見出し画像

へっぽこぴーりーまん書紀〜2社目編 東京編vol.16

別れ

担当引き継ぎ挨拶も終わり、あとは引っ越しと異動を待つばかりとなった。それまでに、いくつか送別会もして貰った。餞別の品なども頂いたり。「無愛想で取っつきにくいボクにこんな施しをしてもらえるのか。」人の優しさが身に沁みた。
その中で、東京本店全体の歓送迎会が3月末開催された。ホテルのレストランフロアを借りた大規模なもので、東京本社の多くの人たちが集まる。
その中で、全体の前で挨拶をする機会が与えられた。

熱弁

ボクは壇上でマイクを握り熱弁を振るった。

確かこんな感じのことを言ったと思う。
お世話になりありがとうございました。新潟と東京は別の会社のようになっています。ボクが新潟に行き東京との架け橋になり風通しをよくします。期待していてください!!」
こんなことをぶち上げた。

ボクを配置転換した主決定権者である部長以上の連中は
「何を言ってるんだ?」というふうな冷ややかな目線の人がきっと多かったことだろう。
長年成果を出せず、営業職をお払い箱になった人間が。
何を言わんや。である。
ボクは当時学んでいたアドラー心理学を履き違えていた。

目的論。やりたいこと。「どうしたいか」を考えて語るのは一向に構わないだろう。しかし、現実とのギャップを見ようとしていなかった

ボクは送別会の時ごとに、
「会社を変えます!行った現場を良くします!」
とその次の現場をわかりもしないのに演説振り、大言壮語を吐いていた。

いくら夢を語ろうが、ボクの現実は昇級できず長く留まっている。へっぽこぴーりーまん。

ボクはなにかに浮かされたように、自己啓発に悪い方向で影響され、頭でっかちな状態になってしまっていた。
もはや完全にイタイ人になっていたと思う。

ボクが本来することは反省と総括であり、今一度自分の不得意はなにか。得意はなにか。の棚卸しと、対策。
次に行く部署の予習だったはずだ。それをせずに無策で異動を迎えることとなる。 

目的思考と分析思考

少しここまで書いてきて気付いたことがある。
特にボクは新卒から一貫して、自己啓発本、スピリチュアル系に手を出していた。自信をつけたいがために。不安感やプレッシャーから逃れたいために。
しかし、想いと裏腹にほぼ一向に状態が上向かなかった。
ボクはふわっとしたポジティブシンキングになりすぎていた(信仰しすぎていた)ように思う。
夢を描き、持つことが大事。夢を仕事にするといった自己啓発本に書かれた内容を鵜呑みにした。

もともと人生で状態が良かった時期・成果を出していた・人間関係がうまく行っていたときのことを考えると、ボクはポジティブシンキングでなくネガティブシンキング中心。
徹底的に細かい分析→徹底して言語化・自己否定→行動→反省・改善するサイクルが働いていたように思う。
そのサイクルにいた時の設定目標は、現実味のある数値化された目標。

自分の成功したときのパターンを振り返る限り、夢のような目標や絵空事をぶち上げて、宣言してうまく行ったパターンは無かった。

謙遜して自信が持てていなかったときほど、うまく行くパターンだったと思う。

実はボクの本来の強み・成功パターンはネガティブシンキングに基づく分析思考だったのではないかと思う。

もしくは、もともとリスクを見ない(見たくない)ところがあり普通にやると根拠のない楽観思考に走る傾向があるのではないか。

ボクの場合は、ネガティブ寄りに捉えていて丁度。
ポジティブ寄りに寄せると、暴走してしまう傾向にあるのかもしれない。
実際に、たいていポジティブ思考全開でいくと手酷い失敗しかしていないように思う。

それなのにポジティブシンキングを過度に信仰し、ネガティブを見てみぬふりをする。
「なんとなく楽しい感情が大事だ」
「人生で起こることの全てには意味がある」
「最高の状態・感情をイメージすることが、理想の未来を引き寄せる」

というふうなふわっとした思考に終始。
それが絶対良いのだと思い込んでいたと思う。

ふわっとした思考状態では、同時に分析思考は働か無い。
ボクは自ら強みを捨ててしまっていたように思う。

ポジティブシンキング・目的思考。

これも実は人によって合う、合わないがあるはずだ。

ボクの場合はポジティブ思考アプローチは合わなかったのではないか。

ボクは分析思考とネガティブシンキングのほうが得意範疇で、こちらをベースにして活かし、ブラッシュアップする方向で進めたほうが良かったのではないかと。

今更ながら思うのだ。

(→次回に続きます)








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?