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日記の癒し

エアコンつけっぱなしで電気代が大変だという
インタビューなど 我が家はリビング ダイニング
続きの間の寝室と 一台のエアコンで冷やして
いるので高いとはいえ一日おそらくワンコイン
程度で済むのではないかと見積もっているけ
れど 一軒家 子供二人 三人 などと言えば
都合五台ほどエアコンを回す羽目になるのか
思い至らなかった それは確かに大変だ 受験
の夏 暑かった エアコンがなくじっとりとした
汗と焦りと 軽いパニックになって受験の夏を
棒に振った 涼しかったらあるいはもっと いや
過ぎた話だ その頃はそれでも暑くて30度
程度か 夜に蝉が鳴くというのはなかった気が
する もっとも 今年は暑すぎて蝉の声があまり
聞かれない よく共有廊下でひっくり返っては
いるものの

文学かかったもの 文学的意匠を読んだり文体
が独特だったり 心が弱るとそういう作品を読む
気にならない いつもは背伸びしてそういった
評判の作品に手を出しているが本来的に無理
があるのだろう つまり 文学を読むにも気力
体力が必要という事で 文学に限らず何事にも
気力体力は欠かせないという事を今更ながら
痛感し そして痛感したところを言葉尽くしても
なにも伝わらないだろうことに思い至る どんな
に何を言われようと生活態度を改める気がない
のと同様

そのようななかにあって いつも慰安になるの
は私の場合 他人の日記 と言って隣の主人
の日記を読むという事は不可能なので作家 画
家 マンガ家 その他文化系著名人の日記を
めくることになる 財界実業界の著名人の日記
というのは読んだことはないが読んでみるとそ
れなりに面白いのかもしれない この人の日常
がこの人らしい というのとこの人がまさかこんな
日々を送っているなんて と思うのと二つの
愉しみが日記にある まあ野次馬根性というこ
となのだわね 出来るだけ簡素で 現実離れ
していない日記がいい 書き込みすぎ 意見が
立派すぎると疲れる でも普段からそういう人
も私には想像つかないがいる

かと言って事実の羅列のような当人だけの日記
は困る 書籍化されている日記はどこかしら
創りも入っているだろうし読まれるための工夫も
ある そうでないとやはり読めない 人のために
日記をつける でも具体的には誰というでもない
物を書くときは誰でもそんな心持ちではないか
実用を目的としたものは別とし

出窓に置いた水槽の中で魚が空に浮かんでい
るように見える そもそもそういう光景を見たくて
淡水魚を始めた 海水は面倒そうで それに
地味な淡水魚の銀閣寺的な錆び具合がいい
派手はでしい生活など暮らしたこともなく華やか
さに対するあこがれも薄れた

などと突然自ら日記めいたものを書いてみる
ぼおっとしているときに浮かんだどうということ
の無い話 それが何故癒しになるのか 放心
したときに考えることというのは人間の奥底で
共通したものなのだろうか ユングでもなく そ
んなことどうでも あなたの事はそれほど 

長く放っておいた懐かしい本を積み重ねから
抜き出して読んでいる 田山幸憲 パチンコ
日記完 著者の死去により終わったパチプロの
日記 今からもう三十年ほど前 パチンコ産業
が自動車産業の規模に迫ろうかという盛り上が
りを見せた時に 異色の東大出身 一匹狼の
パチプロとしてその筋では有名だった人だ はじ
めの方は主に勝負の記録と付随する出来事
の記述だったのが 最終巻にまでなると私小説
の趣きを見せはじめ 一章一章が詩情と思索に
満ちた小文学の様相になっている このとき
舌癌で余命一年だったのは本人に知らされてか
知らずか 休まずひたすら台の釘を見極めて確率
論に基づく仮説と経験を頼りに淡々と勝負してい
く 時に負けても トータルして勝っていれば
喰える それは投資と全く同じだ この日記 な
にしろ文章がいい 特に難しい言い回しはない
ものの 古語や造語を散りばめた独特の綴られ
方で やや物悲しさの残る読み味がその生き方
のほろ苦さと読み取れる この人よりとうに私は
生きている 生きていく

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