筋緊張のこと、思い出したこと、心残りなこと、これからできること、

これはわたしが10年以上前に経験した事象だが、この件について誰にも話したことはない。何しろ多くの方と出会い、関わらせていただいたのでおそらく相手の特定は困難だと思う。しかし、医療に従事する以上、個人情報の守秘は義務であり犯してはならない契りであるため、登場人物に脚色を加えていることを最初に断っておく。

わたしは複数年、回復期リハビリテーション病院に勤めた。脳血管疾患の方が多く入院されており、発症から1ヶ月も経たないうちに退院される軽傷の方もいれば、様々な経過を経て半年以上入院する重症者も多数いた。リハビリテーション病院であるがゆえに、勤務する理学療法士の数も多い。若いスタッフがほとんどで、十数年のキャリアを持つ者は上級管理職を含めて数名という環境であった。
対象の多くは歩行が不安定になり、車椅子を使用することも装具や杖などの補助具を用いて人の手を借りながら懸命に病棟を歩くこともあった。そういった方々がいかに安全で安楽に日常生活を取り戻していくか、自身の手技を磨き新たな介入方法の知識を得ながら精進するのが、わたしを含めた理学療法士にかけられた責務であった。
勉強熱心な者は休日返上で講習会に参加し、〇〇法や△△アプローチなど自身の手技を磨くのに金銭や時間を惜しまない。わたしは、と言えばなんとなくセミナーに参加して、なんとなく色んな知識を聞き齧り、時々臨床に応用して手応えを感じることもあったけど、なんか全然上手くできませんごめんなさい、と酷く重い足取りで帰路につくことが日常茶飯事だった。
今、思うとそれなりに一生懸命であったとは思う。担当していた方が、杖と装具を手に試験外泊した時はわたしの方が緊張して眠れぬ夜を過ごし、翌朝出勤したときに何か悪い知らせが入っていたらどうしようと、冷や汗をかきながらスタッフルームの扉を開いた。排泄が自立した方が転倒すれば、それはわたしの判断が間違っていたからだ、と勝手に自暴自棄になり、誰も見ていない職員トイレの中で涙を拭ったこともあった。おそらくこれはわたしだけの経験ではなく、あの頃あの病院に勤めていたスタッフの多くが経験した事象である。飲み会の席では誰それの歩容が良くならないとか、あの介入は間違ってるとか、もっと病棟でこうした方がいいとか個人情報の漏洩に内心ヒヤヒヤしながらも勢いに任せて同僚と捲し立てた。

ところで、脳血管疾患により運動麻痺を抱えた方の多くが『筋緊張のコントロール』という問題に直面する。同じような環境に勤めた経験のある医療者であれば容易に想像がつくことだが、杖なり装具なりを使えば転倒することなく1人で歩ける方であっても、麻痺した側の上肢が歩行距離の延長に伴い緊張し、肘が曲がり手のひらの力が抜けずグーの形を作っているのはよく目にする光景だ。そして多くの理学療法士がこれを嫌う。距離の延長とともに緊張した上肢の筋肉はやがて柔軟性を失い、関節の可動域制限やひどいときには拘縮を引き起こす。現段階では麻痺により動かない上肢も、介入を続けることで元通りにはいかなくても運動することができるようになるかもしれない。しかしその時になって筋肉や関節の柔軟性が失われていれば、神のような介入も最先端の医療技術も歯が立たない。そんなフローチャートを頭の中で描きながら、「上肢の緊張が上がるので歩行量に注意しましょう」という発想に至るのは自然なことなのかもしれない。

あの頃、先輩から再三の注意を受けた。おそらくわたし自身も後輩に同じことを言っている。言っているのだが、「一人で自由に歩けるのに、緊張が上がるからここまでにしましょう、って医療者が勝手に決めていいのかな」という気持ちがどこかにあった。あったけど、それはなんとなく言ってはいけないことのような気がして、自分の気持ちとどう折り合いをつけたらいいのか葛藤を抱えていた。

