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失われた東北の歴史 -エミシ(蝦夷)-

阿弖流為(アテルイ)も事を検索して、初心者には分かりやすいブログ見つけた。しかし、何故こんなに文の隙間を開けるのだろう〜??読みづらい、全部コピペし直し読まなきゃいけない。

スマホで読む人は隙間があると読みやすいと聞くが、パソコンのブラウザで読む者には理解できないレイアウト。スマホの人は先方で読んだ方が良いんじゃないかな?(たぶん)

かつて、東北の地を守るために命を懸けた男たちがいた。
郷土の誇りのために戦い抜いた優しくて強い人たち。
私たちには “正しい歴史” しか教えられない。勝者の歴史。
往々にして歴史とは力をもったものが作り上げるもの。
表の歴史、王道の歴史だけが全てではない。
勝者によって隠された歴史。
中央権力と戦い散っていった者たちの声なき歴史。

東北の地には、失われた歴史がある。

時は今から1200年ほど前。奈良、平安時代。
当時日本には、大和朝廷という中央権力が存在していた。
日本統一に向け、今の東北地方に勢力圏を拡大しようとしていた。
当時、東北にはエミシと呼ばれる人たちが暮らしていた。
エミシ(蝦夷)とは何か。諸説あるがここでは一文引用したいと思う。

大和朝廷は、東北地方の中央権力に従わない「まつろわぬもの」の総体を「蝦夷」「東夷」として恐れ、さげすみ、討伐の対象としてきた。そこには中央の権力争いで敗れた人々も含まれていたが、主体になったのはエミシと呼ばれた縄文先住民である。(「蝦夷・アテルイの戦い」久慈力著,p.39)

かつて東北地方には華やかな縄文の文化が栄えていた。

【三内丸山遺跡】

東北には縄文の文化を受け継ぐ民が暮らしていた。

【三内丸山遺跡の大型住居跡】

争いを好まない人たち。中央権力である大和朝廷から見れば、エミシの住む土地は搾取の対象。征服すべき場所。

エミシは獣であり、人間以下の存在とみなされていた。ここで一つの構図が出来上がる。

“進んだ文化を持つ大和朝廷” が “野蛮な縄文民族であるエミシ” を征伐する、という構図。

つい数十年前まで世界各地で繰り広げられていた、植民地戦争の構図と同じ。

“文化人” である欧米列強が、“未開の地” であり “野蛮な人” が住む、アフリカやアジアを征服し搾取する。

Blog主はユダヤ人とキリスト教を知らない。

大和朝廷とエミシの構図と全く同じ。大和朝廷との争いの中で、たくさんのエミシたちが日本各地に強制的に移住させられたという。(結果的に散らばったエミシが武士道の起源になったという説もある)

エミシたちは本当に野蛮な人たちだったのか。

違う。少なくとも私は違うと思う。私たちと何も変わることがない。家族や郷土を愛する優しくて強い人たち

でも、大和朝廷から見れば征伐の対象。野蛮人。

黙っていれば戦争を仕掛けられて征服されるだけ。土地は奪われ家族は失われる。

一方的にやられるわけにはいかない。エミシの誇りのため、エミシ社会を守るために立ち上がった人物がいる。

鮮麻呂(アザマロ)、阿弖流為(アテルイ)、母礼(モレ)

もちろん、エミシの中で立ち上がった人物は無数にいただろうが、この3人は特に英雄的な働きをした。

アテルイたちの歴史は何の因果か、2017年の日本社会にも登場してくる。歌舞伎の演目として扱われ宝塚の題材として選ばれている。

【歌舞伎 阿弖流為〈アテルイ〉】 http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/31/
【宝塚 阿弖流為 –ATERUI–】 http://kageki.hankyu.co.jp/revue/2017/aterui/index.html

