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11/25の日記 (走る)

ぴぴぷるさんのnoteを読んで、あ、今日走ろ、と思ってランニング。

息子のお絵かき教室の間の二時間。ほんとは家で雑用などを済ませる時間に充てようと思っていたのだけど。なんだか走ったほうがいいような気がした。

ランニングは別にまったく趣味でもなんでもなかったのだけど、運動がてら、気晴らしがてら、二年前ほど前から始めた。昨年はずいぶんな距離を走ったのに、今年はその半分も走れていない。

ここ最近定期的には走れていないし、定期的に走っていないと、久々に走ったとき、走れない。なんでもそうか。文章を書くのもそうかもしれない。筋トレみたいなもん。

靴さえ準備すればランニングはどこでも出来るよ、というけれど、走る!という気持ちが一番なかなか準備できない。それが一番重要じゃないか。今日なんてどんより曇り空でいつ雨降るかもわからんし、何より気温見たら0度…え、ゼロ度!?という感じ。でも走るのだ。走ると決めたら、走るのだ。

準備運動も面倒なので、もうとにかく走り出す。寒いから手袋、ネックウォーマーも忘れずに。吐く息はもちろん白い。人がいない。こんな救いようのない色の空の下、午前中からも誰も出かけたりしないかぁ。

今日も久々に走るので、ちょっと不安なスタート。10キロ位を一時間で走れるといいなぁと思いながらもタラタラ走る。

走り出すと、思いのほか体が動く。体のコンディションより、心の方が重要なのかもしれない。走ると決めたから、走れるのかも。ペースも途中から気にしなくなる。ペースを気にすると、「ちょっとあげないと」とか、「やっぱり今日はダメだな」とか思って、途中で走るのが嫌になるときがある。ペースなんて気にせず、景色とか音楽を楽しみながら、何も考えずにタッタッタッと走る。そっちの方が楽しい。

何かに行き詰ったり、心がなにかに引っかかるとき、散歩でもランニングでも、書くでも食べるでも酒を飲むでも、なにかしらの出口を持っていたい。出口と言ったって、それさえすれば大丈夫!というようなものではないのだけど。たまに何やっても、うぉー!うまくいかんなぁ!なんて日々もあって、そういうときって、いろんな出口があるってことすら忘れがち。

トントントンとリズムに乗って生活するのも、それはそれで悪くはないのだけど、そのリズムありき、になってもしんどいよなぁと思う。そのリズムが自分では管理しきれないことで、トトントン、トンとかになると急に体が疲れてしまったり。

自分のリズムを整えられる人というのはいい。それが書くでも散歩でもお酒でも料理でもなんでも。また、そういうのに気付かせてくれる人や文章も素敵だなと思う。また来週も走ろう。

ぴぴぷるさんのnoteはこちら↓


お蕎麦屋さん開きたい。