そんなとき、Aさんと出会った。
わたしが勤務していた病院は病棟配属で、例えば2階に従事していたら基本的には2階の患者にしか介入しない。基本的に全員担当制で主担当が休みの日には別のスタッフが担当する。急な欠員などでフォローが必要になった場合のみ、他階のスタッフが対応する。
Aさんはわたしが従事していない他階の患者であり、何度かフォローに入ったことのある方だった。
年齢は30代、左上下肢に中等度の麻痺があったが装具と杖を使用して一人院内を歩行していた。お話好きな方であり、最初にフォローに入った時にはベッドサイドでストレッチを受けながら気さくに話しかけていただいた。2回目にお会いした時もわたしが出身地の話をしたことを覚えていてくださり、「ああ富士山のところの子だよね」と笑顔で迎えてくださった。
最初は車椅子、2回目は病棟内などの短い距離であれば歩行していたAさんも、3回目にフォローに入った時には病院内を一人で歩行していた。しかし、その顔に笑顔はなく以前よりも暗い雰囲気だったことをよく覚えている。
「もうお一人で歩いているんですね」
と、声をかけると、俯きながら、「でもだめなんだ、歩きながら肩に力が入っちゃうから」とか「PTさんから、歩くときに肘が曲がってるって言われてて、でもどうしたら治せるのかわからないんだ」と話してくださった。
わたしも若かった。なんとかAさんを励ましたくて、これなら外も一人で歩けるとか、電車にだって乗れると思うとか、言葉を選びながらも思慮の足りない声かけをした。しかしAさんの表情が変わることはなく、おそらくそれが今の彼と彼の担当スタッフの課題であるのだな、と取るに足りない結論でまとめた。
モヤモヤとした気持ちを抱えたまま後日、Aさんの担当に状況を報告した。その際になんとか彼が前向きになれる目標はないのか、と相談してみたが、おそらく彼女も先輩から再三の指摘を受けているのであろう、暗い表情で上肢のコントロールができない限りは長距離歩行は難しいというようなことを話していた。

Aさんの話はこれでおしまいで、あれからどう退院してどう生活しているのか情報はない。他階からフォローにくるスタッフなんてそんなもので、思えばわたしの担当していた方にフォローに入ってもらった先輩に対して、こちらの事情も知らないで好き勝手言われても、と酷く失礼な思いを抱いていた。申し訳ない。

わたしも理学療法士になって10年以上が経過した。うまくいったこともあるが、うまくいかなかったことがほとんどの臨床だったし、それは今も同じように思う。唯一、違うとするとそれは自分の手の届く範囲に見当がつくようになったこと、それくらいだ。それはわたし自身が努力したから、というよりは、それ以上に多くの方と出会い多くのことを教えていただいたからだと思う。

Aさんの件について、わたしはまだ葛藤している。
たくさん歩けるのだからもっと色んなところに行けるようにした方がいい。でも腕が曲がって足をぶん回しながら歩くのであれば、それは見栄えが良くないから綺麗に歩く練習をしたり負荷量を調整した方がいい。装具がなくても歩けるから装具は外した方がいいけど、足首の関節が硬くなってしまうから装具はできるだけつけておいた方がいい。

色々な意見がある。これらは誰か(おそらくは理学療法士)から言われなければ一生気づくことのないことかもしれない。本当は気づいていた方がいいけど、気づくことによって自身のこれから先の人生があまり見通しのよくないものであるかのように自覚してしまい悲しい気持ちになるのかもしれない。伝えなければならないことがあるのは確かだけれど、それはいつ誰がどのようにして伝えるのか十分に考えなければならないし、何よりも正しい情報でなければならない。でもそれが正しいかどうかなんて、一体誰に判断できるんだろう。正解のない世界で不正解ばかりと向き合いながら、それでもわたし達は決められた時間内に正しい仕事をしようと七転八倒する。それは遠くから見たら美しいこともあるのかもしれないけど、当事者から見たらとても残酷で悲しいことばかりだ。

結局のところわたし達は、たくさんの先人たちが積み上げてきた叡智を頼り、よりベストな方法を探し、対象者へ提案することしかできない。何が正くて何が正しくないのかはわからないし、その結果で利益を得て不利益を被るのは対象者なのだ。だからこそ責任は重くのしかかり、時としてそれに押しつぶされる。

もしもこの先、わたし自身が主体となってそれを決断できるときが来るのだとしたら、それは多分わたしが脳血管障害を持ち運動麻痺を患ったときだけなのだと思う。わたし自身が決められないことだからこそ、学ばなければいけないし、言葉を選ばなければいけないし、適切な距離の取り方や振る舞い方を覚えなければいけない。あのとき未熟ゆえに抱いた後悔は、申し訳ないがこれから先の出会いの中で尽力し、懺悔していくことしかできないのだ。

つい最近、少しだけ躓くことがあって、急にこんなことを言い出した。ものの1時間足らずでこれを書き上げたので、相当な何かが溜まっていたのかもしれない。書いたらちょっとすっきりしたので、また来週から頑張れそう。もしも最後まで読んでくださる方がいらしたら、お礼を申し上げます。



読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。