王道の歴史ではないにせよ、1200年を経た今でも受け継がれている歴史。
アテルイたちは何を成し遂げたのか。何を後世に託したのか。

東北日本の歴史。王道の歴史には載らない影の英雄たち。知れば知るほどアテルイたちの生き方に惹かれる。

圧倒的強者である大和朝廷に少数で立ち向かったアテルイを長とするエミシ勢力。

おそらく彼らの意志は1200年の時を経た今でも、東北の地に目に見えない形で受け継がれている。

私が初めて青森のねぶたをみたときに感じた、底知れない秘めた強さ

もはや推測するしかないが、私には優しくて強いエミシたちの意志が込められているのではないかと思う。

まだまだ東北の歴史は探り始めたばかり。
今回は、失われた歴史、エミシをキーワードに東北の歴史について調べ知ったこと、感じたことを書きました。

少しずつ東北の歴史に詳しくなってきています。
アテルイやモレが何を成し遂げたのかは、また後日書きたいと思います。

※後日アテルイのことを別記事で書きました。↓
『東北の英雄アテルイ』―秘めたエミシ(蝦夷)の歴史―

※もののけ姫に出てくるアシタカはエミシ。直近の記事で書きました。↓
『もののけ姫とエミシ』アシタカにみるエミシの姿

(2019/5/26追記)

最後までお読みいただきありがとうございました。私の記事でエミシや東北のことが少しでも伝わったのなら嬉しいです。この記事を書いてからも、出来る限り東北を旅して本を読んで調べ続けています。まだまだ書ききれていませんが、興味がある方は他の東北やエミシの記事も読んでいただけると嬉しいです。

この記事では文章に特化して書いていますが、私は写真家でもあります。すでに東北の写真がかなりの数貯まってきています。近い将来(2019,2020年)、東北の写真だけで個展をしたいと思っております。また決まったらご案内します。

金子素直

(平泉でみた鬼剣舞)

知られざる東北の歴史

東北には現代に受け継がれる輝かしい歴史がある
今日紹介するのは東北の英雄アテルイ(阿弖流為)
私が東北に強く惹かれるきっかけとなった人物

今から1200年ほど前の東北に実在した人物

東北の歴史を調べていくと、日本との関係の中である構図がみえてくる

攻め寄せる日本の中心勢力 vs 立ち向かう東北勢力という構図

理不尽に対抗する、東北の抵抗の歴史
その最初のきっかけを作ったのがアテルイであるといっても過言ではない

アテルイに始まり、奥州藤原氏南部藩九戸政実会津藩へと受け継がれていく東北の抵抗の歴史

今回はアテルイと東北の抵抗の歴史にフォーカスしていきます

アテルイとは

一文引用します

桓武天皇の延暦年間に、胆沢(現在の岩手県胆沢地方)エミシが、10倍以上の朝廷軍を向こうに回して、互角以上に戦い、大勝利をあげた戦いは日本列島でも最大の先住民抵抗戦争であった。この戦争を指導したのが、胆沢エミシの族長、アテルイであり、モレであった。

(「蝦夷・アテルイの戦い」久慈力著,p.160)

この言葉にある通り、アテルイとは大和朝廷とエミシ(東北勢)の戦いにおいて、リーダーを務め、数で勝る大和朝廷軍に対して、1/10以下の勢力で戦いを挑みエミシ勢力を勝利に導いた英雄

アテルイの故郷、岩手県、胆沢の朝

もしアテルイがいなければ、東北勢は朝廷勢力に屈する一方だったかもしれない
理不尽な要求に対してなくなく従うのではなく、抵抗する歴史を創ったのがアテルイ

そもそもどうして東北は攻められなければならなかったのか
それには、当時の日本社会とエミシ、東北の関係を理解する必要がある

エミシの置かれていた状況

西暦700~800年頃の”日本社会”において東北勢、エミシが置かれていた状況
見方によっては奴隷のような状況ともいえる
当時東北の地に住んでいた多くの人たちが日本各地に強制的に移住させられている

間違いを恐れずに表現するならば、当時、東北の地は、日本ではなかった
京の都に住む人から東北を見たとき、それは未開の地であり、
野蛮な人たちが住む土地であった

(青森、下北半島、恐山)

