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統合期のツインレイとしての感覚について

今まで萌ゆるゆるのほうでブログを書いていたんですが、noteとかはてブロのほうをおざなりにしまくっていて。汗

とりあえず、萌ゆるゆるや世明けのツインレイのほうでは自分なりの理論が成立したものを公開しています。

統合時期として、今の私がいるんですが、感覚といたしまして。
ほとんどツインレイの彼のことを考えたり、なんだりっていうこともありません。

意識的には違うことばっかり考えています。

もちろん、最近、ツインレイのメール相談も受け付け始め、お客さんがもう入り始めているので、そっちのことも考えたりもしています。

だけど、基本的にほとんどフラットな感覚を持っている。


実は、メール相談を受け付けて、それからメールを書くことになって。
自分の身にメール対応することでどんなことが起きているのかも感覚的にわかるようにななりました。

どうしてか、メール相談内容を読んでいる最中に胸がズキズキしたり、背筋がゾクゾクしたりするんですよね。あと向き合いたくない~と私が思ったり。

胸がズキズキするときは、その部分に何かしらのトラウマがあるとき。
背筋がゾクゾクするときは、たいてい何かしらのGOサインっていうか、それそれ! みたいなピンポイントを射抜いていることが多い。

向き合いたくない~ってときは、そこに闇がある。

メール相談を受け付けると、そうやって私自身も共感性を発揮して、同じように感じているみたいでした。

だけど、代わりに代償もあって。
そうやって体感を得るほどの受け取りをしていると、次にメール相談者のことが頭から離れなくなる。恋しているかの如く、頭から離れない。爆

相談者さんのエネルギーを受け取りすぎているのかなって感じです。

こりゃどうしたものかなと思って、ひとつひとつ、自分のなかに入り込んでしまった感覚を解消していく時間も必要となりました。

夜寝る前までには、すべてを解消し終わってから寝るように気をつけなくちゃいけないな~と思いました。


こういうメール相談でも、ひとつひとつ影響を受けたりしながら、私はやっていこうかなって思っています。

それから、実は私生活の方での友達がたいへんなことにもなっていて。
いろんな意味で、私の周囲が問題に溢れながらも、私は人の話を聞き続けている立場にいます。

寝る前にはなるべく、自分の手帳を開いて、引き寄せ内容を書くようにしています。
私が思う幸せではなくて、みんなが思う幸せに最終的には着地するように、自分なりに引き寄せ内容を書くようにしています。

あ、メール相談者さんにも同じように引き寄せ内容のひとつに組み込まれています。爆

メール相談者さんが来る=気持ちよく相談が終わってほしいっていうのは、お互いの願いだと思うんですよね。

この他者と自己の一致の部分をお願いごとにして、私は引き寄せを使っていこうと思います。


統合期っていうと、ツインレイの相手の感覚がわかるとか。
ツインレイの相手とシンクロするとかいうけど、うーん、私はまだ初期だからか? よくわからない。

なんなら、覚醒時期のほうがダイレクトにツインレイの彼側の状況がわかったかもしれない。

今は特に——だ。

覚醒時期では『自分』という概念を強め、統合時期は覚醒(自分)を踏まえ『共存』という概念を深めていきます。

ツインレイの覚醒時期の経緯・流れについて

こんなふうに私は覚醒時期と統合時期について触れているんだが、覚醒時期に関する『自分を確立させる』という感覚のとき、ツインレイの相手の感覚も、なんとなーくわかっていた。

そんな感じ。

ちなみに、この覚醒完了時期あたりに強烈に見続けていたナンバーは『彼のバースデーナンバー』と『2525』のセット。
この2つがずっとセットでやってくる。

だけど、今。ツインレイの彼とは分離している。
つまりなんだが、シンクロしないって感じなのかもしれない。

今までは、覚醒時期にて自立していく経緯では、常にツインレイの相手と同じ道を歩んでいくって感覚があった。

だけど、今はもう『同じ道』ではないんだと思います。

もう別々の道を歩んでいるって感じ。それでも、いろいろと「あ、彼がいいたかったことはこれのことなんだな。」とか、過去のことで回収するべき感覚を回収したりはしている。

その辺は過去の遡りも並行して行っているような感覚がある。

今は、ツインレイの彼を夢に見ることもないし、なんなら、自分の頭をよぎることもない。別のことを考えている時間のほうがとても長くもなりました。

だからといって、忘れたわけでもないし、こうやってnoteを書くぐらいのことは出来る。

執着と、心の違いかなって思います。

執着って相手も自分をも苦しめる。それが闇の意識なんだと思います。

だけど、執着から闇が抜ければ、心だけが残る。相手を想う心だけ。

その状態になると、なんでか「ありのままの今の現状でよい」というフラットな感覚になります。

このフラットな『現象を受け入れている状態』になり続けている今だからこそ、わかることもたくさんあって、今は彼のことをどこかで憎んだり、腹が立ったりすることもありません。

ふつうに「なつかしいな。そんなこともあったかな。」と思いだしたりしています。

これは、私がサイレント期間に出会った人たちに対しても同じです。

闇って本当のところで何かっていうと『死』なんですよね。
死ってなに? っていうと、時間が止まること。
ずっと、そのときのことを想い続けて時間を止めてしまうこと。

その引き金となるのが『闇』であって、闇って何? っていうと、過去への執着や未来への不安なんでしょうな。

そのふたつが『今』を『死』にする。

つまり、過去の思い出と未来の期待になったとき、私たちは今が『生』となる。

どうしてか、私が生きようとしていると、闇は私へ罪悪感や不安、恐怖を与えようとしてくる。

過去を思い出にさせたくない人たちもいるし、未来を絶望にさせている人たちもいる。

だけど、私は過去を思い出にかえる。未来を希望にかえる。

私は組み替えていこうと思っています。
それはやっぱり、私は生きているからなんだと思います。


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