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「チェシャねこ同盟」7

 朝起きると、トマスは洗面台の鏡の前で自分の顔を見つめる。皮膚と、筋肉と、脂肪と、骨。それらで作られた造形が、彼にはとても奇異に感じられる。じっと顔を見つめていると、肉体の感受性の鈍さと表現力の乏しさを感じ、人間のボディは滑稽な失敗作だという気がしてくる。
 自分の身体をこんな風に感じるのは、トマスにとっては良い兆候だった。宇宙人としての真っ当な感覚を抱いて自分と対峙している証拠だからだ。こんな時には、その他のものとも正しい距離で接することができる。なにもかもが新鮮で輝いて見え、朝陽に照らされる樹の葉を眺めれば、肌にすいつくほどその樹を味わうことができる。
 体感の濃度が格段に上がるから、彼はできる限り宇宙人感覚を忘れたくないと思っていた。自分であれ外側にある何かであれ、入り込み過ぎると思考の独裁的な言い分にだまされることになる。油断大敵。ご用心。彼にとって先入観とは自ら仕掛けるトラップのことを意味していた。
 そんな彼の宇宙人らしさが災いしたのか、地球人としてのボディを三十年以上も使用しているにもかかわらず、身体と一致していないと彼は感じていた。空気越しにコンタクトをとっているようなもどかしさがある。これを改善点だと思ったトマスは、できる限り肉体に意識を向けるように心がけるようになった。
 観察するようになってようやく、自分がいかにボディに興味を持っていなかったか気づいた。トマスは自分の瞳の色さえ知らなかったのだ(因みに鳶色だが)。毎日鏡をのぞき込み、歯をみがき、髪を整えていたはずなのに、自分はいったい何を見ていたのだろうと彼は驚いた。どういう顔で、どういう形をしているか、頭のてっぺんから指の先まで、生まれて初めて知るような有様だった。
 自分の姿を見ることに対して、トマスは自分がほとんど恐れを抱いていたのではないかという気がした。忘れていれば、それに囚われているという事実から目を背けていられるかのように。彼にとって肉体とは、余分な情報の宝庫だった。性別、国籍、血縁、年齢、信条、健康、美貌。身体は勝手に彼を特定のカテゴリーに配属してしまう。
 トマスにとって肉体にへばりついている情報の中で一番気持ちが悪いのは氏族だった。実際、本当に幼い頃からこう思ってきた。家族なんてもの『無い』みたいに『存在』できればいいのにと。遺伝子の舟に乗りこむことでしか物質化できないことは、彼の地球に対する最大の不満である。
 家族という概念がなければいいのに。赤ん坊がキャベツ畑で発生すればいいのに。彼は幾度と無くそんなことを心の中で呟いてきた。トマスには、家族というポジションにいる人たちを一体どう扱っていいのかわからないのだ。常識としては切っても切れない縁。とはいえ宇宙人であるトマスにとっては、血縁であろうと、囚われようにも囚われようのないものに感じられる。霞のごとく頼りない幻に。
 ながい、ながい、ながい旅の途中にある宇宙人にとって、森羅万象の広大さの前にすべての生命体は一人で対峙していた。人間の感覚ではどんなに強い縁で繋がっているように感じられても、トマスにとっては宇宙にただよう蜘蛛の糸よりも微細なものにしか認識できない。
 とはいえ事実、トマスはトマスである以上、肉体に囚われている。そんなわけで、観察と受容。彼はまず、そこからはじめることにした。観ることは、語りかけることだった。すると少しずつ、身体が本性を見せてくれるようになってくる。そうすれば、肉体との繋がりもできようと言うものだ。
 51%ガールが彼の元を去った時、自分は絶対に立ち直れないと思った。トマスはそれほどまでに、彼女に精神的に依存していたのだ。トマスが唯一リラックスできる相手が彼女だったのだから。
 世界が途端に興味を愛着も抱けない場所に一変した。自分はこの惑星の部外者で余所者だという感覚が強くなり、これまでにないほどの空虚感に襲われた。これほど味気無いなら、いっそのこと死んでしまいたいとすらトマスは思った。けれど、彼は死ななかった。なぜなら、人間は必ず死ぬからだ。それならば、去ることをわざわざ自ら決定する必要があるだろうか。
 空虚な気持ちで日々を送ることの長さを人間は思う。けれど宇宙人のトマスからすれば、人間の一生を経験するということは、口に入れたからには噛んで飲みこむか、くらいの感覚だったのだ。
 日常生活をこれまで通り繰り返し、社会を眺めながらトマスは改めてこう感じた。人々はさもこの世界に成し遂げなければならない重要なことがあるかのように、忙しく動き回っている。けれど、本当にどうしてもやらなければいけないことなど、この世界には一つも無いのだと。地球人としての一生に対して情熱があるとすれば、そこにあるのは『やらないではいられない』ではなく、『やらざるをえない』という表現が相応しい。生きていることを感動的に捉えることはもちろん可能だけれども、敢えて非地球人的視点から捉えたならば、地球人の生きる衝動には、人生を完了させたい、そして完了させたものを見渡したいという想いがある気がするのだった。
 彼女から贈られた本は、ずっと引き出しの奥に押し込まれていた。それは表紙が洒落ていて文字の大きい比較的薄手の本である。最初トマスは、怒りと悲しみのあまりその本を開いてみる気になれずにいた。やがて落ちついてくると、彼女の思い出を甦らせたい気持ちを抑えるなど彼には不可能だったが。その小説は奇妙奇天烈で荒唐無稽な上に難解な作品だった。それでもふしぎと癖になる所があり、彼はこれまでに数回読みかえしていた。
 とある金曜日。春の夕暮れだった。トマスはその日、カフェのテラス席で買ったばかりの本を読みながら読書に関するとある感慨に思い至った。以前から、本を読むと脳みそに自分が住んでいる宇宙とは異なる宇宙のエッセンスをゆらゆら流し込む、みたいな感覚になると感じていた。つまりは読書というのはなかなかの一大事なのではと、彼はふと思ったのだ。読書なんてこれまで何気なく繰り返してきたことだけれど、ぼくはもう少し自分のことを見なおしても良いのかもしれないと。
 そして不意に、51%ガールから受け取った小説のことを思い出した。
 (もう一度読み直してみようかな)
 脳裏にそんな想いがひらめく。
 一人暮らしのアパルトメントに帰り着いたトマスは、51%ガールから受け取った本を本棚から取り出しベッドの上に寝転がった。
 それは先程も述べた通り、とっても風変わりな本だ。まず前書きの所に、こんなことが書いてあるのだから。
 『注文の多い小説』
 以後こう続く。
 
