『漫画』の”実写化”を考える
先日、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』を観てきました。
先に一言、感想を述べておきますと、「よかった」です。
スタンドのCGも、わざわざスペインへ行って撮ったという街並みも、キャラクターの造形も、素晴らしかった。十分に楽しむことができました。
『ジョジョの奇妙な冒険』とは
『ジョジョの奇妙な冒険』というのは、もともと少年ジャンプで連載されていた漫画で、現在はウルトラジャンプに移行して連載が続いてます。
第1部から始まり、今は第8部が連載中です。各部ごとに主人公や舞台が変わっていくため、部によって結構ストーリーが変わってきます。
現在出ている単行本の数は、なんと119巻!
人によっては「生理的に受け付けない」レベルの濃い絵柄、とんでもなく特徴的なキャラクター達、独特の言い回し、名言の数々、人体の限界を越えたポージング・・・その中毒性の高さゆえに、カルト的人気を誇る漫画です。
私も初めてジョジョを知った時は、「絵柄がなんかイヤ」という理由で敬遠していたのですが、大亜門先生の『太臓モテ王サーガ』という漫画を読んで以来、あまりにジョジョのパロディが多いので「元ネタが知りたい」という気持ちで意を決して読み始めることに。(大亜門先生は熱烈なジョジョファンだそうです。それにしてもパロディが激しいぞ!おもしろいけど!)
その結果、どんどん数奇な運命の織りなすストーリー、キャラの生き様に引き込まれていき、すっかり『ジョジョの奇妙な冒険』の大ファンになりました。
そして、このたび映画化された『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』は、ジョジョシリーズにおける”第4部”。
舞台は日本、主人公は第2部の主人公「ジョセフ・ジョースター」の息子、「東方仗助(ひがしかた じょうすけ)」です。
※※※ここからはガンガン『第4部 ダイヤモンドは砕けない』のネタバレをしていくので、未読の方は先に読むことをおすすめします。※※※
第4部のメインストーリーを考える
『第4部 ダイヤモンドは砕けない』のはじめのストーリー、というか本格的バトルは、片桐安十郎、通称アンジェロと呼ばれる死刑囚に、主人公の仗助が目をつけられるところから始まります。
仗助の祖父は警官で、いわゆる「町のおまわりさん」です。正義感に溢れ、自分の住んでいる杜王町を愛しています。しかし、彼は昔、アンジェロを逮捕したために、仗助よりも先に命を狙われ、死亡してしまいます。
『ジョジョの奇妙な冒険』では、第3部から「スタンド」と呼ばれる、超能力が具現化した存在が登場します。仗助のスタンドは「クレイジー・ダイヤモンド」、能力は「壊れたものを元に戻す」ことです。つまり、他人の傷を癒やすことができる、とても優しい能力なのです。
仗助は倒れた祖父をスタンドで”治療”しますが、祖父はいくら呼んでも起きない。そう、彼の能力をもってしても、失われた命を戻すことはできなかったのです。
これをきっかけに、仗助は祖父のかわりに「この町を守る」決心をします。
そして、アンジェロとの戦闘に入るわけですが・・・私としては、この”アンジェロ戦”までは、あくまで導入だと考えています。
特に何の目標も持っていなかった仗助が、明確に正義の心に目覚めるきっかけとなる、大事な部分ではあるのですが、そこまでが導入。祖父の想いを継ぎ、アンジェロを倒すことで、はじめて主人公になった・・・と私は考えています。
本当のメインストーリーは?
