理学療法士が理学療法士がやっている整体院に行ってきた話

東京に木枯らし1号が吹き荒れた日、わたしは珍しくなんの予定もない平日休みを満喫していた。研究の分析をしたり論文を読んだり、貴重な時間を無駄なく使いきろうと朝から奮闘していた。

昼食は外食することにした。夫は仕事、娘は学校で家には誰もいない。駅前に新しくできたハンバーグ屋さんに出かけた。ハンバーグはご飯・味噌汁・サラダがついて合計1000円とお手頃な値段で、感動するほど美味しいわけではないが「まあこれで1000円なら十分だな」という感じだった。
帰り道、無意識に首を回し、肩をポキポキと鳴らしていた。せっかくの平日休み、整体にでも行ってみようかな、と思い立った。本当に急に思い立った。
Hot Pepper Beautyのアプリを開くと、すぐに45分1980円という破格の整体院が見つかった。なんでもオープン記念価格だそうだ。当日の予約はアプリからはできないとのことで、サイトに載っている番号に電話をかけた。少したどたどしい対応に微笑みながら、夕方の空いた時間に予約をした。

一旦、帰宅すると残りの作業に取り掛かり、頃合いを見て夕食の下拵えをして、わたしは再び自転車に跨り駅を目指した。

整体院は駅から歩いて数分のビルの4階にあった。インターフォンを押し、EVで指定された部屋の階に上がると、ドアの前に同世代か少し年下くらいの青年が出迎えてくれた。
「お待ちしてました、こちらへどうぞ」
丁寧な挨拶と共に、閑散として清潔感のあるワンルームに招き入れられる。靴を脱いでゴム製のスリッパに履き替えた。令和の時代、何もないことはお洒落なことだ。
最初に問診票のようなものを書くよう指示され、小気味よく空欄を埋めていく。痛みのある箇所を尋ねられるが、別に痛いから来たわけじゃない、なんかマッサージみたいなやつやってほしいな、と思ったから来たのだ、と正直に書くことはできず、それでも真面目に「肩と腰が痛い時がある」と書いた。嘘ではない。おそらく美容も専門としているのだろう、問診票には顔の気になる部分について記載する欄もある。ほうれい線や肌のハリ、たるみなどは無視して『二重顎』に勢いよく丸をつけた。わたしに与えられる時間は45分、1秒の無駄も許されないのだ。

青年はわたしから問診票を受け取ると、自己紹介を始めた。丁寧に名刺までいただき、その名刺にはしっかりと『理学療法士』と記載されていた。

ああ、忘れてた、そういうこともあるんだった…

整体に行くとき、マッサージに行くとき、いつも自分が理学療法士であることを隠すか否か迷わされる。そしてこの時代、そういった施設で同業者が働いているのは珍しいことではないのだ。
自費リハの賛否が問われていたのはもう何年も前の話。その昔、わたし達の偉大な先輩方がやれ「グレーゾーン」だの「医師の指示がないのに国家資格を名乗るな」だの言われながらも血の滲むような努力をなさり、その果てに築いた礎の上に今、あなたの城は立っているのですよ、と心の中で語りかけるのをやめられない。その一方で「ご職業は何をされてるんですか?」と尋ねられたら「不動産関係の会社に勤めています!」と元気よく答えるシミュレーションもしていた。

しかし、そこは都心のハイセンスな整体院。うかうかクライアントの職業を尋ねるなんて野暮なことはなさらなんだ、と感心しつつ、気づいたらわたしは施術台に座らされ問診が始まっていた。
肩こりやら腰痛やらお決まりの質問を受け流していくと、青年は徐にわたしの僧帽筋を摘んだ。

「かったいですね〜、筋肉から筋膜からガチガチです」

まあまあ痛え…、と思いながらも奥歯を噛み締め薄ら笑いを浮かべるわたしに青年は容赦ない。
「これ、いま摘んでるのが筋膜です。ここが特に硬い」
青年の表情は見えないが、さぞかし誇らしげな顔をしているのだろう。筋膜だかなんだか知らんが、こちとら自分の身体が硬いことなど小学校低学年から気づいている。だからなんだ…、お前はこのガチガチの肩甲骨周囲をどうしてくれるんだ…

「本来なら足からやっていかないと効果はないのですが、今日は上半身を中心にやっていきますね」

効果ないんかい!と思いつつも45分のお試しコースなんだから当たり前か、と気を取り直す。それにしてもこの整体院、パンフレットもなければ通常コースの説明もない。開院したばかりとは言えどそこは何かあってもいいのではないか、と訝しみつつ、言われるがままにうつ伏せになる。

「ご自宅はこの辺なんですか?」
ぐぁはい、とわたしが答えたのを最後、彼はわたしに何も尋ねてこなくなった。脊柱起立筋を一気に摘み、彼の施術が火蓋を切ったのだ。そこからは、わたしのガチガチの筋肉か筋膜か、たぶんその多くは皮下脂肪である何かをゆらし、動かしてはゆらしていた。
側臥位にされ、反対を向かされ、最後は仰臥位をとった。青年が何も喋らないので、わたしは色んなことを考えていた。「最初は病院に勤めてたのかな」とか、「先輩的な人に誘われて開院したのかな」とか、「この家賃でどのくらい利益でてるのかな」とか、聞いてみたいことはたくさんあった(でも身バレしたら嫌だから黙ってゆらされていた)。

青年の施術はとても気持ちいいし、なんとなく身体も軽くなる気がした。夕方でお互いに疲れているのか、はたまた人見知りしあっているのか、沈黙の続く空気は重たかったけど、45分はあっという間だった。

「60分のコースと30分のコースがあって、選べますので」
終わりがけ、ふいに青年の声がした。一瞬なんのことだかわからなかったが、ここで初めて通常コースを説明されたのだと理解した。なんだろう、見た目は太いけど『太い客』にらならないと悟られたのだろうか、それ以上、彼がわたしに何か説明することはなかった。

「あ、ちょっと柔らかくなりましたね」
再びわたしを施術台に座らせ、最初と同じように僧帽筋を摘み上げながら彼はつぶやいた。そして一言、聞き捨てならない質問を投げかけてきた。

「この硬い身体をなんとかしようとは思わないんですか?」

「黙れ小僧、お前にこの脂肪がほぐせるか!!」と言いたくなったが、現にほぐれているのでそこは堪えて、先ほど同様に薄ら笑いを浮かべながら、
「まあ、なんとかなるならなんとかしたいな、とは思います」
と正直に答えた。少し正直すぎたな、と後で内省もした。ここは病院でもなければ、訪問看護Ⅰ5でもない。そもそも人には“身体の硬い人”の役割を演じる必要などないのだ。

その後、営業トークも何もないまま施術は終わり、きっちり代金の1980円を支払ってわたしは整体院を後にした。見た目とは裏腹に『太い客』になり得なかったことにそこはかとない寂しさを抱えつつ、誰かにこの話をしたくて堪らなくなったのでこのnoteを書いている。

Hot Pepper Beautyのサイトを改めて見ると、60分の施術はまあまあ良いお値段だった。 1000円のハンバーグ定食と同様に、青年は1980円の仕事をしたのだ。自分の仕事に自分で値段をつけ、その責務を全うする。なんと尊いことだろう。

良い経験をした。色んなことを考えた。普段、わたしが訪問している人たちは、わたしに身体をゆらされながらどんなことを考えているんだろう。わたしから「硬いですね」と言われたら、どんな気持ちになるんだろう。

自分の胸に手を当てると、なんだか痛くなってくる。相変わらず首をポキポキ回しながら、わたしの貴重な平日休みは終わりを迎えた。

読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。