発煙筒。

出張から帰ると 
新潟はまるで熱帯のように暑くジメついた夜だった。 

明日はついに雨らしい。空梅雨も終わりだ。 

降らないからと見て見ぬふりをしていたワイパーの不具合を 
ディーラーに修理に持って行った。 

ディーラー「発炎筒、消費期限のため交換しておきました。法律なもんでして。すみません」 

俺「ああ、いいよ。大事なものだから。」 



そう、 

発炎筒、 

大事なもの。 



たしか、あの夜も、今日と同じ蒸し暑い夜だった。 



父方の爺さんは菓子屋だった。 

新潟で店を何件かやっていた老舗菓子屋だったが 
戦時中に菓子を作る機械を金属供出に出し 
雇っていた何人もの菓子職人は召集の後、戦死。 

菓子屋は廃業した。 

幼少の頃、菓子屋で育った親父は甘いものが好きだった。 
たまたま醤油団子のうまい店を見つけたので 
実家にいる親父に持って行くことにした。 

新潟西バイパスを走ると3車線ある反対車線のど真ん中に 
軽トラが止まっていたような気がした。 

「気がした」というのも、そこは高速の料金所から1km地点。 
誰もがかなりスピードを出して走る上り坂の直線で 
車が止まっていることなどはありえないと思ったからだ。 

実家の親父に団子を渡し、俺も麦茶の一杯でも飲もうと思ったが 
どうもあの軽トラのことが気になり戻ることにした。 

胸騒ぎがして飛ばし気味に走る。 
あの軽トラが止まっていた場所に軽トラはもういなかった。 

(危ない!!) 

軽トラの止まっていた場所にはホンダの軽が止まっていて 
てっきり走っていると思った俺は急ハンドルを切った。 

路肩に車を停めると、そこにはあの軽トラが止まっている。 

急いで車を降り軽トラに乗っていたジジイに話を聞いてみたが 
朦朧として要領を得ない。 

「パパパァーーーーーン!!」 

3車線のど真ん中に止まっているホンダの軽に向って 
クラクションを鳴らす音がした。 

(まずはホンダの軽を何とかしないと) 

ホンダの軽には20歳ぐらいの女が乗っていた。 
運転席のドアは歪んで開かなかった。 

助手席に回り、力ずくで歪んだドアを開ける。 

俺「大丈夫か!助けに来たぞ!」 

女「すみません。。足が」 

俺「!!」 

女はつぶれた車体とシートの間に足を挟まれ動けなかった。 

俺「大丈夫だ。俺が必ず、助ける」 

女の肩をギュッと掴んだ後、助手席の足元に装着されている発炎筒を掴み取り 
ホンダの軽に突進してくる車に向って走った。 





【発炎筒 1本目】 

「パッ!シュュュュュュゥゥゥゥゥ!」 

走りながら発炎筒に火を着ける。 

片手で110番をする。 

俺「立体交差の真上!ケガ人2名!」 

俺「くそ!来るなぁぁぁぁぁっっ!」 

ホンダの軽に向ってくる車に叫ぶ。 

110番「危ないから車道に出ないでください!」 

俺「バカッ!俺がやんなきゃ誰がやんだよ!早よパトカー回せ!」 

俺「止まれぇぇぇぇぇぇっ!」 

110番「危険です!そこから離れてください!」 

俺「現場の位置確認できたんか!?できたんなら切るぞ!」 

110番「パトカーが向っていますので、そこから離れて、、」 

110番の警察官が話してる途中で電話を切った。 

(この発炎筒もいつかは消える) 

ホンダの軽から50メートルぐらい離れた所に発炎筒を置き、 
自分の車へ2本目の発炎筒を走って取りに行く。

左手に握ったケータイがひっきりなしに鳴っている。 
110番を会話の途中で切ったため、俺が撥ねられたと思っているんだろう。 

(心配だったら、1秒でも早く駆けつけれや) 

助手席から発炎筒を外し、ホンダの軽に向ってまた走った。 






【発炎筒 2本目】 

「パシュュュュュュゥゥゥゥゥ!!」 

交通量が多く、流れの早いこの道路は、 
誰かがホンダの軽に気付きスピードを落とすと、 
後ろも詰まり比較的安全になる。 

ホンダの軽のとなりの車線を走る車たち。 
その中で1台のワンボックスに乗る男が走りながら俺に声をかけた。 

男「大丈夫か?」 

俺「大丈夫だ!ただ発煙筒が足りない。手伝ってくれないか?」 

しかしそのワンボックスは停まることもなく、走り去ってしまった。 
俺が言った「大丈夫」と言う言葉しか聞き取れなかったのだろう。 
何十台の車が通りすぎたが、声をかけてくれたのは 
そのワンボックス1台きりだった。 

