路線図の話

朝、東京駅に行って「さーて、どこに行こうかな」と路線図を見上げて開始する旅行を一度だけやったことがある。雰囲気で移動してたら、その日の宿は福井県の敦賀になった。もう15年以上前のことだ。

旅行と銘打たないレベルのものでいえば、休みの日に適当に電車に乗ってぶらぶらするやつを、一時期しょっちゅうやっていた。そのときも駅で路線図を見上げるところから決まってスタートする。

「今日は一度も行ったことがない駅で降りてみよう」とか「とりあえず海に到達してみよう」とか、思いついたことをそのまま行動に起こしていく。そんな時、路線図はイメージの発射台となった。名前しか知らない土地に思いを馳せ、線路がつながる限り、今からそこへ向かうことができる。なんて楽しいんだ。

もちろん旅行をしたときには、遠くの駅で路線図を見上げることが大きな娯楽になった。知らない駅名、見慣れないデザイン。端っこや真ん中には知っているターミナル駅があるけど、その間にある無数の土地のことはまるでわからない。RPGで遊んでいて新しく船や飛空挺が手に入った時のような高揚感。あの村の武器屋にはどんな装備が売っているんだろう。どんなクエストが待ち受けているんだろう。どんなモンスターが。どんな冒険が。

とはいえ、実際に町々を丹念に巡ることへの興味よりは、見上げた瞬間にぶわーっと広がる一瞬のイメージにこそ価値を感じた。だから見知らぬ土地で現地のものを食べたり、現地の人と接したりとかは一切興味がなかった。新しい地図を眺めて、空気のようにそのへんを通過するだけで良かった。今ならもっと遊びようがあるんだよなぁと思いつつ、あれはあれで一つの楽しみ方として徹底していた。

路線図がイメージの発射台だとすれば、電車の延伸計画も大好きだ。発射台が伸びれば伸びるほど、遠くへ行ける。未知のルートで行ける。私の移動趣味はマッピングの楽しさが大きな割合を占めているので、新規マップはアップデートによる追加要素だ。何なら実装まで行かなくても、そこにアップデートの計画があるだけで想像の世界ではすでに飛び立つことができる。計画が現実に存在する(していた)だけでも、わりと満ち足りてしまう。

少し前にバカンス(無職期間のこと)を過ごしていたとき、毎日体力が有り余って眠れないので、よく朝までウィキペディアなどを読み漁っていた。その時の定番コースが「日本全国の遊郭とその現状について調べる」ことと「日本全国の延伸計画巡り」だった。遊郭はその土地の郷土資料として楽しく読んでいる。私は滅亡した国家の記事が好きなので、遊郭への興味はそれと近いものがある。

そして延伸計画も、今となってはそれら滅びの面白さと近しい雰囲気を帯びている。高度経済成長までは多くのプロジェクトが走っていたものの、その後は日本の情勢に比例して新規路線を引くことは難しくなった。土地はないしお金もない。人口も減ってニーズもない。どうせ作っても採算が取れない。吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」みたいだ。ところで「俺ら東京さ行くだ」は私の十八番の一つだ。

私が住む東京近郊でも、延伸計画や新規路線の計画はまだ結構ある。都営大江戸線を光が丘から伸ばして埼玉方面まで行きたいね〜とか、環八や環七の地下を通る外環道環状地下鉄がもしあったら便利だよね〜とか、横浜市営地下鉄ブルーラインが川崎の新百合ヶ丘まで来ちゃうかも〜とか。最後のはどうやら本当に来るらしい。すでに消滅した計画でも、東急池上線の五反田駅が妙に高い位置にあるのは山手線を跨いでまだまだ伸ばすつもりだったから〜とか、そういうのを延々と眺めている。楽しい。今はそこまで暇じゃないんでやってないんですけど。

最近は各地に友人が住んでいる状態になって、あちこちへ遊びに行くようになって、これまで述べてきた路線図的イメージの拡がりには別軸の面白さが増えた。線路が延びればアクセス手段が変わって、交流する人たちに影響がある。遊びに行きやすくなったり、集まりやすくなったり。あるいは新たに自分が住むかもしれない。15年前の旅行時と比べると、路線図の中には私自身も含めて「人」が明確に登場するようになった。これはなかなか画期的な変化だと思っている。

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zenpoly

何かしら書いています。

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