見出し画像

ブッド・バイ

阿弥陀如来の「アミダ」とは、「光(空間)といのち(時間)に際限がない」という意味をもつ。これをくだくと、「いつでもどこでも、今ここにいる仏さま」となる。
 
「今ここにいる仏さま」だけど、残念ながらそれを受け取る感受性は私にない。どのようにして日常で受け取っていくのか言えば、それが仏さまの名前「ナモアミダブツ」を言うこと。自発的に声を出しながらも、それ自体を「仏さまの働き(他力)」と受け取るのが浄土真宗流。だから、浄土真宗の人は「お念仏をいただく」とか「お念仏を申す」という謙遜語で表現をする。名前を申すことで、仏さまと共にある自分を確認する。法事をつとめることも、お墓参りも、仏壇参りも、お寺参りも、手を合わすご縁はすべてそこに帰結する。
 
これを父は日常に密着したキリスト教のあり方と合わせて説いていた。
別れの時に言う「グッドバイ」の「グッド」は、語源を辿ると「ゴッド」だそう。つまり、別れの時も「神さまがおそばに」という意味を含んだ日常用語。なんてステキな言葉なのかと。でも、われら仏教徒は「ゴッド」ならぬ「ブッダ」だ。「ブッドバイ」でいこう!と息巻いて、ついには出版までしたのが28年前のこと。
 
いつも仏さまがおそばにまします。
ナモアミダブツ、ブッドバイ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?