1本目の発煙筒はとっくに消えていた。燃焼時間は6分だった。 
車が詰まっているうちに3本目の発煙筒を取りに行くことにした。 

またホンダの軽の後ろ、50メートルあたりに発煙筒を置き、 
ジジイが乗っている軽トラまで走った。 

軽トラの助手席側のドアを開け、発煙筒装着ホルダーをみたら、 
そこには発煙筒はなかった。 

俺「この車、発煙筒積んでないんか?!」 

ジジイは頭を強く打ったのか、やはり朦朧としていて 
会話が出来る状態ではなかった。 

コンソールの中、ダッシュボードの上、 
何だかわからない紙の山をかき分けて必死になって発煙筒を探す。 

(早くしないと、2本目が消えちまう) 

俺はものすごく焦っていた。 
シートの下に散乱する紙の間から、赤い塩ビの筒が見えた。 

「あったぁ!!」 

その筒を振って中身が入っているのを確認して、 
またホンダの軽に向かって走った。 




【発煙筒 3本目】 

ホンダの軽のところに戻ると、2本目の発煙筒の火は随分小さくなっていた。 

「パッッシュュュュゥム!!」 

3本目の発煙筒に火を着ける。これが最後の発煙筒だ。 

ホンダの軽のすぐ後ろにいても、走ってくる車が気付くのが遅ければ、 
俺もホンダの軽の女も、そして走ってきた車に乗っているやつもみんな終わりだ。 

俺はホンダの軽から50メートルぐらい離れた所に立った。 

まずいことに車が空いて、1台も車が来ない状況が続いた。 
その時、遠くにあるオレンジの街灯に白いクラウンが照らし出された。 

空いてる直線を飛ばして走る。少しでも俺に気付く車は、 
間違いなくハイビームかパッシングをする。 
その白いクラウンはロービームのまま、スピードを落とすことなく向かってくる。 

(気付け!気付けぇ!!) 

俺は大の字になって発煙筒を振る。 

クラウンのスピードは、落ちない。 

「止まれえぇぇぇっ!!」 

聞こえないのをわかっていながら叫ぶ。 



(くそ。やれるもんなら、やってみな) 



俺は発炎筒を片手に、クラウンを睨む。 



「ピュュューーーーム!!」 

その時、北陸道側の合流から赤灯点けたパトカーが飛び込むような勢いで入ってきて、クラウンの前にたちはだかった。 

パトカー「この先事故です!本線通行止めです!」 



(遅いぜ、スーパーマン) 



クラウンを押さえたパトカーは俺の前で停まった。 

警察官「大丈夫ですか?!」 

俺「ああ。それより、軽の女を」 

俺は火が着いている発煙筒を路肩に投げ捨て、ホンダの軽を指差した。 

パトカーは続けて3台到着。他にレスキュー車両4台に救急車が2台。 



(1台でいいからもっと早く来て欲しかったな、ご一行) 



警察官に事情を話し、家に帰ると警察から事故の説明の電話があった。 

ガス欠寸前だったジジイの軽トラは上り坂でタンクのガソリンが傾きエンスト。 
そこに走ってきたホンダの軽が追突。押し出された軽トラは惰性で進み路肩へ。 
ホンダの軽はエンジンが潰れ、ど真ん中の車線に取り残されたのだった。 

俺は戦争を知らない世代だから、今この場で命を落とすような恐怖を知らない。 

「命懸け」なんて言葉があるが、本当に命を懸けるような状況なんて遇ったことがない。 

ただこの夜は、いっぺんにこのふたつを経験することになった。 






路肩に転がった発煙筒から硝煙の臭いがする煙が立ち上る。 

警察官「怖かったでしょう?」 

俺「あの女を助けられるのは俺しかいなかったし、平気だったよ」 

そう言いながら、俺のヒザは震えていた。 






ディーラー「ここにサインお願いします!すいませんでしたね、発煙筒」 

俺「あ、いや。発煙筒の次の消費期限はいつ?」 

ディーラー「車検ごとに見ておきますから大丈夫ですよ!」 



できることなら使わないに越したことはないが、もし使う事があったとしたら、 
せめて燃え続けている間は、覚悟を決めないとならないだろう。 



「やれるもんなら、やってみな」 



2006年夏 

蒸し暑い夜 

発炎筒片手に 

命懸けで人を助けたことがありました。

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