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新しい卒業式の形

ゼロ高コミュニティデザイナーのみもりです。

去る3月9日にゼロ高としては3回目となる、令和2年度卒業式が開催されました。 
今回は、ゼロ高の卒業式の様子をご紹介したいと思います。

卒業式は全国統一

日本全国卒業式は、大体形式が決まっています。

開式の辞
国歌斉唱
卒業証書授与
学校長式辞
来賓祝辞
来賓紹介
祝電披露
在校生送辞
卒業生答辞
校歌斉唱
閉会の言葉

卒業式の厳かな雰囲気は、私も好きなので、これを否定するわけではありません。

でも、ゼロ高は新しい教育を作ることに挑戦していますので、卒業式もありきたりなものではありません。

第二回卒業式はどんなものだった?

昨年度はコロナがはやり始めた頃でしたので、オンラインで挙行しました。

卒業式は卒業生で作るぜ!!と卒業生と在校生がマインクラフトでやろう!と計画!!その計画はホリエモンチャンネルにも公開されています。

昨年度は、このマインクラフトでと計画しましたが、マインクラフトの制作に時間をかけすぎて、リハーサルに時間がとれず、当日はオンラインでの不具合があったりで、代表が「よし、もう別の日にしよっ!!」と話し、「いや!!今日やります!!」と押し問答があったりと、かなりカオスな卒業式になりました。その卒業式のあと、卒業式実行委員で振り返り会をして、自分たちのどこを改善すればもっとよくできたのか?などを話し合い、卒業していきました。

第三回卒業式はどうする?

生徒主体でいろいろやることは、かなり学びは深いのですが、たまにはゼロ高の大人で枠は作ろうと話し、実施しました。緊急事態宣言の中でしたので、今回もオンラインでの開催となりました。
式次第は以下の通りです。

開会の辞​
在校生代表から卒業生へのメッセージ
​卒業生代表から在校生へのメッセージ​
卒業生から在校生へのメッセージ(動画)
​コミュニティデザイナーから卒業生へ
内藤代表からメッセージ
閉会の辞​

今年は卒業生23名。

在校生代表の安藤鉄郎さんからのメッセージから始まりました。

ゼロ高0期生、安藤鉄郎です。僕が在校生代表として、卒業生の皆さんに伝えたいことがあります皆さんは、開拓者であるということです。ゼロ高で高校生という短く貴重な時間を共に過ごし、いま旅立って行かなければなりません。皆さん全員は、ゼロ高生として卒業するという道を選択しました。今年の卒業生で、23名しかこの道を選択していません。ゼロ高で過ごして感じたことは、それぞれ大いに違いがあると思います。

なぜなら、今まで私たちが持っていた既存の学校の価値観とは全く違い「共にすごした環境」や「年齢」「住んでる場所」今の卒業生だって皆、同じタイミングで入学したわけではありません。
ゼロ高に2年半いる僕は未だに「ゼロ高とは何か」を聞かれたときに悩みます。この多様性は、僕たちが開拓し作り上げたものです。僕たちが、まだ名前のない新しい価値観を作ったのです。これからも、みなさんはいろんな分野で新しい道を開拓していくでしょう。そして、必ず難題にぶつかるでしょう。

でも、世界は無常です。Googleだっていつかは倒産します。それと同じように、僕たちみんなが持っているそれぞれの難題は、終わりを迎える日がきます。在校生の僕たちは、ゼロ高で共に過ごした短く貴重な時間を忘れることはないでしょう。この少ない時間で僕たちがお互いに与えあった影響は、想像以上に大きいものがあります。卒業生の人に忘れてほしくないことがあります。それは、あなたを受け入れてくれる人たちがいるんだということです。それは三森さんだってそうだし、桜中さんだってそうだし、内藤さんだってそうです。ゼロ高でできた仲間や僕だってそうです。やっぱり、人の中で生き続ける“なにか”はあるのだと思います。

それも、僕たちの開拓し努力した結果というべきか、「住んでる場所」も「年齢」も「経歴」も条件が全く違うなんの接点もない僕たちがつながることができたのです。このゼロ高で。もう一度言いますが、これからも、みなさんはいろんな分野で新しい道を開拓していくでしょう。そして、必ず難題にぶつかるでしょう。その難題が本当に難しくてどうしようもなければ、ゼロ高を思い出してください。その時の僕たちは、今とは全く違う立場になっているでしょうが、それは今も同じです。全く違う僕たちでも、友だち、親友、盟友になれました。なら、未来でもなれるでしょう。人生は永遠ではありません。開拓に急ぐ人もいるでしょう。でも、立ち止まれなければならない時や開拓に疲れた時は、いつでも僕たちを頼ってください。僕たちも頼りますから。その時は高校生ではないですが、またゼロ高生に戻りましょう。最後に、在校生代表の僕からは、お別れの挨拶は言いません。お別れだと思っていないので。
卒業生代表の石原くんは、話が上手くて、この場をまとめてくれるだろうなと思ったので、僕は僕の言いたいことを言いました。以上です。

