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夏のブラックホール

何も考えることができず、
世界の時計の針が、今、全て停止したような気がした。

セミの声も頬にあたる風も感覚がなくなり、何も聴こえない。何も感じない。

ただ、全ての時が停止をして目の前の色彩豊かな世界は単調な暗闇に変わった。

闇は深く、どこまでも底が無い穴のようだ。
そうだ、この穴に私は落ちてしまった。
今は光さえ見ることができない。
光さえ飲み込む、暗黒のブラックホールに吸い込まれてしまったのだ。

「戦わずして、試合ができない状態で、君たちの最後の夏が…」

聞き取れた声は、そこまでだった。

全ての音、光を失ってどのくらいの時間が経っただろうか。
気がつくと、部室の前で外のただ一点をぼぅと見つめていた。

顔の前に人影が現れた。
「大丈夫…じゃないよね」
さくらが心配そうに、眉間にしわをつくり、上目遣いで声をかけてきた。

「うん…もうなんだか実感がないんだ。何か全ての感覚が無くなってしまったような気がして」
素直な気持ちが声になって出た。

「はい。今日は私の奢りでいいから」
真っ青なラベルのスポーツドリンクは、少しぬるくなっていた。

キャンプをあけて、口に運ぶと少し落ち着いた。
周りを見渡すとすっかりと日が深く射し込んできている。
どれだけ長い時間を失っていたのだろうか。
「みんなは?」
「帰ったよ。もう、とっくに。たかしだけだよ。完全に遠い星に行ってたよ。ありゃ」
さくらは呆れて苦笑しながらも、思い直したようにいたずらぽい笑みを浮かべた。
小さな時から何も変わっていない大好きな笑顔。
だけど、そんなことは当然に本人に言えるはずもない。

「たかし頑張っていたもんね。最後の夏だからって、それなのに試合ができずに棄権って…」
さくらは、急に声をあげて泣きだしてしまった。
「ごめんね。本当に泣きたいのはたかしなのに」
鞄からタオルを取り出し、さくらに渡した。
タオルで涙を拭う、さくらの姿が2週間前の自分に重なった。


土手を歩いていた、さとしが不意に足を止めて振り返った。
「俺、この大会が終わったら、さくらに自分の気持ちを伝えようと思うんだ」
あんなに動揺したことはない。何故。何故にそれを私に。
「えっ、何故にそれを…」
思ったことは声になって飛び出していた。
「だってたかしもさくらのことが好きだろ。常に正々堂々といたいんだ」
さとしはスポーツもできて、勉強もできる。
そして性格もまっすぐだ。

なんて答えたかも覚えていない。
ただ夜にそれを思い出して泣いた。
風呂あがりに不意に涙が止まらなくて、タオルに顔を埋めてただ泣いた。

最後の夏で自分もカッコいいところを見せれば、僕だって。
窓から外をみると月が優しく笑って微笑んだ。


タオルに埋めたまま、さくらが涙声で話をはじめた。
「そういえばさっき、たかしが違う星に行っている時に、さとしくんから大切な話を聴いちゃった」

「大切な話ってなんだよ」
だいたいに想像がつくが、何故、今、私にそんな話をするのだ。

「さとし君はたかしにも相談したって言ってたよ」
「それで」
「もう言わない」


ジジジとセミの声が二人の間を通り抜けた。

灼熱に燃える太陽の光が現実も世界も全てを焼きつくしてしまえばいいのに。

さとしに勝てるかもしれない、逆転のチャンスも全てをかけて打ち込んできた時間も僕の夏はもう終わったのだった。

「さくら、そういえばお母さん、もうすぐ退院なんだろ。良かったな。本当に良かった」
「人の後ろに目は、ないよ」
想像しない言葉が、さくらから返ってきた。
「私、泣いてたの。お母さんが、このまま退院できないじゃないかって、泣いてたの。そうしたら、お母さんから電話があって言われたの『さくら、人の後ろに目は、ないのよ』って。もし私に何が、あなたに受け入れがたい何があったとしてもただ前に進みないだってさ。なんだか、急にたかしに伝えたくなったの」
「ありがとう、さくら…」
そう伝えるのが、今の精一杯だった。

さくらの電話が嬉しい便りを届けに、明るい音でやって来た。
「うん、うん。本当に良かった。今、学校。急いで帰るから」
「お母さん、帰ってくるって。退院したって、私、急いで帰るね」
「うん、僕も帰るよ」
慌てて、学校から駆け出した。

前を走るさくらが不意にこっちを振り返った

「たかし、しっかりみててよ。その目で私を見て追いかけてよ。よそ見なんかしないで、一緒に走ってよ」
「もちろん、前を見て、さくらを見て走るよ」

さくらは、さとしのことをどう思っているんだろうか。
今のは僕にもチャンスがあるってことなのかな。
思わずにやけてしまう。

「ほら、しっかり見て、一緒に走ってって言ったでしょ。おそ~い~!!」
元気な太陽が、道の向こうで叫んでいる。

たかしは、ブラックホールから完全に飛び出していた。
目の前には新たに星が、いくつか明るく輝きだし二人を見ていた。

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