電子レンジの話

ある日、電子レンジが壊れた。レンジにかけてしばらくするとエラーが出て止まる。エラー番号を調べると、マグネトロンに問題があるという。マグネトロンはマイクロ波を出すパーツで、修理・交換すると大体2万くらいかかるとのこと。なるほど。

こうして、電子レンジがない生活が始まった。

電子レンジがない生活、というものは生活の一部が欠落していることなのだと早々に気付かされる。生まれた時から電子レンジがある状態が当たり前すぎて、ない状態、というものが想像以上に意識の外側になっている。電子レンジがないことなんてすっかり忘れて、レンジにかけないと食べられないものを無意識に買ってきてしまう。酔っ払ってなくても結構買ってしまうが、酔っ払っているときは輪をかけて買ってしまう。私はレンジにかけないと食べられないタイプのチルドのラーメンを買い、恋人は冷凍のミートパイを買ってしまった。酔っ払いの買い物は本当に最高で最悪。チルドのラーメンは丸ごと鍋に突っ込んで火にかけたら美味しく食べられた。ミートパイはしばらく冷凍庫で眠っていただくことにした。

私たちは焼鳥が好きだ。焼鳥が目の前に出されたら四六時中いつだって食べられるだろう。焼鳥を食べたくない瞬間なんてない。東京近郊で新興のベッドタウンではない町はどこも土着の飲み屋で溢れているイメージがあるが、例に漏れず私の住んでいるあたりにもしこたま飲み屋がある。そして飲み屋の数に比例して焼き鳥を売っているタイプの惣菜店も多い。駅前から商店街から、とにかく焼鳥の匂いがする。買って帰ってしまう。私たちはそのように暮らしてきた。

ところが、レンジがない。すると結果的に持ち帰り焼鳥という手段も封印されてしまった。もちろん、温める手段はいくらでもありそうだが、それはそれで手間だな、だったら外で焼き立てを食べたいな、などと思っているうちに、いつしか焼鳥を買わなくなってしまった。焼鳥に頼りすぎていたのかもしれない。

私は最近料理をする。恋人と暮らすようになって1年ほど経つが、我が家には「役割分担」という概念があまりない。大抵の家事は、やりたい方がやる、やる気があるほうがやる、といった具合で、結果的に私がやっていることが多いが、やりたいと思っており、やる気があるから問題ない。そんな中で、料理に関しては私も恋人も「たまにやる気がある」ものになっている。毎日どちらかが必ずやる気があるわけではなく、どちらもない日もある。それはそれで適当に手を抜けばいい。そういうときの焼鳥である。あと「ぎょうざの満洲」の冷凍餃子。

私のやる気がある時は料理をするが、超初心者なのでとにかくレシピを探し、なるべくレシピ通りにやる。調理の選択肢も「炒める」か「焼く」くらいしかない。そうしてレシピを探していると、工程の中でちょくちょく「ラップをして3分レンジでチン」とかが出てくる。なんてこった、チンはできない。もちろん超初心者なので代替手段が浮かぶこともなく、その時点でレシピは不採用となる。スーパーで食品を眺めていても「レンジで簡単」などの文言を見るたびに、つくづく電子レンジとは基本的人権に含まれているのだと思い知った。そのように感じながら、1ヶ月ほど経った。これはこれで結構やっていけるな~みたいなムードもなくはなかったが、やはり電子レンジはあったほうがいい。

お目当ての機種を選定したり値段をチェックしているうちに、ブラックフライデー的なセールの時期がやってきた。首尾よく買った。届いた。電子レンジが届く日は、届くことを見越してスーパーで惣菜のから揚げをすでに買ってきていた。もしあの時届かなかったら、あの日のから揚げはどうなっていたかわからない。無事届いたからよかった。私が唯一レシピを見なくても作れる、もやしのナムルを久しぶりに作った。耐熱ボウルに突っ込んだもやしに適当に塩を振って3分チン。やはり電子レンジはあったほうがいい。数日後にはミートパイも眠りから目覚めた。

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