この言葉を聞き、涙ぐむ人もちらほら・・・

次に、卒業生代表の石原ロバート龍さんのメッセージはこのようなものでした。

卒業生の皆様、もちろん僕も含めて、この度はご卒業おめでとうございます。ひとまずお疲れ様でした。そして、関係者の皆様、本日はこのような式典を用意して下さり誠にありがとうございます。また、今まで私達を温かく見守って下さったこと感謝しております。僕はこの度卒業生代表挨拶を引き受けました石原ロバート龍と申します。
 
 さて、ゼロ高生として生きてきた2年半、僕は特に大きな行動を起こす訳でもなく田舎町でフリーターさん寄りの高校生として過ごしていました。
そんな僕にもプライベートでハマってものがいくつかあります。そのハマっていたものの一部がアドベンチャーゲームとノベルゲームです。これらのジャンルのゲームは一人称一視点で物語が進行するものが多い傾向にあります。なぜなら理由は簡単で物語の主人公がプレイヤーの分身のような役割だからです。簡単に言えば現実逃避ってやつですね。はい。こんな身の上話やゲームの話を続けたってしょうがないですよね。何たってスピーチと式典は短い方が良いですから。あ、ごめんなさい。冗談です。ではいい加減本題に入りましょうか。このような生活をしていた僕にも皆様にお伝えたい行動案があります。これから話す内容を実践し始めたのは恐らく去年の11月くらいからだったと思います。では結論から申しましょう。それは「カッコつけずにカッコよく生きようぜ」ってことです。実践するのは非常に簡単でダサいと思うことはやらない。カッコいいと感じる行動をとる。以上になります。このような考えを持っただけで僕は気持ちが楽になり色々吹っ切れました。不平不満などの愚痴が多い、不都合があった時に言い逃れする、などは明らかにダサいですよね。高校と一緒に卒業しましょう。逆にいつでも前向き、物事を真面目に取り組んでいる人などはカッコいいと感じるはずです。誤解のないように申しますが僕は無理してでも前向きになった方が良いと言っている訳ではありません。そのようなやせ我慢はカッコいいではなくむしろカッコつけになってしまうと考えております。カッコつけは見栄を張ることと何もかわりありません。見栄は行動の妨げになると僕は考えております。実際に高校2年生までの自分は客観的に見て見栄っ張りでした。よく他人と比較することも大事みたいなことを言う人がいます。確かに自分以外のライバルがいた方がモチベーションの上がる人もいるでしょう。しかし、何かを継続したり競う時のモチベーションとして必要なものは見栄ではなく意地です。僕はそう思います。是非、皆様も「カッコつけずにカッコよく」生きることを実践してみてはいかがでしょうか?では、行動案はお伝えしましたので最後はメッセージで締めくくりたいと思います。
 今、コロナウイルスによって世の中は大変な状況です。でも、そんな時だからこそコロナによって出来ない理由ではなくて出来ることを探してみてはどうでしょうか。いいえ。出来ることから取り組んでいきましょう。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という有名な格言を皆様は聞いたことがあると思います。しかし、コロナウイルスなんてものは過去にありません。賢者なんてカッコつけずに愚者でも良いではないですか。そして、この世界の主人公は自分自身です。そう。皆様ひとりひとりになります。人生なんてものは結局のところ一人称一視点の物語でしかありません。そのため、他者を完全に理解するなんて不可能なのです。だからこそ、他人に惑わされるなんて言語道断。主人公はへたばっている時よりも前向きな時の方がカッコいいではありませんか。それにギスギスした物語なんてフィクションで充分です。リアルくらい明るく楽しい雰囲気にしましょう。それでは、以上を持ちまして卒業生代表挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。

この二人の生徒は、これのために6時間ほど時間をかけて、文章を作り練習したそうです。普通の学校なら、先生が内容を添削し、卒業式に向けて練習していくのだと思います。ゼロ高は一切運営の手直しが入っていません。これは彼らのオリジナルです。練習もやりなさい!なんて言っていません。それでも、今までいろいろなイベントを自分たちで作ってきた彼らは、自分がやらなければいけないことを自分で出来るのです。

二人の言葉の後に、卒業生から在校生へのメッセージが写真とともに流れました。この動画は在校生が作ってくれました。

卒業生からの言葉も熱く、すべてご紹介したいのですが、「何がしたいかわからない。」などと悩む多くの人に読んでもらいたい生徒のメッセージを、ご紹介したいと思います。

「何をしたいの?」
 「何になりたいの?」
社会では頻繁に求められます。何者かであることを。自身は何者かを表す言葉を。
ゼロ高生の多くも、何かになりたいと思ってゼロ高へ入学したのではないでしょうか。
私は、この言葉に少しうんざりしてしまいました。なぜなら、いつも私の進路は、何かになるためのものではなかったから。何かになりたいなんて、思っていなかったから。

