こんな社会だったらいいな
日本は少し、息苦しい、しかし、息苦しさに守られている安心感がある。
日本では、守るべきものを守っていれば、非難されない、法律とか、規則とか、約束。
でも、それほど堅苦しく考える必要は無くって、{ちゃん}としていれば問題ない。
{ちゃん}としなさい。と言う事は、幼い頃から植え付けられてる。
中国に来て4年が過ぎた、色々と思う所はあるけど、「こんな社会だったらいいな」と思える所もある。
それは、簡単にいえば{ちゃん}としない所だ。
まず、約束は守られない。
最初に書いておくけど、中国に{ちゃん}とした人がいるのは当たり前で、日本が{ちゃん}とした人ばかりじゃないのも知ってるが、いちいち、それは書かない。
それで、まず、約束は守られない。
遅刻は当たり前だ、出来ると言ったものが出来ない、あるいは、全く別のモノが出来てくる事もある、届けると言ったものが届かない、とにかく、ザックリ、約束は守られない事が多い。
禁煙の場所での喫煙も多い、デパートのトイレは喫煙所になっている。
トイレから出て、手を洗わない人がほとんど、フードコートの調理師、従業員でさえだ。
スーパーのレジ、役所の順番、並んでいても横入りが多い。特に年寄り、年寄りは順番を抜かしても許されると思ってるし、窓口側の人も、年寄りなら仕方ないと思う。
ゴミは何処にでも捨てる。いたる所での排泄、排尿、男女問わずだ。空き地は勝手に畑にする。
約束や規則は、最小単位の決め事で、約束を守らない人たちが、法律を守る訳がない。
赤信号で渡るなんて、当たり前で、詐欺まがいの不良品、コピー商品が平然と売られている。
不衛生な環境で作られたものが、普通に提供される。
そして、ウソをつく、ウソをついてる意識はないのかもしれないけど、出来ない事を出来るという、商品知識など無いのに、適当な事を言って売りつける、客が一度しか来ないような外国人なら100元のものを200元で売る。
腐ったものを食べ頃という。グラム数を誤魔化して、少しでも高く売ろうとする。製造日シールは毎日貼りかえる。
お金がすべて、信用より金の世界。
しかし{ちゃん}としない事が許されている社会なのだ。
仕事の面でも同じ。
以前、家の内装をしてもらった際、コンクリートで埋められる所にダンボールが詰められる、コンセントの取り付けはナナメ、床の水平が取られない。
タイルは間違って切り取られ、等々、書き出せばキリがない。
これがウチだけなら、ひどい内装業者に当ってしまった、って事だけど、どこの家庭も似たり寄ったり、役所などの公共施設などのコンセントも曲がってるし、床のタイルが割れたり、浮いていたりする。
まともな建物が見当たらない、ビルと言っても、レンガの上に発砲スチロールを貼っただけだ。
だから、マンションなのに、下の写真のような建て増しが勝手に、簡単に出来る、鉄筋などないので、レンガを崩せば、すぐに建て増せる。
法律なんて無いに等しい。
路上に書かれた駐車スペースの白線もグニャグニャ。
でも、これを気にしている人など、いないのだろう、{ちゃん}とする必要がどこにあるのか、巾が狭過ぎて駐車出来ないなら困るけど、そういうことではない。
コンセントの位置がどれだけ曲がってても、壁にヒビが入っていても、床かがナナメでも、使えれば問題ない。
騙されたら、騙されたほうが悪い。
みんなが{ちゃん}としない事を受け入れている。
日本人からしたら{ちゃん}としない事のひとつに、挨拶をしない、というのもある。
日本なら、同じマンションに住んでいれば、付き合いは無くても、会釈ぐらいはする、「いい天気ですね」ぐらいは言う事もある。
マンションの掃除人とも、顔見知りになれば挨拶するし、掃除のジャマになりそうな時は「すいません」と足早に通り過ぎる。
中国でそれはありえない。
夫婦でさえ、「ありがとう」も「ごめんなさい」も無い、夫婦や親子で、そんな事いうのは水くさい、と言う事らしい。
いただきます。ごちそうさま。そんな言葉、言葉さえ無い。
「あいさつぐらい、ちゃんとしなさい!」そう、教え、教えられて来た事が、全部否定される。
あいさつは{ちゃん}とするものではないらしい。
もう、常識が違うのだから仕方無い。
だけど、色んな事で困らせてくれるのも中国人だが、本当にイヤだ!ってなった時、助けてくれるのも、また中国人だ。
まあ、ここは中国なんだから、当たり前なんだけど、そういう社会なのだ。
日本のように、みんなが約束を守る社会は、ある意味楽だけど、ちょっと{ちゃん}とする事に疲れて、自分たちが{ちゃん}としすぎていて、{ちゃん}と出来ない人や国を受け入れられない。
だけど{ちゃん}と出来ない事が悪いことだという認識がない人とは、話がかみ合う訳がない。
「こんな社会だったらいいな」と思うのは、{ちゃん}としない事にやさしい社会だ。
ちゃんとする事はラクだ、ちゃんとしない人を正論で諭すのもラクだ、こっちはちゃんとしているのだから、なにひとつ弱みが無い。
でも{ちゃん}としない社会も、別次元にある、たまにはそこに行ってみるものいいと思う。
{ちゃん}としなくて困る事など、実はそんなに多くない。
社会が変えられないなら、自分に合った社会を見つけるのも手だ。
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