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クレーンゲームは手段ではなく目的だった


ほんの昔々、ハッピーセットのカービィに惹かれつつ、あまりのフィーバーぶりに軽く冷めて身を引き、唯一無二性に思いをはせた三谷乃亜という人がおりました。



そんなある日のこと。

何の因果か、乃亜の手の中にはカービィのぬいぐるみマスコットがあったのです。


ちょっと糸がぴろんとしているのも、
因果を感じてしまう。


こちらはハッピーセットではなく、プライズ品。「初心者向け」と書かれた筐体で1回で見事獲得したのだ……友人が。私も1回やったけど駄目でした。


丸っこいし、こんもり積まれていたし、もう少しアームがズレていればコロンといけたはずなんだよな……。でももう1回やるのは我慢した。偉いぞ私。



プライズ品はクレーンゲーム機にしかないという「限定感」や、自分の手で手に入れるという「達成感」を持つ。そして可愛い。

つまり私の大好物詰め合わせ。もはやハッピーセットである。

そのため社会人1~2年目あたりにすみっコぐらしの16㎝ぬいぐるみを700円分で取れたことをきっかけに、休日になればゲームセンターに足を運ぶ期間があった。700円の直後、同じシリーズのを100~200円で取れたのがまたマズくて、一気にハマってしまったのだ。


明らかに無理そうな大きなものは狙わないものの、500円くらいで確率がくる小さいぬいぐるみは「そこまで損じゃないだろう」と割り切ってよくやっていた。しかし別のゲームセンターで挑戦した16㎝すみっコぐらしに1,500円かかった時、クレーンゲームとの距離感を考えるようになったのだった。


左手前から時計回りに、700円、200円、1500円。
こういうのは金額を忘れたほうがいいんだけどね……。


***


他に費やすものができたというタイミングがちょうどあったかもしれないが、それからは滅多なことがないと100円すら入れなくなった。いや、100円でも入れると一寸先は闇。100円の重みがどんどん軽くなってしまうので、その1枚を耐えられるか否かはかなり大事なのだ。


そもそもクレーンゲーム機に近寄らなければ葛藤も生まれないのだけど……ぬいぐるみが可愛いのが悪いのだ。

私がよく狙っていたのは上のすみっコぐらしだったが、あのサイズ感と質感、そして毎回変わる衣装はお店で売っているものよりも魅力的に感じた。プレイしてもらえるよう、諦められなくなるよう、とりわけ可愛く作っているに違いない。悔しい。今でも新しいのを見かけると口の中で「ぐぬぬぬぬ」と唸っている。



***

結局下手なままだし、仮に取れたら置き場所に困るからクレーンゲームはやめようと思っていた。

しかし友人に連れて行ってもらったゲームセンターに10円でできる筐体が一列ぶわーっと並んでいたのを目にし、やらずにはいられなかった。

結果、2回で小さなお菓子をゲットしたのだが、これによって私はクレーンゲームという遊びそのものも好きなのだということを実感した。中に入っている欲しいものをゲットするための手段ではなく、ほぼ自分の力で景品をつかみ取るという行為に楽しさを感じているのである。


景品が下に落ちてきたときの快感。

「いける!」と思ったのに落ちてこなかったときの悔しさ、そしてムキになりそうな感覚。



久々にプレイして抱いた2つの感覚は、どちらも胸躍るものだった。いわゆる「脳汁が出る」というものだろうか。

それと同時にヤバいなとも思った。近くにあったらまた通うやつだぞ……と。



10円のに関しては10回やっても100円。気分転換の1つにしてもいいんじゃないか?と思う一方、同じフロアに魅力的なぬいぐるみがあるのにお菓子だけで本当に我慢できるのか無理だろう(食い気味)と思う自分もいる。既にカービィのリベンジがしたいし。


友人からもらったにもかかわらず、その日から定期的にカービイ筐体が頭をよぎる。やっぱり私はクレーンゲームが好きなんだな。








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