INFJの生きづらさについて考える
INFJは生きづらい、と色々な所で書かれていますが、実際どうでしょうか?
この記事では、INFJの感じる生きづらさについて考えていたことを整理してみたいと思います。
さて、いちいち断りを入れるのもくどいかと思いつつ一応最初に言っておくと、この記事の内容は16パーソナリティ診断においてINFJを自認する筆者の個人的な見解を述べているものであり、全てのINFJの方に当てはまるものではありません。
実際、INFJの方でも「生きづらさを感じたことはない」と言われる方もいます。
とはいえ、INFJを自認されている方で相当生きづらそうにしている方も多いと思いますので、INFJという枠組みを起点にしつつ、個人的な見解がお役に立てれば、、と思っております。
というわけでいきましょう。
(7000字程度あるので割と長めです)
INFJの生きづらさとはなんだろう?
それ自体、こういうものだ、と言い切れないようなものだと思います。
むしろ、その正体がわからないからこそ対処の方法が掴めない、みたいなところもあるかと思います。
個人的な体感とSNS上の発信などを参考にして具体的に書き出してみると
こんな感じかな、と思います。
今更ですが、この文章の目的は、漠然としたINFJの生きづらさを整理し、全体像を明確にすることで個々人のこれからに役立てほしい、というものです。
さて、最初に僕の結論を言ってしまうと
INFJの生きづらさは「リソース不足の問題」です。
リソースとは、人が過不足なく生きていくために必要なエネルギーをもたらしてくれる要素だと考えてください。
ここで、「人」が、と大きく括っていることに注意してください。
リソースは、程度の差こそあれ誰にとっても必要なものですが、INFJはその特質ゆえにリソースを得にくい。故に生きづらさを感じる、ということです。
リソースについて
リソースについて整理しましょう。
リソースは大きく分けて三種類あります。
人間関係
お金
知恵
です。
それぞれイメージできるものの通りかと思いますが、一つ一つ説明します。
リソース1 「人間関係」
人間関係のリソースとは、端的に「安心して関われる他者の存在」です。
これは難しく考える必要はありません。
お互いに受け入れ合える関係の人、自然体でいられる人、心安らぐ人がいるかどうか、です。
INFJに多いのは、相手は友人だと思っているだろうけどこちらからすると心を開いているわけではない…という関係が多くなることです。
また、自分の中ではかなり親しい部類の友人だったとしても、自分の深いとことにある思考を話してそれを面白がってもらえるとは思わない(故に、お互いが気持ちのいいコミュニケーションを優先する)というパターンも多いかと思います。もちろん友人ではなくても構いません。家族でも恋人でも、コミュニティでもいいのです。
「わかってくれる他者」がいるか?がポイントです。
これ、明確な基準はないのですが、自分に人間関係のリソースがあるのか?を判断する要素として
「誰もわかってくれない」という孤独感、孤立感を日常的に覚えてはいないか。またその感覚を苦しいものとして感じているか、などの感覚について考えてもらえたらいいかなと思います。
もし、「誰かわかってくれる人がいればなあ」と思うことが多いならば人間関係のリソースが不足しているかもしれません。
リソース2 「お金」
お金もシンプルです。判断基準は生きていくのに充分な収入を得ているか?です。
さらに考慮してもらいたいのは、収入を得るために自分のキャパを超えて消耗していないか?ということです。
後述しますが、INFJは職場でストレスを感じやすい傾向にあるようです。なので、生活に困らないだけの収入はあるが、ストレスがすごい!というパターンが多いような気がします。
リソース3 「知恵」
知恵、が一番わかりにくいかと思うのですが、知恵=「困った状況を解決するための方法」だとイメージしてください。
これは、水道から水漏れをしているときにどうしたらいいのか?のような具体的な困りごとというよりは、「自分のやりたいことを見つける方法」「重要な決断の根拠」「落ち込んだ時に自分をどう立て直すか」のように、明文化されることの少ない個人的かつ抽象的な問いに対しての答えです。
このリソースの有無を判断するポイントは
「知恵」= 情報をどれだけ持っているか?ということと
情報を得やすい状態にあるか?の二つです。
情報を得やすい、というのは、自分の悩みや困りごとに対して情報を提示してくれる他者(先生としての役割を果たしてくれる他者)との関わりがあるか?を考えてみてください。
他者、とは自分の困りごとに方向性や新しい視点を示してくれるもの全てを指します。直接関われる周囲の人間ではある必要はありません。自分の問題に関わる(と感じる)ことを書いている作家や、好きな作品に登場するフィクショナルなキャラクター、好きなYoutuberでもなんでもいいです。
とにかく、自分にとって有用な情報を発信している、と感じる存在がいるかどうか、です。
INFJはリソースを得にくい
さて、INFJの問題=リソース不足の問題、と冒頭に述べた通り、INFJは今整理した三つのリソース全てを「得にくい」性質を持っています。
どれかひとつ、とかではなくて全てです。
なぜそう言えるのでしょうか?
