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小学校の入学式前日、娘はPCR検査を受けた

 瀬戸内海のさざ波が風に揺れるの眺めている。ああそうか、わたしは今治に居るんだった。
 気分は晴れやかで突き抜けるような青空が広がっているはずなのに、眼前に展開する風景はなぜか薄曇りで、深い眠りから覚めたわたしはそれを不思議に思う。身体は客室に備え付けられた露天風呂に浸かっていて、温かなお湯に身体を燻らせぼんやりしているのがとても気持ちが良い。風呂に浸かりながらこんなにも深く眠っているのだから、わたしは相当に眠かったのだろう。
 とは言え、そろそろ支度をして娘と夫の所に行かねば。そう思い立ち、風呂から出て身支度を整えると、行き着くのは自宅のリビングで、ソファには日曜から高熱を出して自宅療養している娘がだらしなく座っている。彼女はすでに解熱しているものの、昨夜はPCR検査を受け、今夜にはその結果が出る予定だ。そういえば、今日はこの子の小学校の入学式だった…

と、いうところで目が覚めた。
 温泉に浸かってたところまではフィクションで、娘が熱を出していたところからはノンフィクションだ。わたしの可愛い娘は入学式の前々日から高熱を出し、とうとう式の本番には出られなかった。そうして、夢の中と同じ姿勢でリビングのソファにだらりと座って、YouTuberの賑やかな声がスライムの作り方を説明している。
 連日の看病で疲れきっていたわたしは、夫が内勤なのをいいことに二度寝をしたいと申し出た。夢の中でも昼寝をしていたくらいだから、相当に疲れていたのだろう。ぐっすりと眠ったので、幾分身体も軽くなっていた。

 話は2日前に遡る。4月4日の日曜の朝、ベッドから起き出した娘がどうもぐったりしており熱を測ると37度台の後半だった。マズイ、とすぐに寝かせて水分を取らせたものの、熱はみるみる上昇し、昼頃には38.7度まで上がった。
 有難いことにこの一年、風邪ひとつひかず保育園からの呼び出しも一度もなかった娘ではあったが、卒園や学童保育など目紛しい生活の変化に直面し、とうとう堪えきれなかったのだろう。気づいていながらも、小さな身体に無理をさせていた罪悪感と、これから始まる新生活ののスタートで遅れを取らせるわけにはいかない焦燥感とで、親として居た堪れないような感覚を覚えた。

 駅前にあるファミリークリニックは日曜でも診察をしていたので、すぐに受診した。熱発、倦怠感、少しの吐き気を伝えると、“胃腸風邪”と診断された。「熱が続くようであれば他の病気も考えましょう」と抗生物質と整腸剤を処方されたものの、“他の病気”というのが何を指すのかは敢えて考えないようにした。
 念のためにおこなった溶連菌の検査は陰性で、「陽性だったら、それで安心できるんだけどね」という医師の一言に、チクリと胸を刺されるような感覚がしたのを覚えている。

 帰宅後、「起きていられないくらいにしんどい」という娘をベッドに寝かせ、出前館で注文したうどんを夫と共にすすりながら、明後日の入学式に出席できるかどうかの心配をしていた。
 今思うと、あのとき食べたカレーうどんはスープが水っぽく、麺もコシがなくて少しも美味しくなかった。というか、ほとんど味がしなかった。味覚・嗅覚の有無をしつこく娘に確認していたのに、当の自分がこの有様なのはどこか滑稽に思えたが、それを口に出すほどわたし達夫婦は気丈ではなかった。

 娘の熱はあっという間に39.2度まで上昇し、わたしはそれをせっせとメモに書き留めた。午後には保健所の相談窓口に電話もした。が、すでに受診しており、受診先の医師が“胃腸風邪”と診断したのであれば、家で様子を見る他ない、という話だった。
「症状が続くようであれば、考えましょう」とここでも同じ台詞を聞いて、確かに訪問先の利用者が同じような状況でも、訪看のスタッフとして同じことを言うだろうな、と乾いた気持ちになったものだった。
 翌日は出勤予定であったが、夫が外勤で一日家を空けるため、上司に連絡をして休みをもらった。転職して2年ちかく経つが、子どもの看病で休みを取るのはこれが初めてだった。

 翌朝、娘の熱は一旦は36度台まで解熱したものの、昼過ぎには再び39度まで熱発、倦怠感や食思不振の症状は続いており、水分を取るのがやっと、という状況だった。また“胃腸風邪”という割に、下痢も嘔吐もしない点が気にかかった。
 わたしは再び保健所の相談窓口に電話をかけ、状況を説明した。平日のせいか今回は周囲に感染者がいないか、クラスターの発生はないか、渡航の経験はないかなど、時間をかけて詳しい聴取をされた。
 ここ数日、保育園と学童保育にしか行っていないこともあり、やはりすぐに検査を受ける必要性はなく様子を見るしかない、可能であれば普段から診ている医師に再診してもらう方が良いのではないか、というアドバイスを貰い、娘を連れてかかりつけの小児科へ向かった。
 かかりつけの小児科の先生は丁寧に診察をして下さり、頓服が処方された。検査について相談もしてみたが、やはり発熱して2日、周囲に感染者がいない状況では必要性は低いとの返答であった。

 帰宅して娘を寝かせ、職場に電話をかけた。もともと翌日は入学式のため有給をとってあったので急な勤務変更の必要はないが、この状況を報告せずにはいられなかった。もちろん入学式を欠席させるのは、昼の時点で決めていた。
 看護師の上司から、すぐに近くの病院でPCR検査が受けられないか問われた。当然の返答だと思った。ずっとその必要があると思っていたし、誰かに背中を押して欲しいと思っていた。