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 どうかふんわりと対象から視点を浮かせた状態を意識して読んで下さい。

 この小説の内容が、抽象的で難解だと感じる方もいるかもしれません。まるで知らない言語で書かれているようだと。
 それは全くその通りで、慣れるまではきっと、『??????』『意味不明!』という感じだと思います。精一杯、理解しやすい表現に翻訳したつもりなのですが。
 
 ゆらぎの少ない線で描けば描くほど分かりやすくなります。絵で伝えるにしろ、言葉で伝えるにしろ、この点に関しては同じです。
 でも、ゆらぎの幅の狭い線では情報量が減るので、抽象的な表現に慣れている人には物足りなくなるでしょう。その辺のバランスが難しいところ。

 読書、というよりはむしろ、抽象的な表現世界で意識をさまよわせる体験ができる遊び、くらいに捉えて、小説に書かれた言葉の上に意識を流れるままにしておいて欲しいのです。

     ~☆=油断大敵!ご用心!最大注意事項!=☆~
 
        どうか頭で理解しようとしないで!

       ~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~

 確かに、抽象的な表現はわかりにくくてもどかしいかもしれません。でも、貴方にできないはずがないのです。抽象的な表現が耐えられないなら、貴方はこの世界で発狂するしかないので。だって、この世界は隅から隅まで、まさに抽象的ですから。

 この世界を認識することは、サーファーが波に乗ることに似ています。不安定さの中でバランスをとるように、抽象的な表現を受け取り、導かれるまま意識を流れにゆだねましょう。理解しようとする度に、貴方の自我は貴方を騙そうとするだけです。

 頭では分からないものを、分からないまま受け取ってみてください。頭で分からないまま探検することは、完全に可能です。意味不明なまま、共鳴することは可能です。どうか、そんな風に遊んでみてください。

 ほら、不思議の国で訳が分からないまま様々な経験をしたアリスみたいに。

 不安定さを安定させようとせず、不安定さの波を乗りこなせるようになると、この世界は一気に楽しい場所になります。この小説も、また然り。

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 相性が合う、合わない、という言い方がある。それはタイミングのことを言っているのだと、トマス・スペンサーは二十代の頃にこれまた読書を通じて知った。相手や物事を受け入れる準備ができていれば、上手くいくし、できていなければ上手くいかない。そんな差のことを、相性が合う、合わない、と表現するのだと。
 本というのは読み手に合わせて使う魔法を変えるらしいと、トマスは気づいたのだ。同じ本を読んでも、十人が十人、違う世界を旅している。
 同じ本を読み返した時に、
 (こんなこと書いてあったっけ?)
 と思ったことも数えきれないほど経験していた。繰り返し読み直すと、読書体験のたびにまるで違う本を読んでいるかのように感じるのもまた、本が持つふしぎの一つだった。その時その時のトマスにぴたりとくる言葉が目につき、それはかつて読んだ時にはまるで感動しなかった箇所なのだった。以前は何でもないと感じていた部分の意味深さに開眼することもよくある。 
 そんなわけで、トマスは本のことをこう呼んでいる。「装置」と。それは彼にとって、人の内に潜在しているものを引っ張りだすトリガー作用を持つ装置だ。お気に入りの本を、彼はこう表現するだろう。
 「ああ、あれは良い装置だよ!」
 小説を読み終わったのは真夜中だった。久しぶりに51%ガールから受け取った本を読みかえしてみると、彼は今までとは格段に内容が腑に落ちていることに気づいた。それはまるで、自分の目の色が鳶色だと気づいた時のような、ふしぎな興奮をトマスに与えた。再会の感動に少し似ているだろうか。


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