それぞれの理由を書いていきます。
リソースを得にくい理由 「人間関係」
大きく分けて二つの理由があります。
一つは感覚のズレがあること、もう一つは言語化が得意でないこと、です。
人間関係のリソースの要点は
「安心して関われる他者の存在」だと述べましたが
この安心感を作るのは、「自分が話したいように話すことができる」という状況ないしはその人との関係です。話したいように、というよりかは「自分が話したい言葉」で、と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
感覚にズレがある、というのは、前提となっているものが違っている、ということです。前提が違っている相手と、リラックスして話すためには、自分と相手がどのように違うのかをお互いに了承し、受け入れ合う必要があります。
そのためにはまず、自分のことを相手にわかりやすく説明しなければいけません。感覚のズレが大きければ大きいほど、その説明はより丁寧になされる必要があるし、時間もかかるでしょう。
しかし、INFJはそのある時には巨大なズレを満たせるほどには言語化が得意ではありません。言葉で説明しなくてもいいほどに似ている相手はなかなか見つからないし、ズレを埋められるほどには話すのが上手ではないのです。
※ ここでは、感覚のズレが生まれるそもそもの理由や、INFJの「感覚」を作る前提とは具体的にどのようなものなのか?については触れていません。別記事で書きたいと思っています。
リソースを得にくい理由 「お金」
続いてお金について。
INFJはお金に関するリソースを得にくい、とはいっても「社会で働く能力がない」「社会不適合である」ということではありません。(むしろ優秀な人も多いかと思います)
ここでの要点は、INFJの気質を考えると、収入を得る上で疲れやすい、あるいは労力を使わなければいけないだろう、という点です。
なぜか? それは収入を得ることが、基本的に自分の外にあるルールに従うことだからです。
それは社会的な常識だったり、会社自体のルールだったりしますが、ポイントはそのルールが常に自分よりも「正しいもの」「従うべきもの」として想定されているということです。
組織として会社は、社員一人一人を特別扱いすることはありません。むしろその人が別の誰かに替わったとしても、問題なく組織が機能することが良い組織の条件になります。その意味で、働く私はルールに従って動く代替可能なAであることが求められています。
この「自分がやってもやらなくても変わらないような仕事」「未来に向けた意味を感じられない仕事」を続けていく、というのはINFJにとっては潜在的なストレスになります。
それに加えて、職場の人間関係にも影響を受けやすいINFJが普通の会社員として生きていくのは「生活するため」でしかないでしょう。
仕事というのはそういうものでしょう、と思いつつ、「そういうもの」と割り切ることにエネルギーを使い続けるのがINFJであり、相対的に見ると「普通に働くこと」自体に消耗する傾向があるかと思います。
リソースを得にくい理由 「知恵」
三つ目です。知恵について、です。
知恵とは「困った状況を解決するための方法」だと先に述べましたが、INFJが知恵を得にくい理由の大部分は、INFJ自身が想定する「困った状況」が他タイプとズレているからだと考えています。
そもそも問題解決とは、ある現状に対して問題を提起する、つまり新たな問題発見から始まります。
INFJにとって、自分の抱えている悩みや、課題だと感じていることを他人と共有することは簡単なことではありません。それは説明が得意ではないことに加えて、前提として自分と同じ課題感を持つ人間が少数であるからです。
自分と同じ問題意識を持つ人間が少ないということは、それを解決しようとする人間の母数も同様に少ないということです。周囲と課題を共有しないことが当たり前になっているINFJにとって基本的に試行錯誤は一人で行うものです。
