村上、20歳、ヒッピーと学生自治区NFC。

久しぶりの更新になってしまった。

まぁそれも良いか、思いついた時に言葉を吐き出せるくらいの方が長続きすると思う。最近SPECTATORという雑誌の『ヒッピーの教科書』という特集を読んだ。

内容は本当に素晴らしく読みやすく、感動モノでした。
というかまだ途中。読み進めている道中でどうしてもこれが書きたくなってしまったので、寄り道しているといった具合だ。

ヒッピーといっても資本主義の中にいるのでどうしても最低限のお金が必要。
そんな彼らは昼からアルバイトに出かけ、それがない人は裸でヨガをしたり、詩を書いたり、山のてっぺんで凧揚げをしたりしていたという…。
そして彼らは夜になるとハウスに集まり音楽を楽しんだり、マリファナを吸ったりした。

そこでピンときた。これに似た経験をしたことがある。と。

村上が18〜23歳の頃。村上はとある芸術大学に通っていた。
そんな母校には数年前には確実に存在した『ユートピア』があった。
そこでは時間の概念も、人生への焦りもなく、人とカルチャーが集まる場所であった。とにかく面白いこと以外したくない人たちが堕落の極みを送っていた。
その名も、『学生自治区』。

『学生自治区』

ここでは大元の法律は大学側にあるのだが、法令は学生が作った。
そう、だから学生自治区なのである。そこにユートピアはあった。

ロン毛やひげの風体は当たり前、民族衣装に身を包むものや、宗教サークル、自己啓発サークルすらも学生自治区は受け入れ、部屋を差し出した。
これが思想、表現の自由。壁の落書きはこうだ。『勉学とは後退のことである』。
そんな学生自治区の軽音楽サークル、とりわけアクの強いところに村上は所属していた。

しかし、そこには確かに『文化』があった。

村上はそこでフォークソングを知り、AKIRAを知り、授業以上に価値観を学んだ。
そして数ヶ月に一度、朝が来るまで音楽を演奏する会が開かれ、そこで語らい、経験し、飲酒し、喫煙し、とにかく法の範囲内で遊んだ。

村上がそこで知り感銘を受けた曲。教えてくれたのは「ヘドラ」という男だった。

まさしくそこはマリファナのないヒッピーハウスであった。
本当に一年中そこに住みつくものもいた。隠毛をレインボーに染め、女性部員から全ての縁を断たれた男もいた。裏のため池に飛び込みヒルまみれになった者いた。

とにかく意思のあるものもないものも一堂に集まり、音楽やおしゃべりや恋愛、その他を楽しんだりした。時にはフリスクを鼻から吸って鼻血を出したこともあった。とかくタバコの煙の向こう側にはなーーんにもなかった。本当になーーんにもなかった。

貧乏すぎて水飲み場の水とコンビニの廃棄弁当だけで1日を過ごし、みるみるやつれていったこともあったが、そこで学んだことは今思えば、お金で経験できるもの以上のものがあった。

そんな時にできた花柄ランタンの曲がこちら。

○●○

あの時の体験は本当に素晴らしかった。
そして、無知で蛇足の極みであった。
人はそれを「学生ノリ」と一蹴したであろうが、胸を張って言える。

あの学生生活は村上の人生に燦然と輝く『醜態』であり、涙が出るほど美しい日々であったと。

とは言えなんだ、いいことばかり書いたが悪いこともあった。
強くひん曲がった感性は十分に村上の人生を変えた。しかしまぁこれがなければ、これを読んでいる大半のあなたにも会えていなかったわけだ。

売れるも売れないも、会えるも会えないも、思うも思わないも全て偶然。

ただのラッキーだ。

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