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エッセイあるある「桃食べた話」

 好きなものを最初に食べるか最後に食べるかという定番の問いがある。
 この問いの答えで分かることと言えば、最初に食べる人は食事を最初から楽しみたい人で、最後に食べる人は楽しみを最後に残しておきたい人ということくらいだろうか。無論、「サラダを最初に食べるようにしてるから…」なんて言う奴は問題外だ。「あ、でもあたしサラダ好きだし…」うるせえうるせえ。
 僕はずっと最後に食べる側だった。”だった”というのは、最近変わったからだ。

 この前、スーパーで桃が半額になっていた。2個で300円を切っていた。こんなチャンスはないと、人生で初めてだったが、自分で桃を買った。そう言えば、エッセイなんかでよく、フルーツをおいしそうに食べる話があるが、だいたい桃な気がする。まず産毛とかを褒めて、次に赤ちゃんみたいと形容し、最後にかじりついて豊かな果汁に酔いしれるやつ。おいしそうに食べる情景をいつもうらやましく思っていた。でも、赤ちゃんと例えた後に嬉々として食べるのは、人間味がなくてちょっと怖いが。
 この桃は、最高の状態で食べたい。「桃 食べ方」、「桃 食べ頃」で調べ、3件のページでファクトチェックもした。どうやら、桃は冷蔵で保存すると固くなってしまうらしく、普段は冷暗所で保存して食べる直前に冷蔵庫に入れるのが正しい食べ方らしい。シンクの下の炊飯器とかフライパンとか洗剤が放り投げられてしまわれている収納の中で一番上の方に安全地帯を作り、桃を置いた。こんなところで大丈夫だろうか。収納なので暗く、シンクの下なので割と涼しそうな場所だが、冷暗所って本当にここでいいのだろうか。自室の中でほとんど消去法、ベターな選択でここに閉まってしまっている。「冷暗所」という曖昧な表現にちょっと心配になった。消費者の感覚に委ねすぎではないか。僕はベストな状態で食べたいのに。
 食べ頃は、桃のてっぺんを指で押して柔らかさを感じるくらいだという。つくづく消費者の感覚に委ねてくる果物だ。しかも今度は強気だ。大丈夫なのだろうか。下手したら握り潰しちゃうぞ。
 桃の1つを手に取り、てっぺんを恐る恐る押してみる。人間の子どもを扱う化け物の気持ちだ。化け物はやっと友達になれた人間の子どもの頭を壊さないように優しく触る。すると、子どもの頭の皮が少しめくれてしまった。ちょっと脳みそも見えている。脳汁もちょっと出た。
 うあーーー!大変なことをしてしまった!急いで皮を元に戻そうとするが、かえって別のところがめくれてしまい、脳みそも少しえぐってしまった。子どもの顔からはさっきまでの親しみのこもった笑顔は消え、目の前にいるかつての友に恐怖と侮辱の混じった敵視を向けて、狂ったように泣いている。もはや、これまでだ。人間の子どもを傷つけたと知れたら、人間の大人たちは黙っていないだろう。報復に来るはずだ。もしかしたら、殺されるかもしれない。急に怖くなった化け物は、泣き続ける玉のように美しい顔の子どもの口を大きなゴツゴツとした手で塞ぎ、物凄い速さで思案を巡らした。どうしたら、このことを他の者に知られることなく、何事もなかったかのようにできるだろうか。考えろ、考えろ。子どもの頭の傷はもう茶色くなり、顔色も薄くなってきた。突然、「そうだ」とひらめいた。でも、その考えはあまりに恐ろしく、自分にはとても実現不可能に思えた。化け物は子どもの口を塞いでいた右手を放し、左手で子どもをそっと優しく掴んだ。次の瞬間、右手に取ったピーラーで大胆に皮をむき始めた。食べたら証拠は残らない。これが化け物の考え付いた解決策だった。ごめんよ、ごめんよ、でも、やっぱり僕だって怖くて怖くてたまらないんだ。友達だった子どもの皮をピーラーで一心不乱にむく化け物。その後ろ姿は小刻みに揺れていた。
 桃の皮を全部向き終わり、かじりつく。「あれ?」なんか違う。知ってる桃じゃない。甘くない。というか、味がない。驚いてもう一口食べる。うん、やっぱり不味い。今でこそ値引きシールが貼られて半額だが、元は2個で500円以上するちゃんとした桃だ。おかしい。桃を食べてクソ不味かったなんて、僕の知ってるフルーツエッセイじゃない。一応、確認も含めて全部食べた。全部不味かった。
 もしかして、早すぎたのだろうか。せっかく買って来た桃を食べ頃よりも前に食べてしまったというのか。これはやってしまった。もう1個の桃は数日待つことにした。もう失敗できない。残る桃は1個。丸ごとかぶりつくならチャンスは1回。保険証や実印を除けて僕の部屋で一番大切な存在となった桃を冷暗所に安置し、静かに戸を閉めた。
 翌日、桃の様子を見ようと戸を開けると、桃の様子がおかしい。てっぺんが蒙古斑のように茶色くなっており、その中央で砂糖のような白い粉をふいている。もしやと思い、スマホで調べる。やっぱりだ。大切に残した最後の桃は、食べ頃を通り越して腐ってしまっていた。

 こうして、僕は好きなものを最初に食べるようになった。


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