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禅語「時々勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)」で、惑わない心を作る方法

※ワードプレスからの引っ越し記事です。2023年3月6日更新。

みなさん、こんにちは!
タカミチです。

今日は、僕の人生のモットーでもある禅語「時々勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)」について書きたいと思います。

この言葉をそのまま訳すと「その時、その時で、埃を払って、拭き上げなさい」という意味になります。

これを人生に置き換えると、「心に良くない思いが浮かぶたびに、それを放置せずにしっかり見つめて反省し、いつも心をきれいな状態に保ちなさい」と、捉えることができます。

僕たちは、日常で自分の価値観に合わない人を見たり、体験したりすると、無意識のうちにそれを否定するような思いが浮かびますね。

これらの思いは、多くの場合が身勝手なものだったり、真実とはかけ離れたものだったりします。

自分のコンプレックスに起因することだったり、自分が傷つかないために対象を貶めている場合が多いからです。

もちろん、中には完全に正当性のある否定の思いであることもありますが、真実は公平性の上にあるという観点から見れば、この世には否定すべきものは圧倒的に少ないのです。

ほとんどの物事は、中立、中道、中庸に見ることができます。

自分の未熟な価値観で判断することには、正当性や本質からかけ離れている可能性がある、と疑う視点が重要になります。

だから、本質を見誤らないために、安易に否定をしてはいけないということが言えます。

一見、大悪党に見える人物にも、その人の価値観による正義があり、その時点では絶対悪であっても、次の瞬間に大多数にとっての正義に置き換わることもあります。

これが「人間万事塞翁が馬」という言葉の1つの例ですが、つまり何が言いたいのかと言うと、本質的に生きようと思うなら軽々しく否定の思いを持つべきではないのです。

対象が明らかな悪であっても、しばらくは中立から静観するというスタンスを持つことで、本質的な物の見方ができるようになると感じます。

心に否定的な言葉が浮かぶたびに逐一それを戒めて行かないと、次第に心は凸凹していき、トゲが発生し、心の安定が壊れていきます。

「否定的な思い=我良しな思い」であることがほとんどなので、それを野放しにしないように監視し続ける意識を持つことが大切だという事です。

だから、時々勤払拭、、「常に心をきれいに磨きあげる意識を持ちなさい」という事ですね!

何か、参考になれば嬉しいです😆

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。
お読みいただき、ありがとうございます😊


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