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【スポーツに禅を活かす】 何もしないということをする(後編)  禅語「柔軟心」のプレーとは

前回に続き、「何もしないということをする」ことについてお伝えします。前回は、ビジネスにおいて、いい答えが浮かばないときに、いかに答えを出そうとしないかについて書きました。

前回の記事はこちら 
https://note.com/zen_akano/n/nc863146d2346

今回は、結果を求められるスポーツにおいて、いかに「何もしないことをするか」についてお伝えしていきます。

スポーツ選手たちは、ひとつひとつのプレーで新たな世界に飛び込めるかを試されています。これは相当な重圧を伴います。不調に陥ったとき、指導者から「守るな。攻めろ」と怒られている姿をみます。ここぞというときに、足がすくんで一歩が出なくなってしまうからです。ちなみにゴルフでいえば、安全な方に逃げていくのです。

攻めなければいけないのは、選手本人が一番分かっています。しかし、どんなに一流の選手でも、あるとき、分からない世界に飛び込むことが怖くなるのです。過去の経験を活かす方が楽だと知ったときに、躊躇が生まれ始めるのです。確かに、過去の経験をいかして適切なマネジメントをするほうが、失敗を減らせるかもしれません。しかし、その効果は一時的です。過去の延長のプレーは、すぐにフィーリングへの違和感という形で不調への曲線を描き始めます。

一度分からない世界に飛びこむことの怖さを知ると、そのままでは再び飛び込むことはできません。もう子供のように好奇心だけでプレーしていた自分に戻ることはできません。怖さを知った上で、飛び込めるかどうか。それが大人のプレーへと覚醒できるかどうかの分かれ道になります。

今、大きな転換期を迎えている女子プロゴルファーがいます。スランプのまま終わるのか。それとももう一度這い上がれるか。まさに今、瀬戸際で戦っています。先日、以下のようなメッセージが届きました。

「とにかく苦手なコースや人は自分を試してくれるので、飛び込んで成長させてもらいます。正直今は赤野さんにコーチをしてもらっているから飛び込めているところもあります。パニックになっても助けてくれる人がいるという安心感です。そんな気持ちで良いか悪いかわからないですが、やっていきます!」

結局は、自分の足で立つしかありません。しかし、見守ってくれている人がいるだけで安心してこけることが出来ます。立ち上がるときに、そっと手を差し出してくれる人がいるだけで、また立ち上がる力が湧いてきます。

「柔軟心」という禅語があります。言葉通り、「柔らかい心」ということですが、そもそも柔らかいというのは、どういう状態なのでしょうか。

人の心はすぐに固くなります。自分の輪郭を作ろうとするのが自我の働きです。考えて自分を理解し、分析することで、人は安心しようとします。それは同時に自分を固めているのです。固くなると、見方が偏ってきます。最初に申し上げたように、物事が難しくなってくるのです。

若く勢いがあるときはプレーは簡単でシンプルです。一方で、経験を重ねる中でプレーが複雑に難しくなっていきます。

複雑になったとき、いかにシンプルに戻れるかがメンタルトレーニングです。

分からないという状態にしておけるか。空っぽのまま、何もしないということをするか。これはもともとの自分のあり方に戻る道なのです。

私自身も、選手をコーチするときに、常に柔軟心でいることを大事にしています。だからこそ、私自身が常に分からない世界に飛び込み続ける必要があります。セッションのときにいかに余分なジャッジを捨てられるか。ゼロから選手のことを見られるか。

コーチも人間です。空っぽの瞬間もありますが、すぐに心がいっぱいになったり、溢れたりすることもよくあります。大事なことは、どこを基準にするかです。

以前は、自我という鎧で自分を固めることが基準でした。なので常にいっぱいいっぱいの状態でした。今は、空っぽの状態が基準なので、たとえ溢れてもすぐに気づくことができるようになりました。

空っぽでいると、さまざまな気づきが顕れてきます。たとえば夜、妻と散歩としていたときに、「謙虚と熱さ」というあり方に気づきました。

謙虚と熱さというのは、両方もともと私自身の中にあるものです。謙虚さとは静けさであり、受け取る心であり、落ち着いた状態と言えます。熱さとは、情熱であり、好奇心であり、動の状態。

どちらが良い悪いということではありません。ただ、すぐにどちらかに偏ろうとします。

あなたは謙虚なだけのコーチにセッションを受けたいと思うでしょうか。

では、熱いだけのコーチにセッションを受けたいと思うでしょうか。

私の答えは「否」です。謙虚と熱さという「静と動」が共存している人にサポートして欲しいと思います。

コーチの役割は、いつも「分からない」からスタートすること。誤解を恐れず申し上げると、経営者もアスリートもつい分かったつもりになるからです。分かったことにしたいと言った方が近いかもしれませんね。

