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2023.12月日記、後半

12/18(月)

NHKの大河、「どうする家康」が昨日最終回を無事迎えた。
ラストの平安な江戸の町の遠景が、夕日にぼうっと照らされた現代の東京のビル群のCGで映し出された。茶々の最期には、変化を嫌う退屈な未来が始まる的な皮肉な言葉で閉められた壮絶なものだったけれど、歴史は平穏と変化の繰り返しなのだとつくづく思う。

大方の大河ファンには、ちょっとひねりの入った脚本や史実と違うとかで評判は今一つだったようだけど、私は古沢良太氏の脚本はうまく伏線が張られていて、のちに「ああ、あのことだったのかあ」とぽんと膝を打つような場面があってうまいなあと感心しきりだった。

史実と違うといえば、昔の大河では、よくNHKに司馬遼太郎氏の小説と違う
(=史実と違う)という根強い司馬遼太郎ファンのクレームがあったそうだ。小説はフィクションなんだけどねえ。。。

今回は出だしから、松潤の演技力なしみたいな反応が多くて、そこで投げ出しちゃう人が多かったみたいなのがほんと残念でならない。
これは家康の天下統一と成長物語でもあるので、初めは情けなくておろおろする家康で今後に期待みたいな心構えも視聴者にも必要だったかもしれない。そんなだめだめな家康を、松潤にナイーブで繊細に演技させたらまた視聴率も伸びたかもしれない。

12/19(火)

昨日の日記で「どうする家康」の初期のドラマの松潤が、演技力なしみたいで視聴率が低くて。。。みたいなことを書いたのだけど、
それは小説もそうだよね。
小説のつかみの部分で、文章構成がスムーズじゃなかったり、話があちこち飛んだり、主役が弱かったり魅力がなかったりすると、私はほぼ最後まで読み通すことができない。
せめて登場人物の人となりとか役柄がわかるまでは、ほかの人の話に飛ぶなと言いたい。その時点でストーリーがごちゃごちゃしてしまって、「何が言いたい」「どんなストーリーなんだ」といらっとする。
ただ、本当にうまい人の小説は、展開が分かりづらくても、次の展開が待ち遠しくてどきどきわくわくしてどんどん読み進めてしまう魔法が散りばめられているのだけど。

12/20(水)

昨日のNHKの番組「プロフェッショナル」は研究者、落合陽一氏だった。
社会的な問題から掬い上げられない人たちに対して、テクノロジーでその問題を克服していく様は、まさに“現代の魔法使い”と呼ばれる所以。
発想や着眼点の感度の良さにただただ感心する。

歴史的には数ミリ先の未来に人間の知能はAIに追い越されるのだという。
あらゆる仕事と称されるものがAIに取って代わる世の中がついそこまで迫っている。そういう世の中は多くの失業者が生まれるだろうことは想像に難くない。その時の私たちの立ち位置はどういったものになるんだろう。
”AIに使われる”ならまだましだ。だって仕事があるんだもの。
だけどその仕事すらわたしたち労働者に与えられないとすればどうやって生きていけばいいのだろう。
一部の事業者だけが人件費を抑えて大いに儲かり、がっぽり税金を納めてくれて、その税金で働けない人たちの面倒を見てくれる。なんて虫のいい話にはならないだろう。

物事には”ほどほど”ということがある。
今の戦争兵器だって、刀と槍だけの世界で止まっていたら、何の罪もない一般人をこれほど巻き込むこともなかったろう。
AIももはやその勢いをここで止まろうということはできない。
世界的な競争でもあるし、科学者のやめられない探求心もわかる。
だけど、その先の未来を考えた時に、人間が活躍していく世界をAI様の活躍する世界に置き換えていく研究が本当に人類の為なのだろうか。

12/21(木)

急に思い立って編み物を始めた。何年ぶりだろう。
買い置きしていて手つかずだった毛糸を手に取ってみる。
ダウンやフリースもいいけれど、毛糸の肌触りや暖かさは別格だ。

まだYouTubeなんてない頃、本と首っ引きで覚えた編み物。
既製品でサイズを見ながら適当に袖ぐりや襟ぐりの減らし目をしてなんとか編めたので、それ以来思い出しては編んでいる。

鹿の子編み、目の粗いのは御愛嬌、なにができるかな?