京の都は東北の脅威を意識して造られた都市だった。遠い東北に暮らす蝦夷は、都の民には実態が分からない。だから、いくらでも恐ろしい蛮族だと宣伝できる。とにかく獣のように凶暴な者たちだというイメージが都人に刷り込まれていった

(「東北・蝦夷の魂」高橋克彦著,p,66)

もちろん、これは都からの視点であって実際は都の人と何ら変わることのない、”日本人”である

ブログ主は差別がイカンと騙されている。我々は蝦夷で
京都の天皇・朝廷はユダヤ人であり敵・・というか人類ではない。

(当時すでに日本には複数の民族が入り混じっているため、東北の多数を占める人たちと京の都の多数を占める人たちは厳密にいうと、民族的には異なる部分があるが現代の”日本人”としてのくくりは同じ)

違うんだ、侵略者と侵略された者が混ざっている。しかし侵略した方は歴史を知っている!

この島の京都の地にイスラエル(日本)が出来て、1300年経ったらパレスチナ人はイスラエルが自身の古代からの国だと思うようになったようなもの。

敵は味方でないので差別、区別しないといけないのだ。放っといたから、また戦争だの異次元の増税だのほざく。

アメリカとの敗戦で弱っている間に侵略者である天皇・皇室は滅ぼしておくべきだった。


東北を表現する言葉に ”みちのく” という言葉がある
道の奥という意味
道とは何か

「道」とは「国」のことである。政治的に組織された範囲をいう。政治がそこまで及びえず、国になりえないまま、その外に放置されているから「道の奥」なのである。(「東北の風土と歴史2」高橋富雄著,p,8)

少し整理すると、都の人から見たときの東北は

 ・野蛮な人が住む土地

 ・よく分からない未知の世界

 ・大和朝廷の支配が及ばない”日本の外”の世界

だからこそ大和朝廷は東北に勢力を伸ばし、政治に利用し搾取・征服の対象とした

ここに、大和朝廷による東北への大規模な戦争の歴史が始まる

今現在、くり返そうとしている、また日本はこの島の人々を搾取しジェノサイドする。

(日本の中心勢力が東北に攻め入るという構図は少なくとも幕末、戊辰戦争の頃まで引き継がれていく)

いつの時代も、外の世界を国内の政治に利用するのは変わらない
(よくわからない外の世界の恐怖を利用して内部の政治を動かす)

たとえば当時、エミシの脅威はこのように使われていた

それまで古代日本の都は、転々としてきた。だが、桓武天皇は完全な都を築くために自身が遷都した長岡京をわずか十年で平安京へ移すことを決めた。しかし、反対が根強かったため、桓武天皇は蝦夷戦争の勝利と、遷都の宣言を同時に行う演出によって抵抗勢力を封じ、計画を押し通した。蝦夷にとっては侵略にほかならないが、「東北の犠牲があったからこそ、平安京は結果的に千年の都となった」と、近畿大推教授の鈴木さんは指摘する。

(「東北不屈の歴史をひもとく」岡本公樹著,p,91)

東北、エミシの脅威というものを理由に平安京への遷都は遂行された
そして、1000年以上を経た今でも京都として日本の中で重要なポジションを占めている

同じ京都内だよな、どういう意味だろ?

日本の歴史とエミシの関係

本来ならば京都を考えるとき、エミシを抜きにしてみることはできない
今回触れた歴史は1200年以上前の話だから、知らなくても困るものではないしかし、こういった歴史が存在するということだけは知っておいてほしい

東北の犠牲があるからこそ今の日本がある
何度も何度も攻められて、それでも幾度となく立ち上がる、それが東北の歴史

日本の歴史からは切っても切り離すことが出来ない歴史

一般的な日本の歴史には出てこない歴史だけれど、東北に惹かれる私としては、大切にしていきたいもの

(あとがき)

今回は、アテルイ、エミシ、大和朝廷をキーワードに整理しました。またどこかで、なぜアテルイが圧勝できたのか、どうして最後には負けたのか、アテルイが後世に何を残したのかにフォーカスして書きたいと思います。


おわり


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