アンジェロは当然のようにスタンド使い(スタンドという超能力を持つ者のことをスタンド使いと呼びます)なのですが、普通、スタンドというものは、よほどのことがないと発現しないものです。
アンジェロがスタンド使いになったのは、「学生服の謎の男に弓矢で射抜かれた」ため。このへん、原作ジョジョを知らないと意味不明だと思うのですが、要は”特殊な矢”に射抜かれることで、素質のある者はスタンド使いとして目覚めるのです。
つまり、スタンド使いアンジェロを生み出した存在こそが、黒幕ポジションになるわけです。
そして、その黒幕が、「虹村形兆(にじむら けいちょう)」という男。彼は”とある目的”のため、弓矢を使って様々な人間を射抜き、スタンド使いを生み出していたのです。彼自身も、スタンド使いです。また、弟の「虹村億泰(にじむら おくやす)」も同じく、スタンド使いです。
ジョジョ4部自体のラスボスは虹村形兆ではないのですが、序盤における黒幕は一応、虹村形兆となっています。
そして、黒幕あるあるですが、彼がスタンド使いを増やしているのには、深い事情があるのです。
彼と億泰の父親は、色々あって(このへんも原作読まないと説明がややこしいのでとばします)知能がほぼゼロ、記憶もなくした醜い化物となってしまったのです。しかも、おそろしいことに、億泰のスタンドで肉体を削り取ろうが、銃で撃とうが、すぐに再生してしまう。つまり、不死身の化物。
虹村形兆は、この「昔はよくオレたち兄弟を殴っていた、クソみたいな父親の成れの果て」を殺して、自分の人生を新たにスタートしたい・・・と考えているのです。
その「殺す決意」の中には、かつての父親にされた仕打ちに対する恨みつらみだけでなく、親子としての情も存在しており、まさに人間ドラマといった感じ。
私は、この虹村兄弟とその父親の関係こそが、序盤におけるメインストーリーだと思っています。
『実写映画版ジョジョ』の良いところ
人気アニメ、漫画を実写化!というと、ろくなことにならないイメージが強いように思います。実際、大ゴケしてる様々な作品が存在するわけですので・・・(デビルマ○とかドラゴ○ボールとか)
そういった実写版でコケた作品について考えてみると、大体「表面上のストーリーをなぞろうとしすぎて本質を見失っている」か、「キャラクターの名前だけ借りてストーリーは完全無視」のどちらかになってしまっているように思います。
その点、『ジョジョの奇妙な冒険』は、先程述べたメインストーリー、「虹村兄弟と父親の関係」に、きっちりと焦点をあてています。
前フリとしてのアンジェロ戦でも、原作にはない描写として、「虹村形兆とアンジェロが食事を共にする」シーンがあるのですが、そこでアンジェロが「俺の初めての殺人は俺の父親だった。お前も殺して欲しいやつがいるなら俺がやってやるぞ。父親なんかどうだ?」といった軽口を叩くのです。
虹村形兆の目的は「父親を殺す」こと。願ったり叶ったりな話じゃん、と思ったのですが、そこで虹村形兆はアンジェロを威嚇攻撃するのです。
これは、「お前ごときがあいつを殺せるなら俺はこんなに苦労していない」という怒りの表れ、と私は捉えました。俺にも勝てないお前が、俺の親父を殺せるわけがないだろう、という、強い怒り。アンジェロも、慌てて虹村形兆に謝罪します。
また、他にもちょくちょく、原作にはない設定や、オリジナルの描写が出てきます。そして、そのどれもが、「映画として流れをスムーズにさせるための、原作を壊さないレベルにおさえた最低限の改変」か「原作では深く描かれなかった部分を掘り下げて描いてくれたもの」になっていて、ファンとしては、もう垂涎ものでした。
”実写化”に願うこと
基本的に漫画やゲーム、アニメの世界を実写に持っていく、というのは、非常にハードルが高いことだと思います。
まず、見た目がリアルじゃない存在を、現実のものにしないといけない。
ジョジョなんて帽子と髪の毛が一体化してるキャラまでいますから、そこのところはどうするんだ!?と本気で心配しました。結果的にはきっちり再現してて爆笑でした。どうやって作ってんだアレ。
そして、何より、媒体を変えることの難しさ。
漫画も、ゲームも、アニメも、映画も、ストーリーを同じにすれば同じ作品になるか?というと、そうではありません。
ここだけはおさえないと「この作品を原作とは呼べない」という主要な部分をまず探し、それをいかにうまく表現していくか。表面や見た目をなぞるのではなく、ストーリーの根本的な部分、メッセージ性を理解し、かつ、ファンの心をくすぐる演出をいれていく。
もう、本当にとんでもなく難しいことだとは思います。思いますけど、それくらいやってくれないなら、実写化なんてしないでくれ・・・という気持ちが、私のオタク心にはあります。
なので、今回の『ジョジョの奇妙な冒険』の実写化は、正しく実写を目指してくれた良い例だったなあ、と思っています。
もちろん突っ込みたい部分も色々ありますし、正直いって原作読んでないとついていけないのでは?という部分も多く見受けられましたが、それでも素晴らしい作品だったな、と思います。
監督である三池崇史さんの作品だと、他にも『逆転裁判』という、ゲーム原作の実写映画を観たことがあるのですが、それも良い掘り下げ方をしてくれていて、すごく良かった覚えがあります。
あとやっぱり見た目の再現度がすごいんですよ。絶対実写化とか無理だろっていう見た目のキャラが完璧に再現されててめちゃくちゃ笑いました。
これからも実写化が続いていくなら、良質なのをどんどん作って欲しいなあ。クソわがままなオタクの願い。泥水でした。
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