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私が書き物をやめた理由

私が書き物をやめた理由

才能がすこし
あると思ったが
とびぬけてはいない
それは
嫌と言うほど
わかっているが

才能のある人を
みる能力も
ひとなみを
外れてはいない

しかし
いいものは
ほとんどの人がいい
という
そういうものを
書きたくなくて

自分の世界を
突き詰めようと

考えてみたけれど
とびぬけた
世界など
みえない

さまざまな
ひとの書き物を
さまよって
まよって
さまざまな書き方の
読み方の
読まれ方の
轟音を
浴びて

考えた
考え抜く寸前まで
そして

嫌になった
書くのが

苦しさしか
なくなった

苦しいのは
自分だけ

したがって
やめればいいだけ
なんだけれど
やめたら
自分が
消えてゆく
ようで

苦しかった
構成を作りこみ
設定を決め込んで
細部に心血を注ぎ
しっかりと構築するのが
脳の余力を
空っぽにした

書こうと思って
二十年
一行も
面白いとは思えな
かった

その間
いろいろな人と会った
ちょっとこの人は
まずい
と言う人にもあった

そのまずさは
単純に
暴力
加害性
と言った粗暴さではなく

もっと
精神的な
どうしてこういう事に
なる
というような
屈折ではあった


本当に
高度な
知にあふれた
悪逆ではなく

それなりに
ありふれたものだったと
物量的には
稀なものだと

今思うなら
振り返られる

とんでもない
悪人に
会う環境でも
なく

幸運だったが
交われば
ねたになったかもしれない

ねたになっても
筆力は
足りなくて
ぼろぼろに
堕ちたかもしれない

いきつくとこまで
いきつけなくて

ひらきなおって
また書き始めた

短歌

トパアズの
砕けたような
うつくしい
短篇
とどく
簡易書留

北園克衛ふう
なイメージの

音だけで
新語を作った
舟くだりの
長い詩を
書いた

西脇
じゅんざぶろう
ふうな
イメージで

個性や
才能は
どこかに
かたまっている
だろうか

このスタイルは
詰めない
構成も
言葉遣いも
詩の
成立も

快適だが
空虚

こういうことだったの
だろうか
人が
三十路になるほど
あちこちを
迷ってきて

新しい才能が
次々に
出る
その才能の

わかると
くるしい
くるおしい

けれども
真似ない

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