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休日の話

もともと私は、「休みの日に一日中家にいられる側」の人間だった。

「休みの日は何してるの?」なんて、屈託もなく休日の様子をたずねてしまえるような人には「いやいや、みんながみんな、あなたのようではないのですよ…」ということを、そのつど思っていた。

それがいつからか私は、「休みの日にはずっと家にいられない側」の人間になった。


変わったきっかけは、初めて恋人ができた時のこと。毎週末デートをするような暮らしを3年以上続けたあと、再び週末を一人で過ごす暮らしに戻ったところで、時間の持て余し方に驚いた。

「今までの私は、一体どうやって一人で週末を過ごしていたんだ???」

あれから私は、「休日は家にずっといる」ことが完全にできなくなり、暇さえあれば外をさまようことになった。


初めての恋人ができる前は、まず「外でお茶をする」という選択肢を持っていなかった。そもそもコーヒーが飲めなかった。外でお茶をするようになって、次第にコーヒーが飲めるようになり、カフェで時間を潰すことを覚えた。外での過ごし方が、段階的に増えていった。

それらの休日が、やがてひどく当たり前のものになり、以前はどうやって過ごしていたのかを、完全に忘却した。まったく覚えていないくらいなので、実際のところ、本当に何もしていなかったんじゃないか、と今では思っている。次の予定や仕事までの日付をスキップするように、ぼんやりと時が経つのを待っていたのかもしれない。


私を変えた初めての恋人と別れる際、かつての恋人は、このように私に言った。

(毎週末のデートがなくなるから)これからはお金が貯められるね。

ああ、そうだね――と、その時は思ったのだが。上述したように、休日の過ごし方を完全に忘却してしまった私は、暇さえあれば外をさまようことになった。その結果、週末に使う金額には、ほとんど変化が見られなかった。

一人でお茶をし、一人でパフェを食べ、一人で酒を飲んで、一人でうまいものを食べた。これが私の週末で、趣味になった。今では、そうした一人で過ごす休日も「かけがえのない大切な時間の一つ」という認識になっている。



いろいろあって、私は今もまた「毎日が休日」期間を過ごしている。好きで陥ったわけではないが、成り行き上そういうことになったので、それはそれとして割り切りながら、「毎日が休日」を謳歌している。晴れた日には自転車に乗り、雨が降ったらどこかの喫茶店にでも入って、このようなnoteを書いている。ずっと一人で家にいることは、今でもやはり耐え難く、つらいものがある。


先日は、なんとなく立川で休日を過ごした。そろそろIKEAへ行きたい機運が高まっていたので、その日に家でやることを済ませた午後に、私はIKEA立川店へ向かった。

平日の昼間、がらんとしたショールームを一人で歩いていると、休日のIKEAでは味わえない穏やかな心地と、「一人で回ってもあんまり楽しくない気がする」という、二つの感情に包まれた。しかし次第に、IKEA店内を気ままにうろつく楽しさが、それらを上回っていった。

レストランでは、お目当てだった「ラムカツブラックカレー」を食べた。ラムの香りがちゃんとしていて良かった。放課後にあたる夕方のレストランには近所の学生が溜まっていて、近くにIKEAがある学校生活は、なんていいものなのだと思った。私はIKEAで買う予定のものは特になかったが、一つだけクッションを買った。その後、JR立川駅方面へ伸びている多摩モノレールの高架下の遊歩道を歩いた。秋の夜は早く、すでに真っ暗だった。

何か買うものでもあったかなと、駅ビルのルミネに入って色々眺めたりした。欲しいものは無限にあるが、今すぐ買うべきものはない。歩き疲れたので、そろそろどこかで座りたいと思い、「酒か?コーヒーか?」を自身に問うた。「今日はコーヒーでいこう」の返答を得て、そこらへんを歩いていて見つけた、煙くないベローチェに入った。Kindleに入れてあった積ん読の漫画を2冊くらい読んだ。

隣のテーブルでは、大学生の男女3人がノートを広げて勉強していた。英文の考察をして、意見を交わしている。3人とも話しぶりが落ち着いていて好ましく、鼻につくような部分も皆無で、ひたすら爽やかで気持ちが良かった。私もこのような機会が欲しかったなと思いつつ、「20歳前後の大学生だからカフェでの勉強もこんなに爽やかになる=たとえ今から似たようなことを実行できても私には到達できないものがある」というようなことを考えて、水墨画の風景のような心地になった。それでもなお、気分は上々だった。

立川は、普段あまり来ないのでほとんど知らない街だったが、どこか地方の中心都市をさまよっているような「何でもあって、何もない」感じが、居心地がいいなと思った。街としての個性を感じられるところは無くて、ただ近隣住民の便利な生活があふれている。それらの合間を、まるで旅行者のような気分で漂流できた。


「毎日が休日」の日々では、メリハリや充足感を得ることが難しい。

なんとなく立川へ行ったこの日は、目立ったトピックがない一方で、最近の「毎日が休日」期間のなかでは、もっとも良い休日を過ごせたような余韻と、思いのほか多くの癒しが得られた。今日はいつ帰ってもいいし、何なら帰らなくても問題はない、という軽やかな気分で、漫然と過ごせたのが良かったのかもしれない。知らず知らずのうちに自ら身に付けていた足枷を、この日は外して過ごせていた。

その夜、眠りにつく前に『これでもう、今回の「毎日が休日」期間がいつ終わっても大丈夫』とすら思った。それくらい満ち足りた気分だった。

しかし、「毎日が休日」期間は、なかなか終わってはくれない。本来は喉から手が出るほどに有難いはずの休日との、微妙なせめぎ合いは続いていく。私という流木は、今度はどこの浜辺にたどり着くのだろうか。

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