/zamza994/n/n46a4a426f5cd
3:https://note.com/zamza994/n/n629a9ba47e0c
4:https://note.com/zamza994/n/n6c8b9fdb17a0
5:https://note.com/zamza994/n/n51ef7c2d95cc
6:https://note.com/zamza994/n/n7442a1ba8d6b
7:https://note.com/zamza994/n/n2bacc53787bd
8:この記事

#創作大賞2023

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