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何書こう

あぁ、もう随分書いてない気がするので、何を書こうかなぁ。

毎日書くことって大事なんだなぁと今更思う。

長年の欧州生活を終えて日本に帰ってきて、文字通りの「立ち上げ」をこの数週間やってきた。

しばらくぶりの日本は、母国とはいえ慣れないことも多く、それ以上に「どれだけ?」というほどの書類処理に追われて、なんだか自分の名前と住所ばかり書いていた数週間。

色々書きたいことがあったはずなのに、いざ書こうとすると書けない。やっぱり毎日書くのって大事。肩慣らしと言いたいけど、これまでのようにダラダラ書こう。

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こんな慌ただしい数週間のうちに、過去何度もnoteで登場してきたmy長男は、早くも日本の小学校に通いだして、なんだか向こうにいたときよりも楽しそう。

向こうにいたときは、毎朝一緒に朝ごはんを食べて、「遅刻するで!」などと言いながら、一緒に車に乗り込み、学校の門の前まで送って行った。車に乗ると二人で自撮りするのが日課で、そんな写真もたんまり溜まった。整理してないけど。それもなくなって少し寂しい。

日本の小学校は、それはまぁ当たり前なんだろうけど、毎朝自分で行って、自分で帰ってくる。1km弱の道のりを。

何度となく日本には帰ってきたとはいえ、息子にとっては、暮らすのがほぼ初めての日本で、「え!?ひとりで学校行ったりできるの!?」と最初は心配マックスだったのけど、親の心配はどこぞとばかりに、本人はとっても楽しそう。この間は帰り道にとかげを見つけて、それを絵に描いて教えてくれた。

実はあまりに心配で、一度だけ学校に行く道をこっそりついて行った日があった。その日は生憎の雨で、息子は体に不相応の大きなビニール傘を持って、おまけに、その日は荷物が多く、傘の取っ手に鍵盤ハーモニカを引っ掛けて、「おいおいそれは危ないやろ!」みたいな出だしで意気揚々と出て行った。

僕はというと、逆にいかにも分かりやすいような上下黒づくめの格好で、でも傘はマリメッコの赤と白の派手な花柄の折りたたみ傘しかなく、息子が出て行った数十秒後をまるで変質者のようにコソコソ隠れながら付いていった。

息子は一人で学校に行けることを誇りに思っているもんだから、こちとら気付かれずに、派手な赤と白の傘に隠れながら?数十メートル跡をつける。

事前に通学路を歩いた際に、「ここは危ないかも?」なんて思った道に、きちんとPTAの人が立っていたりして、安心する。(僕はただの怪しいおじさんと認識されたと思う)

子供の足で、10分そこいらの道のりだ。

ふらふらと、大きなビニール傘を持った小さな息子の周りに、それぞれの道から、いろんな色の傘が混ざってくる。赤とか、青とか黄色とか。

まだまだ小さな息子の傘は、あっという間にそんなカラフルな傘たちに隠れ、見えなくなってしまう。

「それでも…」と少し離れたところから必死に姿を見つけ、向こうは振り向きしないのにこちらは必死に身を隠し、PTAの人には全力で(怪しまれないよう)挨拶をする。

やがて小学校まであと50メートルほどの一本道に差し掛かった時には、息子の大きなビニール傘はもうすっかり他の傘達に飲まれ、なんだかまるで、カラフルな落ち葉が一気に小川に合流して流れていくみたいに、僕の気も知れずすっと姿を消してしまった。

それで僕はすっかり目的を失って、ある意味では目的を遂行したのかもしれないが、息子が学校にだどり着く様子を見ることもなく、背を向けて帰路につく。

帰りながら、息子よりもひと学年下だろうか、小さな男の子が、同じく体には不相応な大きな傘を持って、走って学校に向かう様子を見る。

それで思わず、「あぁ、大丈夫なんだなぁ」と声に出す。

そうだ、大丈夫なんだ。

海外に長く住んで、まぁそれは日本でも同じなんだけど、家族は自分が守るんだ!という意識が随分強くなっていたんだなぁと実感した。

幸い日本は治安がよいし、家族を守るという定義が少し和らぐのはある。それはそれでホッとして、同時に随分寂しくなる。

大丈夫なんだ。あぁ、そうか、大丈夫なんだなぁ、と。

引越しやらなんやらで、日本に帰るときも帰ってきてからも、「寂しい!」なんて一寸も思わなかったはずなのに、なんだかそんな帰り道に、随分寂しさを実感して、少し涙ぐんでしまった。

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久しぶりとはいえ、これまで通り、なんの脈絡もなくダラダラと書いているけども、やっぱりnoteに書くのっていいなって思う。

別に無理くりタグをつけたいわけではないのだけど、今のnoteのお題に沿うなと思って書き足すと、今の息子もまるで社会人一年目と同じだぁと思う。

実は本人は不安でもあろう、でもきっと、今まで自分でやってこなかったこと(例えば一人で学校に行って、ひとりで帰ってくるなんて!)をやって、きっと得意げなんだと思う。

僕もそれを見ていて、得意げである。

きっとそれでいいのだと思う。うまくいく日もあるし、いかない日もあるだろう。それを、僕や妻に話したいときもあるだろうし、うまく整理できなく話せない日もあるんだろうなぁと思う。

別にそれをちゃんと聞いたわけでもないから、これはまた勝手な僕の妄想なんだけど、きっとまぁ、息子は息子なりに、楽しくうまくやっているのだろう。それが僕と妻にとっての、何よりの幸せだ。

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少しだけ僕の、社会人一年目と重ねると、これもまぁ無理やりかもしれないが、自分がうまくやってる、楽しくやってると思う一方で、気をやきもきさせてた人がいたんだろうなぁと、ちょっと考えてしまう。

だからといって、どう?って話でもなくて、それはきっと一年目とか何年目とかそういう話でもなくて、自分が一生懸命で周りもよく見えず死にものぐるいで、なんで僕だけが私だけが!?みたいな地獄にいたって、ちゃんと見てくれて、気にかけて、上下真っ黒な服でアタフタしながら見守っている人がたぶん、たぶん、けっこう近くにいるんじゃないかなぁと思う、誰にも。いまの僕にも。

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久しぶりのnoteも、相変わらず見返しなく一発録画で投稿だけど、書いたらなんだかスッキリしたなぁ。もう少しお題にあわせて書き直したい気もするが…。

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日本に帰ってきての楽しみは、noteで知り合った人と、実際に会って話すこと。できれば酒でも飲みたいなぁ。近くには住んでいる(と思っている)人にはお声がけを始めた。落ち着いたら遠征もしたいなぁ。とりあえず、うまいもん食って、うまい酒を飲みたい。

いろいろとこれからだ。それは何年経っても変わらないなぁ。




お蕎麦屋さん開きたい。