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言葉が翼をくれる

さきほど、たらればさんという方のTwitterでの投稿をシェアさせていただいた。
なんとも背中に翼が生えたような感覚になった。
たらればさんの言葉のおかげで、かれこれ25年ちかくも自分をがんじがらめにしていた鎖が外れた気がした。
とてつもなく、自由になった気がした。

わたしは口だけいっちょ前で、行動が伴わない人が嫌いだ。
それは、自分にそういう部分があるからだ。
高校生のころ、偏差値なんて50やそこらしかないのに、わたしは「上智大学にいく!」と公言していた。
響きが素敵じゃないか、上智大学。
帰国子女が多くて外国のニオイがプンプンしていたのも魅力的だったし、東京にいきたかったし。
片田舎の農家の長女に産まれた自分には、とっても眩しくて、キラキラしていて、「こんな田舎で一生暮らすなんてまっぴらごめんだ!いつか出ていってやる!」といつもテレビに映るトーキョーに憧れを抱いていた自分を、上智大学という響きは、はるか遠くのハイカラな世界に連れて行ってくれる気がしていたんだと思う。
(英語が大好きで得意だったから英語コースのある高校に行ったんだけど、あまりにも授業がつまらなくなってどんどん苦手になってしまった。)

模試のたびに、志望校に「上智大学」とかく。
結局、D判定以上もらったことがあったかな。

進路指導の紙にも、第一志望は上智大学と書いた。
担任も進路指導の先生も、呆れたような顔はしていた。
国公立大の教育学部への推薦をすすめてくれた先生には、「上智大学に行きたいって前から言ってるのに、それを知ってるくせによくもまぁ推薦とか言いますね!」と即お断りした。
でも、上智大学に行きたいばかりで、何一つ努力をしなかったのだから、ほんとうに天然の「口だけオンナ」であった。

そんなこんなで、もちろん上智大学にも行けず、滑り止めの大学にも落ち、それどころかセンター試験の前日に一夜漬けをして試験中に寝てしまい、たしか最後まで解けなかったような。
あまりにも散々な結果だったので、志望校のレベルを極端に落としてまで後期試験を受ける気力もプライドも金銭的な余裕もなく、大学受験を諦めて、手元に残った看護学校への合格証書を頼りに進学したのであった。
(なぜ看護学校だったのかを語るとまた長い)

そんな身も蓋もない受験体験。
わたしに残ったのはただの劣等感と、やるだけやった!みたいな充実感すらないわけだから、ぽっかりと空洞化したアイデンティティと、奈落の底におちた自己肯定感だけだった。

言わなきゃよかった。できないんなら。
言って結果が出せなかったことにモーレツでキョーレツな羞恥心を感じ、それから夢や目標を口に出せなくなった。
それどころか、夢を描いても叶えられない恥ずかしさを考えれば、夢は描くものではないとすら思えるようになった。

時が経ち、看護学校でなんとかアイデンティティを立て直そうと努力して、挫折感をなんとか克服したいと、幼かったころの夢とつなげようとした。
幼いながらに、テレビでみる、アジアやアフリカの貧しい国々のこどもたちがお腹をすかせたり、水を欲しがったりする様子が心臓をわしづかみにされるような、いてもたってもいられないような衝動に幾度となくかられていたのだ。
なりたくて進んだ道じゃなかったけど、結果的にあの頃のかきむしられる思いを少しでも支援の形で叶えられるのに看護師の道は適しているんじゃないかと自分を励ましていた。
すると、もうむくむくと海外で働くことへの夢が膨らむ。
行くしかない、行かずにまた苦い水を飲んで悔しい思いだけをして、自分にがっかりして、苦しいだけの日々を送りたいのか?
問うては、いつも、NOと言っていた。

だけど、、
勇気を出す、その勇気がなかった。
自分を引き留める自分が情けなかったし、
自分の足かせになっているのは自分自身の重みだというのもわかっていたけど。
自分を行かせてあげられなかった。

なんとか勇気を出して、一歩を踏み出す気持ちで、ミャンマーで活動しているジャパンハートの短期ボランティアに参加した。
人生で初めて、自分で選んで、自分でそこに立っている気がした。
自分の足で立ち、自分の目でみて、自分の耳で聞き、自分の手触りを信じられる。
人生でやっと、やっと、自分の人生を歩いている気がした。

ほんとうなら、2年間の勤務が必要だ。
短期ボランティアは、その体験会の位置づけ。
現地で仕事をして、日本では味わえなかった、仕事の対価として給料をもらっていたころには味わったことのない充実感。
行きたい、チャレンジしたい。

後に夫になる彼にその思いを告げて、彼も「そこまでいうなら」と応援してくれた。
28歳。結婚もしたい、こどももほしい。
だけど、ここを逃したら、もう二度と行けないかもしれない。

覚悟を決めて、そのチャレンジに向かうタイミングを見計らっているとき、妊娠がわかった。

、、そんなこんなで、今に至る。
運命に流されているじぶんがみっともなかった。
自分で選択して、自分で道を開く周りの人が羨ましくてしかたなかった。
また、口だけになった自分が、もう醜くて情けなくて、どうしようもなかった。

そんな積み重ねがあって、何も言わずに実行する人がかっこよかったし、言うだけの人には嫌悪感を抱いてました。

でも、友人がね、「叶えたい夢は口に出すんだよ」
って口酸っぱくいうもんで、「そだよねー。」って言ってました。
そのことは至極当然だと思うから。
そのとおりだと思う自分と、セオリーとしてはそうだよね、とふてくされそうになる自分と、両方抱えつつ。

アイデアとか裏での準備とか泥臭いところは水面下のみんなにみえないところでやって、できたところを「どう?」って見せるのがカッコイイと誤解してたんですよ。
苦しい苦しい、なかなか陽の目はみないような影の部分をみせるのはなんかカッコ悪い。
人に情けをかけてもらうようで。

だけど、その過程こそが人をひきつけるのであって、そこにコミットしてくれる人がふえれば自ずと結果はより面白いものにかわっていくし、思いもしなかったところに転がることもあるし、思いもしなかったところとつながったり、誰かが運んでくれたりすることもある。

まずは、口からでもいいんだよ、でもそこでおわるのはちょっと恥ずかしいぞと思う気持ち、口だけで終わらせないぞ!って気持ちがあれば。

たとえ、思っていたところにはたどり着かなくても、スタートしたときの自分より何歩も前進しているはずだし、少なくとも世界は広くなる。

たくさん恥ずかしい思いをしてきて、よかった。
あのころのみっともない気持ちが、今の自分を助けてくれている。
あのまま、推薦を受けていたら、きっと見えなかった景色だ。
あのまま、ミャンマーにとんでいたら、子どもを4人もさずかっていないかもしれない。
そして、子どもの人生に完全に足を突っ込む形で、「やりたいことをやれ!」「思ったように生きてほしい!」と思ってる。
念が強すぎるかもしれない。
こどもに、わたしができなかった人生を投影しているよな。
自分のできなかったことを、叶えてもらおうとしてる。

後悔してもいい。きっとその後悔がなにかの種になるから。
自分の人生にはそう思うし、まわりにもそれは伝えたい。
だけど、、こどもにはあそこまで酸っぱい後悔はさせたくないなぁ〜。。
矛盾してるね。
やっぱり口だけオンナ。



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