12/22(金) 
 
時々YouTubeで中学生の合唱を観るんだけど、一昔前より格段にうまくなっていて驚く。
卒業式のYouTubeなんてもう一母親の気持ちになって感極まって涙するレベルですよ。

12/24(日)

鳥活でちょっと遠くまで遠征したのでキャンプはなしで車中泊で出掛けた。
ここで3年ぶりにオオマシコに出会えた。
毎年この場所を訪れてはこの2年間会うことはかなわなかった。
もう関東には来ないのかなと落胆していた矢先の今年の飛来だった。
本当に美しい姿に来てくれてありがとうと心で告げた。

オオマシコ♂

12/26(火)

金柑大好きな相方が、2kgも買ってきてしまったので、甘露煮を鍋いっぱい作った。私はそんなに食べないんだけど、年末とお正月に相方が平らげて、残りは冷凍かな。
それにしてもどうしてそんなに大量に買ってくるのかしらん?

12/29(金)

舟を編む 三浦しをん著

最近この作家にハマっている。
遅咲きのファンです。
今回で4作目で、この人のキャパというか芸風というか、引き出しの多さは感動だ。それぞれ全く雰囲気の違う作風なんですよね。
でもしいて言えば、女性がみんな自立していてかっこいい。

この”舟を編む”は、辞書編纂という地味な作業をひたすら追っていく。
編集部のにぎやかさはない、何年もかけて作り上げる長く地道な部署だ。
辞書の改訂版は数年に一度世に出るけれど、新しい辞書が世に出ることはなかなかに難しい。
それでも世に出るかどうか不安と闘いながらの、こつこつとした作業にいつしか読者ものめり込んでいく。そして完成の喜びを共有できる。
言葉のすばらしさを再発見できる良書です。

12/30(土)

窓ふきに始まって、玄関掃除、風呂掃除、トイレ掃除、戸棚の整理、台所の片づけ、雑巾がけ諸々の大掃除がやっと終わった。。。
指とか手首とか力をこめてやったから関節痛だよ。
相方は「そんなに一生懸命やることないよ」っていうけど、「じゃあ、代わりにやってくれるのか~い]と言いたい。相方は手伝わされるのを回避するためやらなくていいって言うんだよね。
でも片づけは基本的に嫌いじゃない。きれいにすっきり片付くのはとても気持ちがいいし。
でも玄関のタイルがきれいにならなかった。。。高圧洗浄機ほしいなあ。

そしてもちっこで餅つき、煮豆、きんとん、天寄せ、なますを作った。
午後から買い物。
明日は煮物(うちはお煮しめのことお平って言います)と天ぷら、年越しそば、ローストビーフ、お刺身あたりかな。

12/31(日)

昨日のNHKの映像の世紀は”ビートルズとロックの革命”だった。
才能を持ち、歌を通して常識を打ち破っていったビートルズ。
男の子と女の子たちにとって、それはあらゆるしがらみからの解放だった。
大人たちはそれを不良と呼ぶ。
この日記の冒頭で少し触れたけど、変化を嫌う政治が260年間の平和な江戸時代を築いた。けれど、心の解放には変化のきっかけが必ずある。
ビートルズの奔放な言動にあらゆる価値観が変わっていく。
性の解放、人種差別や階級による差別への疑問、東西冷戦にも影響を与えた。
今私たちは変化の只中にいる。身の回りの小さな視点からは気づけないけれど、世界に向けて大きな視点で臨む時にその変化がどこに向かうのか気づけるかもしれない。
来年もそんな変化を見落とさないようにしたい。

1年間、私のnoteをご覧くださりありがとうございます。
日記をこの先どうするか考えましたが、来年もこのぼちぼち日記で進めていきたいと思います。ときどきトピックでなにかつぶやくかもです。
よいお年を!
と書いていたら年が明けてしまった…

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