自らの中に課題を発見し、それを抽象的なアプローチで解決または解消し、また問題を発見するのを繰り返す中で、周囲の人間に自分の悩みを相談して、新しい視点をもらいながら考えていく、というタイプではないかと思います。
で、それが当たり前になっていてもはや意識しないかもしれないですが、それはつまり「集団知」にアクセスできないってことです。
これが知恵を手に入れることに障壁があると考える理由です。
知恵とは、すなわち思考の有限化です。
有限化は他者と共有ができるようになっています。
いわば便利な道具です。
「〇〇な状況の時は」「〇〇する」
「××なことが分かったら」「××で対処する」
このように、思考を介さない行動を助けるのが知恵なわけです。
INFJは、この知恵のアーカイブにうまく頼ることができません。「それは何かが違う」と感じるからです。この感覚は、INFJを日常的な孤立感へと引っ張っていきます。
少し話がそれました。
知恵を共有できないとは、周囲の人間と有意義な情報(アドバイス、新しい視点、有限化の根拠)を交換できない、という事にとどまりません。インターネット上の発信や、本を通じた学習においてもそこにある情報を自分ごととして捉えることができないのです。
心の底から「参考になる」「自分の役に立つ」と思える情報が、あまりにも少なすぎると感じませんか。
初めて16タイプ診断のINFJの紹介文を見たとき、自分のことが書いてあって衝撃を受けた、と言われるINFJの方は多くいますね。
それはつまり、裏を返せば自分の感覚に近しい発信を長らく目にしていなかった、ということでもあるわけです。
感覚がズレていることが多いがために、参考になる情報=知恵が得にくい、ということを今書きました。
それに加えて、INFJは情報の応用が意外と苦手です。
INFJが無数の情報から知恵を得ようと思ったら、程度の差こそあれ自分とは違う感覚において発信された情報を、自分用に変換する(=応用する)という過程を辿る事になります。
これを実際にやるのはなかなか難しいです。
むしろ自分の悩んでいること、課題だと感じていることを別の感覚で簡略化され、答えを提示されているのを見て、「自分が悪いのかもしれない」と思ってしまうこともしばしばかと思います。
そのような状況を脱するために、INFJは膨大な気力と時間をかけて、自らの現在地を言語的に想定し、自力で解決策を見出そうとするのでしょう。
自らの言語的な実践の中で得た知見はもちろん本人にとっては知恵として機能しますが、そこには必ず偏りが生まれます。
その知見へのこだわりを「頑固」だと表現するのかもしれません。
INFJの生きづらさとの闘い
ここまで割に淡々と書いてきましたが、僕の言いたいことはINFJは大変よくやっている、ということです。
想像してみてください。人間関係、お金、知恵が全てかけているとしたら、どうなるか。そうです。これは「うつ」(無気力)になる条件です。
INFJの難しさ、痛みの掴めなさというのは、このリソース不足が主観客観に関わらずステルスで起きていることと関係があると思います。
一見友人に恵まれているようで、普通に仕事をして社会に馴染んているようで、少しずつ消耗していくような、そういう闘いに駆られているわけです。
もちろん、INFJである人全員がリソース不足に陥ると言っているわけではありません。最初に断った通りですが、もし現状うまくいっていないことがあったとしても、そのすべての要因を16タイプに求めることは到底できません。
とはいえ、INFJとして生きづらさを感じている、という人の中には、程度の差こそあれこの記事で解説したような状況に当てはまる人もいるのではないかと推察します。
おわりに
さて、この記事もそろそろ終わりです。個人的見解に基づいてINFJの生きづらさについて整理しました。
最後に伝えたいことが二つあります。
