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雑誌の中身

私のバイト先の本屋さんでは雑誌を面陳列するスペースに収納があって、図書館の雑誌陳列棚を思い出せる方はそれを浮かべてほしいんですけど、ああいう感じの収納に雑誌の内容にリンクした本を並べる、ということをしています。

私はこれを雑誌の中身と呼んでいます。たぶん誰にも通じないと思う。
雑誌の中身作り、ただこれはもう毎月やるのはかなり大変なのであんまりちゃんとできてない。この間久しぶりにやってみたらなんかすごい下手くそになっていて今後ちょっと練習の必要があるなと感じたのでなんかその過程を記録できたらなと思うんですけど、私が何かを記録していこうとして続いたことはないのでこれっきりになる可能性も高いです。なんなら3ヶ月後くらいにはこの記事も消えているかもしれない。ですがまぁ少し書きます。

ミュージック・マガジン2023年2月号です


そもそも下手になったなと思ったきっかけがこの雑誌。君島大空さんが表紙なのでちゃんとやりたいなと思ったんですよ。ファンなので。
しかもこれは追悼記事ですけど、マニュエル・ゲッチングの特集もされていて珍しい。水木一郎の訃報への応答としてバロム1をうたっている時に聞いたニュースで理解に時間がけっこうかかった、まぁ、まぁ、これは余談です、マニュエル・ゲッチング、君島大空さん自体がラジオでクラウトロック回やったりしていて、ちょっと縁のある並びなんです。

それでいれたのがこの辺。

『現代メタルガイドブック』はそもそも薄い、君島大空が載っているというだけでいれていて意味が薄いんですけど、これはもう最近出たしね、みたいな 薄いですけれども、合わせてどうぞという意味では仕方ないなと思ってしまい、その辺からしてもうちょっと弱いのかもしれない。頭が。弱くなっているのかもしれない。
『クラウトロック大全』も比較的新しい、去年の本だったと思う、ディスクガイドあんまり売れないんだけどつい入荷してしまうので並べておきたいというのもあります。
『フューチャー・デイズ』ではマニュエル・ゲッチングのことを頑なに"ゲッチン"と書いてあって不思議なんだけど、600ページちょっとの中にクラウトロックというワードが何回出てくるんだろう、というのに笑ってしまう、私この本すきなんですよね。

でまぁ、マニュエル・ゲッチングといえばやっぱりAsh Ra Tempelだし、このバンドといえばどうしてもseven upというアシッド入りのセブンアップまわしのみしながらセッションして作ったアルバムのことが(大して聞いてもいない私みたいなのの間では)知られているように思うので『知覚の扉』〜『幻覚剤は役に立つのか』の流れがあるんですけど、『幻覚剤は役に立つのか』はいまNetflixでも番組できてますね。あれです、あれの本です。『人間は料理をする』とか書いている人の本です。
そこからアンナ・カヴァンになる、ヘロイン中毒者でありながら創作活動を続けた人ですからね、というのと、君島大空さんが何度かすきな作家として名前をあげている人というところで一旦線を繋ぎます。
まぁこの辺は普通だと思う。『現代メタルガイドブック』が薄いにしても、他がきっちりしていたらあんまり気になってなかったと思うし。
なのですがここからこの残りのスペースをどうするか、みたいな時になんかすかすかしてしまったんですよね。何にも思いつかなかった。
結局、吉増剛造の『火ノ刺繍 吉増剛造 2008-2017』 ………剛造さんは私の息子と誕生日が一緒です。ということ以外に言うべきことが何もない、君島大空が影響を話している人だから、というのがまぁ置いた理由なんだけど、だから何?って話ですよね。『映像のポエジア』の方がまぁ、内容に関しては寄っていると思う。君島さんのロングインタビューとタルコフスキーが序文で話していることはわりとリンクしていて、これはどちらも読んだらわりと大体の人に納得してもらえるんじゃないかと思う。
金曜日に入荷して、当日雑誌を引っ張り出して陳列して中身入れ替えて、というのが他の作業、珈琲いれたり仕込みの確認をするなどね、をしながらその合間でおそらく10分くらいのことだったんだけど それはこういう業務としてはわりと時間をかけている方で それでこれかー、という感じ。
土日休みで仕事のことあんまり真剣に考えていないにしても代わるものを思いついているかと言われたら全然で、頭がボケてるなぁと思う。

本屋になってわりと年数が経ってきたんだけど年数だけで何かよくなったみたいな手応えを感じたことって全然なくて、リアクションに肯定的なものが多くなってきたなとかはあるんだけど。それが自分のコントロール内の話かと言われたら、まだ偶然というか運によるものという感じがして、信じきれない。あんまり一対一の密なやりとりによって買ってもらうとか信じてもらうみたいなことも違うなと思っていて、それは間に本というより人間同士の縛りが生じているように感じる。そのコミュニティ内でなんかやるなら友達同士が薦め合うのと大差ない気がするんですよね。もうちょっと、なんか全然赤の他人として間に本があってそこだけ残るみたいな状態を保ちながらどうやったら本を渡せるか、みたいなことをここ数年ずっと考えています。