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ヒグチユウコ壁

バイト先のそばでヒグチユウコ展がはじまったことを記念して勝手にヒグチユウコ壁を作った。本当はMOEがもっとずらっと並んでいて他のスタッフに「狂気を感じる」と言われていたんだけど割と売れてしまってもう在庫がこれしかない。
店の在庫自体雑誌以外はタイトル各一冊が基本の古本屋みたいな店なので売れたら再入荷するまで補充ということができない、まぁあくまで基本でややだぶってるのもあるんですけど。なので減り方に危機感を覚えていますが、とりあえずそれでも違うタイトルを並べられるほどヒグチユウコの著作が多いのは勿論、装画、表紙絵ですね、をしている本はかなりあります。

ボリス・ヴィアン『北京の秋』(河出書房新社)

私がバイトしている本屋はいま流行りのブックカフェみたいな性格もしていて、購入前の本でも席で読める場所なので本にはけっこうビニールカバーをつけています。ので表紙上が傷んでいるように見えますがこれはビニールのたるみが照明に反射しているせいです。
ヒグチユウコと言われてから見たらヒグチユウコとしか思えない装画なのに気づくまで随分かかりました、これは。

穂村弘『シンジケート(新装版)』(講談社)

こちらも。穂村弘の装画は他にも『図書館の外は嵐』というやつがヒグチユウコの絵で、そちらに比べるとこちらの方がだいぶヒグチユウコみが強いのではないかと思う。ヒグチユウコみってなんだという話ですが。主観です。

表紙、私は表紙のことをジャケと呼ぶことが多いんですけど、ジャケだけを基準に並べるということはわりと本がすきな方には邪道かもしれません。10年前だったら私も「けっ」と思ってたかもしれない。
でももう最近ひらいてもらうとっかかりとしてそういうのも全然ありだな、と思ってきた。見目にひかれてひらいたらごりごり難しい本で何これ無理〜、みたいなこともあるとは思うんですけど、見目がいいばっかりに買っちまった本が遅効性の爆弾として後々その人に影響することがあるかもしれない。
途方もなく時間がかかるとしてもちゃんと爆弾として機能しうる可能性を含んだ本なら、とっかかりがなんでもいいじゃんと最近やっと思うようになりました。見目も中身もいい本がたくさんあることを知っているし、何より見目のよさでひっかかって買った本に目を通して衝撃を受けてくれたお客さんたちを見てきたからというところが大きいです。ひらいてくれる人のことを基本的に信頼します。私は。10年後でいい。買った本人でなくていい。どっかで爆発してくれることを割と本気で信じています。
でないと本屋なんてとてもやっていられないというところもある。

柳田國男『遠野物語』(大和書房)

この『遠野物語』、繊細な筆致は確かにヒグチユウコだな、と思うんだけど全然我が前に出てない、かっこいいなーと思います。本を手に取る人たちが誰であっても、どんな理由で『遠野物語』に興味を持つんだとしてもすっと手に取れるし馴染む。でも華もある。かーっこいいなー!!!

あと単純に、本読まないスタッフ バイト先にはそういう人も結構いるんですけど そういう人たちにもよろこんでもらえたらいいなと思った。全然読まないスタッフ、がリアクションしているの見るとよし、よし、と思います。

そういう人たちがつい『動物農園』手に取ってくれないかな、みたいなことを願ってしまう。

ジョージ・オーウェル『動物農園』中央公論新社

まぁほぼないんですけど。ひらいたとしても通読はしないんですけど。しないけど、作家でもタイトルでも一行でもなんかひっかかって残ったら面白いなと思います。同じ話を繰り返してしまった。ヒグチユウコ展、盛況らしいです。