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8/17の日記

「また日記でも書こうかな」なんて思ったら、周りでもそんな人が増えていて、なんだ夏は日記書きたくなるのか。夏休みの習性なのか、と思ったりする。

ただ単純に、日記というキーワードに自分が敏感になっていただけかもしれない。

書こう、書くか、なんて思っても実際にこの画面を開いてキーボードを打ちつけるまでには相当に時間がかかるものである。僕なんかは半年もかかった。そしてこの下書きも二週間ほど放置されていた。書くことに怠惰なのだ。

今年の初めから、また海外暮らしを始めている。
前は欧州を転々と、7年ほど過ごした。コロナが流行る前に日本に帰り、もう海外に行くこともないやろなぁなんて思っていたのに、3年そこいらで舞い戻ったのである。人生、というか自分の考えていることというのはわからない。

海外生活に戻ってすぐ、またnoteで日記を書こうと思った。日本にいた時はあまり考えつかなかったことである。日本にいると孤独を感じることが少ないからだろう。そして何かと忙しい。

海外生活はまさに字のごとく、家族身を寄せ合って暮らしている。こども達は現地の小学校に行き、妻は現地の食材と毎日格闘している。

日本にいてもどこに住んでいようと、忙しさはそんなに変わらないはずだ。むしろ慣れない海外にいた方が、考えること、やることが多くて忙しいはずなのに、「なんか書きたい」という気持ちが強くなる。それは寂しさから来るのかもしれないし、自分の不安を落ち着かせるためなのかもしれないし、忙しさからの現実逃避か、いや逆にやっぱり暇なだけかもしれない。

noteを書くのはご無沙汰だが、自分の日記帳には毎日欠かさず書いている。ここ数日、体調が悪いなと思って過去の日記を読んでみると、一年前も全く同じように体調を崩していた。夏休みに飲みすぎたらしい。「来年は気をつけよう…」と、一年前の自分が言っている。「ははは、気をつけてへんやん。なんのために書いてんねん」自分にツッコむ。そして来年こそは気をつけよう、とまた日記に書き込む。

いずれにしても、書いて残すということは、何かと便利だったりする。それが本音だろうと偽りだろうと、何かよからぬものを内に秘めておくよりは、書いてすっきりさせた方がよい。それが誰に対してであろうと、恐らく何かどこかで誰かしらの何らかのいずれかのどれかしらの…役に立つだろう。「なんのために書きますねん」なんて、後回しだ。また1年後にでも考えよう。



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