まず一つ目は、「自分が悪いのではないか、と思わなくていい」ということです。
わざわざリソース、という枠組みを使ってINFJの生きづらさについて解説したのはこれを言いたかったからです。リソースを得る、というのは人間の健康な生活において重要です。リソースをうまく得ることのできなかった人は、どこかでバランスを崩すことになります。INFJに見てきた通りに消耗する傾向があるとするなら、自分がもっと頑張ればいいんじゃないかと考えるのは無理があります。もう十分良くやっていると自分に声をかけてあげても、いいんじゃないかと思うのです。
もちろん、INFJは一生生きづらいままだと言ってるのではありません。それぞれこれまでも努力してきたのだろうし、これからもそれは変わらないと思います。
自分の力で、生きづらさを抜けて快適に生活できるようになったと感じている人も多くいると思います。少しずつだけども進んでいます。
二つ目に、程度の問題と構造の問題を分けて考えようということです。
リソースの問題を読んで、ツッコミどころがあるとするなら、「これって誰に対しても言えるんじゃないか」ってことだと思います。
これはその通りで、
例えばINFJが「自分をわかってくれる人がいない」という時には「人は誰とも最終的には分かり合えない」と言うことができるし、
「意味を感じられない仕事は辛い」には「みんなそう思いながら働いてる」と言えてしまう。
「自分にとって参考になる情報がない」には「100パーセント自分に合った情報なんてどこにもない」と言えますね。
こういう問答を日常的に自分に対してしていませんか?もしそうなら、かなりしんどいはずです。
これは自分を責める必要がない、という話の延長なのですが、INFJの中には「他の人は耐えている問題に対して自分だけが辛いと言っているのではないか」と思ってしまう人もいるようです。
でも一方で、周囲と何かが違う、という体感も確かにあるわけです。
ここで、「普通」のことで悩んでいる自分と、特別な(普通でない)痛みを抱える自分、という矛盾が生じて行き詰まり、「自分は特別なんだ」と思ってみたり、周りを見下してみたり、そんな自分を浅ましく思って自己否定的になったり、、とにかく良くない循環に入る人も多いような気がします。
この記事はこの矛盾にある一定の解答を出すために書きました。
リソース不足という切り口でINFJの生きづらさを捉えるのなら、その生きづらさは誰もが陥る可能性のある「普通の」悩みであり痛みである、というのがこの記事の結論です。
じゃあ、INFJは痛みを大袈裟に訴えているのか、というとそうではありません。
僕が言いたいのは、その「普通」の痛みは、「普通」の範疇を超えて深くなることがあるということです。痛みの構造ではなく、その程度によってINFJは苦しんでいるのです。
「ありふれた悩み」の深刻化によってINFJは生きづらさを抱える、のです。
もちろん、その普通の苦しみにたどり着くまでの構造は、相対的に入り組んでいると思います。それは主にNiの問題です。でもそれはこの記事では触れていません。
INFJは程度よりも構造を重視する傾向があります。ゆえに、自分の中にある確かな痛みが、他の人とは共有できないのにありふれた普通のものである、ということが腑に落ちないかもしれません。
だから、「そんなふうに苦しいのはお前だけじゃない」というふうに自分を責めてしまうのだと思います。
でも逆です。普通のことだからこそ、より辛いのです。でもだからこそ、それは少しずつ良くなるし、それが普遍的な痛みだからこそ、その痛みを正面から捉え、向き合って、少しずつ変化しながら進んでいくことに意味があるのだと思います。
さて、長くなりました。この辺で終わりたいと思います。
「じゃあどうしたらいいのか」みたいなことも今後投稿していく予定ですのでよかったらフォローしてください。
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