大体そのとき、心は固いです。だからこそ、あえて真逆の方向性から見ます。そのことで心はストレッチされて柔らかくなっていきます。

真逆の方向を示すとは、現状の全否定でもあるので、伝え方によって心を閉ざされる危険性が隣り合わせです。だからこそ、そのクライアントが苦しんでいること、悩んでいることについて全肯定する心が必要です。

全肯定しながら全否定する。相反するように見える2つの心を持てるように修行する。これが私の謙虚と熱さかもしれません。

どうすれば謙虚と熱さを持てるのか?
どうすればよいのか考えても、答えは出ません。

二者択一で考えると、物事は難しくなります。正しいか間違いかでプレーを考えようとすると、100か0で判断するようになります。これは、一見シンプルに見えますが、実は考え方が極端で、プレーが固い状態です。

柔らかい心でいると、「間」が生まれてきます。間から自分のプレーを自由にしてくれる「気づき」や「智慧」が浮かんで来ます。

ちなみにコーチとは、正解か不正解かを判断する人ではありません。二者択一を超えた智慧が現れてくるのをサポートする人です。

これまで登ったことがない高い山を1人で登るのは難しいもの。2人だから経験したことがない山に挑めるのです。私は見たことがない景色を眺めてみたい。クライアントさんのおかげで、そんな景色に出会えています。まさに二人三脚ですね。どちらが先でも後でもない、どちらが引っ張るのでもない。2人が心を開いて1つになったとき、そこに大きな相乗効果が現れるのです。

あなたの真逆から物事を見てくれる人は誰でしょうか。それがあなたのパートナーとして、あなたの無限の可能性を引き出してくれる人です。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。今回はいかがだったでしょうか。

人には、無限の自信が湧き出してくるスイッチがあります。

それは、アートです。

いかにビジネスをアートするか。スポーツをアートするか。

アートとは絵画や音楽だけではありません。

スポーツとは身体を使ったアートです。ビジネスは人との出会いの中でお金が生まれるというアートです。

いかにアートに目覚めるか。

アートは溢れる心の泉であり、無限の可能性への扉です。

フィーリングが合わない、ワクワク感が消えてきた、直感が湧いてこないというのは、アートが消えている状態です。まずは「私がする」という意識から「なにもしないこと」をいかにやっていくか。

スポーツ選手とのメンタルトレーニングの中で、何がプレーしているのかということを質問することがあります。

何がプレーしているのか?

普通に考えれば、「私がプレーしている」という答えになるでしょう。しかし、この答えではアートは生まれません。

ちなみに、陸上100メートルで日本人として史上初めて9秒台をだした桐生祥秀選手は、気持ちが走っているように見えます。気持ちがのっているときは周りから見ても、今日は記録がでるなという雰囲気が出ているそうです。同じスプリンターでもボルト選手とは違います。ボルト選手は野生が楽しそうにダンスしている感じかもしれません。

オリンピック出場を目指しているジャンパーは、ずっと自分の跳びを見つけられずにいました。セッションを重ねる中で、跳ぶことが複雑になっていることに気づきました。こういうときは「しようとする」ことを手放すことが大事になります。シンプルに戻っていく中で出会ったのは、「無邪気」でした。彼の中に眠っていた無邪気さを発見したとき、身体の力みが抜けて、軽く楽になっていきました。無邪気が跳んでいるとき、全身がバネとなり、「無心の跳び」が現われたのです。

あるプロゴルファーは、「感謝」でした。頭で考えるほど自分らしいプレーは離れていきます。感謝とは、支えてくれている人達やクラブだけではありません。それまでは、コースでプレーするのは当たり前、また試合で上手くいかないと敵のように感じていたのです。これでは、どんどん孤独感が強まっていきます。1人ぼっちのプレーでは、真の力を発揮することはできません。メンタルトレーニングを重ねる中で、少しずつコースと対話出来るようになりました。そして、コースと対話を重ねる中で、周りの環境といっしょにプレー出来るようになっていきました。そのとき、コースへの感謝が生まれたそうです。「ありがたい」という気持ちがプレーしていると、勝手に身体が動くのです。スウィングがスウィングしているという感覚かもしれません。これは「禅の無心」とも言えます。

禅とアートはとても相性がいいのです。同じ方向から物事を見ているといえるかもしれません。

ちなみに、私自身はどうか。何がコーチしているのでしょうか。残念ながら、自分では自分のことはよく分かりません。鏡のように照らしてくれる存在がいると、自分が見えてきます。私の場合は、「クライアントがコーチしている」感じかもしれません。セッションしていると、自分が消えていきます。消えるほど、真実が浮かび上がってきます。

いかに自分がコーチングをしないか。

私が消えることで、セッションがアートになっていきます。そこに、無限の世界が広がってくるのです。



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