なぜ人は、何かにならなければいけないのでしょうか。本当に人は、何かにならなければいけないのでしょうか。私たちは、何かに所属していたり、自分を表す言葉があると、安心できます。それは、自分には何もないのではないかと思わずに済むから。私たちは高校生で、ゼロ高生です。その肩書きだけで、社会に認められたような、何者かであるような、そんな気持ちになります。たしかに、私たちは高校生、ゼロ高生であるのです。何者かであるのです。では、今後その肩書きを失ったとき、私たちは何者なのでしょう。何者か、という問いは、自分の規定を自分の外側に求めることで生じます。そしていつの間にか、他人にとって自分は何者かとか、社会にとって自分は何者かとか、そういう自分の外側から規定された役割や立場を、あたかも自分自身を表す言葉であるかのように誤認します。それはあくまで他人にとっての自分を表す言葉であり、自分にとっての自分を表す言葉ではないのに。

そう、実は、名前も肩書きもなくたって、何者でもなくたって、よい。だって、自分を表す言葉は、他人や社会にとって必要なだけで、自分自身にとっては必要ないのだもの。多くの肩書きは、相対的で、自分の外側に依存しているのだもの。自分にとって何者でもないことは、自分で自分を規定できるヒトだからこそできるのであり、むしろクールですらあります。
 今は名のなき私にもしも何者かとして名前をつけるならば、その肩書きは時代や社会などの刹那的な環境に左右されない、私自身にとっての何かでありたい、と思います。ちょっと特殊な高校生であるあなたは、ゼロ高生であるあなたは、何になろうとしていますか?

あなたにとっての、何になろうとしていますか?「何になりたいの?」
この、自分の内と外を曖昧にする恐ろしい問いの、内側での答えが見つかったそのとき、私は私の中の確かな自分を見つけ出し、どこかちょっとすごい何かに進化できたような気がしました。未だ見当たらない外側での答えが見つかったとき、このちょっとのすごさは、きっと役に立つと思っています。
 ゼロ高生のみなさんが、ちょっとすごい何かになれることを、期待しています。

在籍中は地方在住のため、活動になかなか参加できずに「ゼロ高に在籍する意味」を考えた時期もありました。そんな彼女が卒業式では「ゼロ高に入って良かった」と笑顔で答えてくれたことが印象的でした。彼女は4月からは大学で哲学を学びます。

ゼロ高生がなぜ、ここまで自分を語ることができるのか。

ゼロ高に集まる生徒が特別なんです!素晴らしいゼロ高カリキュラムの教育の賜物です!!と私たちとしては言いたいです。

でも、違うんです。どんな人でも、ゼロ高生のようになれるのです。

ゼロ高に入ると、朝起きて夜寝るまで、自分でスケジュールを立てて時間を過ごします。その時間を得ることで、自由の苦しさを味わうことになります。「自分と向き合う」という苦しい時間が始まります。

人に言われたことをやることが、どんなに楽だったかということも感じます。全て自分で自分を律し、日々を過ごします。時には深堀りしすぎて病みそうになったりもします。でも、そこから復活するきっかけも自分で作れます。

10代にこのような時間を持てた彼らは、この先どんな社会になったとしても、自分の頭で考えて行動することができます。

だって、それをやってきたから。

卒業式締めは内藤代表からのメッセージ!

昨年度の卒業生に内藤代表が「この詩を朗読してほしい」とお願いし、卒業生に宮沢賢治の「告別」という詩を送りました。こちらが、朗読の動画です。


おまえのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴っていたかを
おそらくおまえはわかっていまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のようにふるわせた
もしもおまえがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使えるならば
おまえは辛くてそしてかヾやく天の仕事もするだろう
泰西(たいせい)著名の楽人たちが
幼齢弦(ようれいげん)や鍵器(けんき)をとって
すでに一家をなしたがように
おまえはそのころ
この国にある皮革の鼓器(こき)と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちょうどおまえの年ごろで
おまえの素質と力をもっているものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだろう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあいだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけずられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や材というものは
ひとにとゞまるものでない
(ひとさえひとにとゞまらぬ)
云わなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけわしいみちをあるくだろう
そのあとでおまえのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまえをもうもう見ないなぜならおれは
すこしぐらいの仕事ができて
そいつに腰をかけてるような
そんな多数をいちばんいやにおもうのだ
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ

「才能とはとか、人とはとかを端的に書いてあるから、何か思い出したときに、また読んでほしい。」と内藤代表から。

最後にはこんなことも。

「みんながカオスな中で経験したことは、この先生きてくるから自信をもってほしい。個人的には、この16歳から18歳の三年間で、人間はここまで変わるのかということに驚き、むちゃくちゃ悔しい。私もこの変化の量に負けたくないな。だから、みんなもこれからのゼロ高生に負けてほしくないし、私も負けたくないし、自分の信じた道を自分で励ましながらこの先も歩んでいってほしい。」

そんなメッセージを送り、卒業式は終わりました。

ゼロ高卒業生の皆さんのこれからの活躍を期待しています。また、近況教えてね。

🌸🌸🌸ご卒業おめでとうございます!!🌸🌸🌸

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