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神ながらの道~直感的に”神様の存在に気付く体験”は日常の地道な行動から生まれてくる~

令和6年2月25日、秋山眞人氏と羽賀ヒカル氏の共著の刊行講演会を聞きに行った。秋山氏は国内だけでなく海外においても多くの人物に直接会って交流し、途方もなく広い経験と知見を持つ人物である。特に先日の講演で語られた戦前戦後の宗教については自分の知識も整理出来て非常に助けて頂いた。下記の動画(2番目)では学生運動~自然回帰運動、科学者の開く宗教、そして昨今のキャンプブームの流れも触れて紐解いていく。

審神者や正式な除霊術等を伴わない状況において、正式な修行の済んでいない人物が体験する個人的神秘体験は危ういと言われる。体験した者はやみくもに目新しい宗教の学びの道へ進んでしまう恐れがあると言われるからだ。

くれぐれも自己判断で「神様の存在に気付いた」とは言えないものの、今後において日本の古神道から続いている「人が普通に暮らしていく中で遭遇する不思議な体験」が心の中で大事な価値を持っていくという。しかし誰もが味わえるものであるが一瞬であるため伝えにくいとも語っている。

神秘体験は日常の掃除、雑用、そう言うものをきちんと行っていく中でふと出会うものだと、羽賀氏も秋山氏も結論付ける。つまりいかにも宗教について学びを深めているとか普段それを意識的に行っているかという所ではない、非常に普通の生活を生きる中で無意識の時に体験するものだと。

神道から定着した私達の行儀作法が日本にはある。
自然は大きな脅威である一方、自然への畏敬の念、自然の恵みに感謝し自然を大事に扱う心を育んできた日本。そこから離れすぎている現代においてこそ、自然との調和がとれた共存は「神様の存在に気付く」体験により、より意味深いものに変わるのではないかというのだ。

以上、個人的な感想まで。
写真:千葉県成田市 麻賀多神社
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