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【日記】お墓と2つの士

「俺は自分の名前が嫌いなんだ。」

祖父の言葉で、印象に残っているものの1つだ。

祖父の名前には「士」という漢字が使われていた。士は武士の士にも使われる。人を殺めることを生業としていた武士に使われている漢字が自分の名前に入っている………祖父はそれがどうしても気に入らなかったのだ。

彼が亡くなってもう8年が経つ。

もし生きていたら今でも同じことを言うのであろうか。

私は生後8ヶ月の息子を抱っこしながら、祖父の墓石に刻まれた「士」という漢字を見つめていた。

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母方の祖父は大士という名前だった。近所のお坊さんが付けてくれた名前らしい。士には、立派な人という意味があるそうだが、祖父は名前の通り、大きく立派な人だった。

10代で仙台から上京。20代前半で起業、会社を設立し、高度成長期の時運も手伝って会社は大きく成長した。

祖父は私の家から車で30分ほどの距離に住んでいて、私は月に一度は会いに行った。優しいじいちゃんが大好きだった。

祖父は私には優しかったが、他の人にはとにかく厳しい人だった。家族にも辛く接したし、経営者として従業員を怒鳴りつけることも多くあった。昔ながらの職人のような性格……と言ったらいいだろうか。無口で粗暴で愛想がなく理不尽な人だった。会社では鬼と呼ばれていた。

当然、私の父にもキツく接していた。悪態をつくことはあっても、会話らしい会話をしたことがなかった。実の娘と結婚した人でさえ、祖父はまともにコミュニケーションを取ろうとはしなかった。

でも、ある日、祖父の態度が軟化する出来事があった。私が産まれたのだ。祖父にとって私は初孫だった。

私の誕生を機に、祖父は父に心を許すようになった。頻繁に父を家に招くようになったのだ。初孫の話で会話もはずんだ。

「孫の力は偉大なんだな。」

当時の祖父を知っている人はみんな口を揃えてこう言った。

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お彼岸に私は妻と2人の子供を連れて、祖父の墓参りに行った。会いに行く頻度は子供の頃から変わらない。なぜか毎月会いに行っている。お墓は家からわりとすぐに行ける距離にある。

9歳になった娘が慣れた手つきでお墓を掃除し、私が花を供えて線香に火をつける。妻は木陰で赤ん坊の息子を抱っこして、その姿を見守っている。今年の彼岸は風がなく、日の光が強い。

全ての準備が整ってから、妻は墓石の前にきて私に息子をバトンタッチする。私は息子を抱っこして、息子の顔を墓石に向けながら話しかける。

「じいちゃん、また篤士が成長したよ。」

そう、私の息子の名前は篤士。

あえて「士」という漢字をつけた。ひ孫と同じ漢字ならば、じいちゃんも自分の名前を好きになるのではないか。

孫よりもひ孫の方が偉大に決まっている。

突然、暖かい風が私たちを包みこんだ。

「俺は自分の名前が好きになったよ」と祖父が笑いながら私たちに声をかけてきた気がした。

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