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【読録】役者だましい

宇野重吉氏が逝去前年、1987年末に至るまで。実に2年余りを掛けて日本全国の市町村を巡り、芝居公演を務めていたことは記憶の彼方にあった。

1987年の西宮公演、観に行ってたのよね。

今月、初頭に往年のNHK特集を放映するタイトルがHDDレコーダーの中に自動録画されており。そこに宇野重吉氏の公演を取り上げた内容のものがあって、眺めてたら…。

「おいおい、これ観に行ったろ?」と思い出し。あれこれ検索してると本作(Kindle版)に行き当たりました。

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ネットは便利でございます。

さて。
『宇野重吉一座 最後の旅日記(小学館文庫)』はその役者でもあった日色ともゑさんが別誌依頼を受けて同行執筆を行った、紀行記録でもあり同行日誌でもあります。

徳のある高僧曰く「ものごととの出合には意味がある。『今めぐりあう言葉。この現実は。気づきや向後に心がけねばならない種として巡り会わせてもらっているのだ』と、思うことです」とか。

セレンディピティとは、まさにここを指すものであるということを、感じる事が少なくないんですが。実際、日常に追われていたり優先順位を読み間違えたりするあまり、焦りが生じると…見落とすわけですよ。

精一杯語りかけてくれているのにもかかわらず、気づくべきポイントを見落としてしまうとどうなるか…。まぁそれなりに、なる様にはなります。(笑)

実際。番狂わせは当たり前で…その都度々。周囲に在る守護るべき存在と守護られるべき、「分からず屋(他ならぬ自分自身)」との丁々発止。この繰り返しを「ぢんせい」と呼ぶわけで。

何が言いたいかというとですね。

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この芝居。

宇野重吉一座の演じた「おんにょろ盛衰記」「三年寝太郎」を実際に見ておきながら…演者の求める演劇の神髄に思いをかき立てられることなど、まずなくて。

スジを追って「民話はいいねぇ」ぐらいのことしか考えてなかったのが、当時大学4回生の世間知らずな自分自身の率直な感想だった、ということでございます。

演じておられる側としては、演ずる上で演劇の真髄に近づくための修練の積み重ねであり。(その翌年に逝去してしまう)劇団民藝の重鎮、老境にして「みてもらいたいヒトにみてもらう、演劇の原初形態を実践する」素朴な営みの一環だった…なんぞとは全く思いもしませんでした。

ごく当たり前にあるものは、ごく当たり前であるが故。美しいし人の胸を打つ場合も…ある。その瞬間こそが、あたかもそれを演じるものの意図として大切なのよ、的な事。

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訴えたいことが、労働条件で搾取される貧しい労働者の叫びであったり。人間心理のうつろいで訪れる悲劇や喜劇であったり。民話ゆえ素朴に表出するニンゲンの喜怒哀楽であったり。

カミ手とシモ手に区切られた舞台の上で、それらを表現することの難しさと、伝える事が出来たことの達成感。

演劇とはそうしたものだと、なんとなーく思うようになるためには。講談・落語・芝居に音楽…沢山見て沢山感動する経験がないと、難しいと思うのです。

戦後教育は失ったものも多かったかもしれないけど、戦前の国家が暴走することで失われたものを、民主教育によって「子どもが子どもらしく、豊かな感情をもち、社会を形成する上で善良な情操を育成する」ために、いろんな演しものを体育館で見させられたのは…。

元号も変わって「ゆとり教育」に至るぐらいまで、試行錯誤した時期のことだと認識しております。

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昭和40年代・50年代は左翼的なイデオロギーにかぶれた小学校教師が呼び寄せた(採択した)、感動を呼ぶためのお芝居やら。日本の伝統文化に触れるためと称してお越しになる落語家の実演観覧、狂言師の講演拝聴。

形骸化するに従い、進学・受験の為にそれが必要であるのかないのかの是非善悪から、先細っていったんですな。(いまでもあるのかしらん)

だれしも「豊かな人生経験と人間形成のためにワタシは芝居を見に行くの!」とは云わんでしょ。

あの芝居を見てから30年が経ち。同行した役者さんの記録など眺めつつ改めて思うことは…。演じる側の皆さんには、純粋に自分自身の表現が人々に喜んで受け止めてもらえることで自分の演劇を極めていく。

いわば「役者だましい」の醸成を、座長である宇野重吉さんが何よりも望まれ。それを、演者と観客に提供したいのよ…とか考えておられたんだろーなぁ。ということでございました。

「いいもの見せてもらいました」の「いいもの」って。

受け取る側の事情や都合で如何様にも替わるものでなければ、むしろならんのよね…。深くもあるし浅くもある。面白くもあるし面白くもない。

そうあることが「いいもの」の確証。

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「これでいいのだ!」という、バカボンパパ。
あのセリフが頭の中をぐるぐる回る…そんな読後感でございました。