 でも…、と戸惑う自分もいた。ただの風邪ならあと少し寝ていれば治るだろう。明日の入学式への参列は難しいのかもしれないが、ここで拗らせればそれ以降の学校生活にも影響が出る。感染の可能性は0ではないが、日曜に受診した医師もかかりつけ医の小児科の医師も、解熱すれば問題ないと言っている。検査の必要性について再三尋ねたが、解熱さえすれば元の生活に戻っていいと言っているのだ。

 母親としての自分の言い分は真っ当だった。しかし、医療従事者としての自分はどうだろう。数日前に家族が熱発、解熱したとはいえそのような状況で通常業務をこなしてもいいのだろうか。自宅環境、ましてや娘となると十分な感染対策が取れていたとは言い難い。健康な人相手ならまだしも、クライエントの中には特別な管理を必要とする人も多くいる。今の自分は胸を張ってそういう方々の自宅に伺える状況にあるとは思えなかった。

 判断のつかないまま、自費でのPCR検査を早期から多数行っているクリニックに電話をかけた。すると当日の20時迄に受診すれば明日の夜までには結果が出るという。明日は休診なので、検査を受けるなら今すぐに受診する必要があった。   
 それでも、わたしは迷っていた。久しぶりに、自分を弱い人間だと思った。
 ぐったりとしている娘を連れ出して、再び高熱になったらどうしよう。検査を受けて陽性だったらどうしよう。誠実でありたい、誠実であることが感染症と闘う術であると思ってきたのに、検査を受けずにすむ方法ばかりを探していた。
 そして、ずるいわたしは娘にその選択権を委ねたのだった。

 検査について説明すると、娘は「受ける」と頷いた。どんな風に説明したかは正直、よく覚えていない。後になって娘にその時のことを尋ねたら、「ママがお願いしてきたんじゃない」と返された。お願いしたつもりはなかったが、知らず知らずのうちにそういう言葉を選んでいたのだと思う。

 娘の返答を訊いてすぐさまタクシーを呼び、クリニックへ向かった。受付に事情を話すと電話対応をしてくれた看護師が「ああ、間に合ってよかった」と笑顔で応えて下さり、わたし達の選択が正しかったような気持ちになった安心したのを覚えている。相変わらず、娘はぐったりとしていた。
 相当痛いと噂には訊いていたが、娘の反応は凄まじかった。わたしと医師とで身体をがっちり押さえ込まれ、鼻腔に綿棒を通された瞬間から痛みに泣き叫んだ。帰り際に「二度とここには来ない」と捨て台詞を吐き、わたしは平謝りしつつお礼を言ってクリニックを後にした。
 検査結果は翌日の17時〜20時の間、陽性の場合のみ電話連絡がくることになっていた。

 翌日、娘は解熱し本調子ではないながらも日がなベッドに籠る状況は抜け出した。この分なら、明日からは登校できるだろう。あとは検査結果を待つのみだった。
 その日は何をしてても落ち着かなかった。娘を外出させないのはもちろんだが、わたしはどうなのだろう。病院では「特に制限はない」と言われたが、それでも買い物など必要最低限の外出ですら気が咎めた。

 結局、夜になっても電話は鳴らず、娘のPCR検査は陰性だった。そのことを上司に報告すると、「入学式は残念だったね」と労わりのメールをいただいた。そこで初めて、涙が出た。
 ひょっとすると、自分は娘に対してとんでもないことをしてしまったのかもしれない。倦怠感はあったけれど、解熱していたのだから入学式には出席できたのかもしれない。一生に一度しかない行事を休ませる権利が、果たして自分にあったのだろうか。わたし達夫婦の判断が間違っていたとは思わないが、彼女の人生を少なからず悪い方向に変えてしまったような気がして、あとからあとから涙が出た。

 翌日から娘は学校に登校し、あれ以降は疑わしき症状もない。新しい環境に緊張しつつ、身体に対して随分と大きなランドセルを背負って学校に向かう姿を見送ると、あのときとは違う種類の涙が込み上げてくるものだった。

 4月10日現在、全国規模での感染拡大は止まらず、連日のニュースでこの話題が取り上げられている。決して他人事だとは思っていなかったが、あの一件以降ひとつひとつの情報の重みが変わってきたのは事実である。
 たぶん、あの数日間の自分たちの行動が果たして正しかったのかどうか、わたしは自信が持てないのだと思う。相談すべき機関に相談し、受診すべき機関を受診し、自分たちの判断でプラスアルファの検査も受けた。社会的に間違ったことはしていないと胸を張れるが、未知のウイルスに対する為す術のなさばかりが際立って、ひとつひとつの決断が随分と重いものになってしまったのは否めない。

 とはいえ、時計の針は進んでいる。月曜からはまた娘は学校へ通い、わたし達夫婦は仕事に出かけ、生活は回っていく。これまでだって随分な役割を背負ってきたのに、未知のウイルスと闘う責務まで背負わされて、なんだか息苦しい世の中になったものだと思う。
 わたし達家族のおぞましいこの数日間はなんとか記録に残しておきたいと思い、微力ながらもつらつらと書き連ねたら随分な量になった。たぶんこれはわたし達家族の場合であって、他の誰かにそのまま当てはまることなんてないとは思うけど、我が子にPCR検査を受けさせた親のひとつの経験が、巡り巡ってどこかの誰かの役にでも立ったら幸いだ。

 余談だが、入学式に参列できなかった代わりに、当日に着ていく予定だった服を着て家族写真を取りに行く計画を立てている。感染対策という責務は忘れてはならないが、どうせどこにも行けない生きづらい世の中になるのだったら、ささやかな楽しみを積み重ねて少しでも幸せそうに暮らしていけたら、と心ばかり願っている。

読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。