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2023年を振り返る~うつ病と大失恋と国家試験と私①

皆さん、お久しぶりです。
白石明日香です😊💕

1年以上ぶりの執筆になりますでしょうか。
以前は美容ラジオパーソナリティとして、かわさきFMの某番組に出演させていただいており、その延長線上でnoteを執筆しておりました。

noteを執筆していなかった期間、様々なことがあり、ラジオパーソナリティは引退し、特に肩書きのない普通の人として生活をしていました。
今回、久しぶりにnoteを書いているのは、様々な心境の変化や今後自分が目指していきたい姿を叶えるためでもあり、また私と同じように精神疾患と闘う人たちの何か力になることはできないかと思い、私の経験をnoteで発信していこうと思います。(ここら辺のお話はまた別記事で詳しく執筆できたらと思っています😊)

今回は久しぶりの投稿になりますが、2023年を振り返ってみたいなと思ったので、よろしければ一つのエンタメとして楽しんでいただければなと思います(笑)


というのも、本当に激動の一年だったからです。






2023年を振り返ってみようと思ったきっかけ

まずこちらのポストをご覧ください。


このアカウントはXにて私の匿名アカウントです。(もうここに書いてしまった時点で匿名性は無くなる…苦笑)
2022年の10月に上記のような目標ポストをしていたんですね。
これを常に固定ポストとして過ごしていたのですが、そろそろ2023年も年の瀬、このポストの目標がどれくらい達成されたのか振り返ってみたくなったんですね。



「え、そんなのXでやればいいじゃーん?」



と思ったそこのあなた!!
Xでは語り切れない本当に激動の1年だったので、この経験も誰かの何かを行動するヒントになればと思い、noteで記事として執筆しようと決めました。



2022年10月7日のわたし


前項で引用したポストの投稿日をご覧ください。
2022年10月7日のpm11:05。
この振り返り記事はこの時期あたりの私の話から始まります。


当時の私はうつ病の症状MAXの状態をだいぶ無理やり振り切って行動して、地元の企業に就職が決まって1か月経った頃でした。

2022年のほとんどを絶望的な感情で過ごしていました。
前半なんて転職した会社をたったの3か月で退職をし、うつ病不安障害が悪化したため東京で一人暮らしをするのも難しい状態になってしまい、東京を離れたくなかったけど、両親に強制的に実家へ戻され、そこから「ああ、もう私には何もない。生きてても意味ない。なんで生きてるんだろう」と毎日絶望し、体も動かせなくなり、ベッドで永遠に横たわっていました。


実家に住まわせてもらってはいましたが、このままの状態でも変わらないなたと思えた一瞬があり、それを見逃さず半ば強引に自分を叩き起こしてやっと地元の企業に雇ってもらい、働いて1か月が経ちまあ普通に仕事して寝て食べてができるかなあくらいの状態が2022年10月の私でした。



この頃、なんでこんな目標をポストしたかというと、うつ病で2度も転職し、それなりの大学を卒業してきたのにも関わらず、地元の学歴不問の会社にしか勤められない自分のことが兎に角ものすごくコンプレックスだったのと、一人暮らしをもう7年もしていたので、家族と一緒に生活することに息苦しさを当時の私は感じていて、早くまた都内で一人暮らしそして都内就職をするぞ!という思いから、このような目標を掲げました。

・2023年通関士資格取得
という目標もなんとか自分の人生を取り戻したいという思いもあり、受験することを決めた資格でした。(取得できた今は人生を取り戻す以上にもっと素敵なものを得られました。)



2023年12月のわたし


あの目標を立ててから今までを振り返る前に、私自身の現在を書いてしまった方が「どうしてそうなった!?」と面白いかなと思うので、結果である現在の私についてここで書いちゃいますね😚


・今もまだ実家に住まわせてもらっていて、仕事も2022年10月に勤めていた会社に在籍中。=うつ病悪化で3か月で退職歴もある私が、うつ病治療中でも1年以上同じ場所で働き続けられている◎
・通関士試験には無事合格💮今は会社で通関士として働かせてもらうための準備をしている。
・大失恋から完全に立ち直り、今はとにかく仕事や自分の叶えたい未来のために行動することが楽しく仕方がない!=新しく叶えたいことが生まれた!
・精神科の通院間隔が1か月に一回→1か月半に一回でいいよと先生に言われるくらい順調に回復してきている。

わたしの人生より引用


2022年10月の私からかなり変化できたのではないかと自分では振り返っています。
この記事を読んでくださっている皆さんは私の変化についてどう思われますか?



人生の転機を自分の手で作りだす



2022年10月の私はとにかく自分の人生を立て直さなきゃという思いでいっぱいだったと記憶しています。




当時26歳。高校生の頃は27歳になったら結婚していたいと言っていたのに、彼氏すらいない。
というか彼氏いたのだけど、3か月前の7月の自分の誕生日当日に別れを告げていた。
彼氏どころかうつ病で仕事もまともに続かないし、自分にとって誇りでもあった新卒入社でお世話になった某アニメーション会社も退社してしまい、自分には何もないと思っていた。

ただ、ここからまた東京へ出てなんとか人生を立て直したいと思ってはいた。
絶望はしていたけど、根本は腐っていなかった。



奨学金の返済やうつ病になる前に自己投資として勉強のために講座を受講しその支払いなどもあり、とにかくお金が必要で地元の貿易会社に就職した。
今まで接客と営業の経験しかしたことのない私は、貿易業界のこともよく知らず、ただ得意だった英語やドイツ語が活かせるかもしれない、貿易業界での実務経験はないけど、語学ができればなんとかなるかもしれないと入社した。



結論、この会社に入社できたことが私の仕事へのイメージをがらりと変え、また受かれば人生の転機となるかもしれない士業に出会うことができた。



私は今も在籍している会社で「通関士」という職業と出会った。
通関士は貿易をして物を輸出入する際に必要な役割を担っている。
海外では通関士という資格や士業はないのだが、日本の貿易業界で通関士の資格保持者は重宝される傾向にある。
通関業法では一定の貨物のみ取り扱う通関業者以外は必ず1人以上は通関士を保有していなければいけないという法律もあるくらいだ。



私は通関士という職業に出会った時に、これだ!と思った。


当時、大学卒業してきたのにも関わらず、思い描くような自分にとって成功していると言える人生を歩めていないことに本当に焦りを感じていた。
そんな私は大学は卒業したけど、できることと言ったらドイツ語と英語くらいだし、でも語学なんて大学出ていなくてもできる人はできるし、じゃあ私にしかできないことってなんだろう、私が存在することで社会や企業、コミュニティに役に立てることって何だろう、と考えた時に何もない自分に絶望した。


「自分にしかできない何かが欲しい…」


そう考えていた時に通関士という職業に出会った。
国家資格で、合格率は平均5~10%。


今は2022年10月。
次の通関士試験は2023年10月1日。
ちょうど1年後だ。


”通関士に合格して、もう一度自分にふさわしい場所へ行こう”





この決断をしたことで、私の波乱万丈な2023年が幕を開けることになったのです。




to be continued…


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