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minimal 支配の諸類型

🖋Pdf版もございます。

 ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーは、1864年にプロイセン王国の上流階級の家の長男として生まれました。十代の頃から研究者のように自分で資料を集めて論文を書いており、社会、宗教、経済、政治をテーマにした多くの論文を遺しています。どちらかといえば明るい性質だったようで、ユーモアも楽しめる人物だったそうです。
 彼の主著は、どのテーマであっても現実的な物の見方と観察に基づいた主張が一貫しています。分析や分類が細部まで現実的で、なにを解明するにしても現実問題から決して離れません。たとえば多くの理論家は「ケーキを半分にして片方だけを食べると、もう半分は残る。毎回ケーキを半分だけ残せば、食べ続けても永久にケーキは無くならない。しかし実際にはある程度小さくなったケーキは半分に別けられなくなるので、ケーキを永久に残し続けることは不可能である。」と理論を説明した後に、その内容の受け入れて然るべき部分と、否定されるべき部分を補足します。しかしM.ウェーバーの理論は、他の学者の理論とは異なり、現実問題だけを説明して空想問題を取り沙汰しません。その弊害で、生きた時代の社会情勢を細かに組み立てた理論は、社会情勢が変わった時代では読んでも仕方無しと思われてしまう中身にもなっています。いま知られている「支配の諸類型」も、なかなか歴史の趣が深い出版物です。それでいて、興味深い研究内容が綴られた書物としてカルト的な人気を集めている珍しい社会学書でもあります。
 M.ウェーバーは「支配の諸類型」で、支配を3分類(合法的支配伝統的支配カリスマ的支配)に分けました。一般に支配と想像されるような、強制力のある雇用関係や、影響力が生じる主従関係などはM.ウェーバーのいう支配になりません。M.ウェーバーのいう支配では、支配の正当性を認めた服従者が、支配者の支配に服従する利害に関心を寄せて自らの意思で支配に服従しています。支配者は服従者を支配しますが、服従者が服従しているのは支配そのものなので、支配力は支配者ではなく支配そのものにあります。
 古代中国で起こった宦官による国家支配は、国家権力の幹部である宦官が国家の利益を握った合法的支配です。合法的支配では、国家のような支配の本体に勤務する者が、勤務上の知識によって支配の本体(国家内)で支配力を高めます。その者たちは支配の広告塔として、支配に服従した者が支配から得られる利害を知らしめます。大勢を服従させている支配では、利害を広告する服従者の存在が支配を継続させます。
 また、イスラム教徒のシーア派に代表されるような、代々引き継がれた信仰と支配者の権威が結びついている伝統的支配では、支配者は服従者の利益を生産させる役割を担っています。支配者と服従者は、頭と四肢の関係で一体です。支配を間違えた支配者は、服従者によって頭を挿げ替えられる可能性があります。支配者であっても伝統に違反することは許されず、イスラム教では、開祖のムハンマドがイスラム教の法を犯して幼女と結婚した事実が未だに問題になっています。支配者の支配は服従者が伝統に支配されているあいだ継続されて、支配者が伝統に逆らわずにいれば支配は永続になります。
 以上2つの支配に反目するのが、カリスマ的支配です。カリスマ的支配は、専門的訓練では身につかない能力をもったカリスマによって、反伝統的な改革が行われます。カリスマ的支配者はカリスマが承認されている範囲内で支配を行い、そのカリスマ的素質によって得た利益を服従者に分配します。ローマの五賢帝時代はまさにカリスマ的支配が行われた時代で、五人の皇帝が継続してカリスマ的支配を行っていました。カリスマ的支配は最も継続させることが難しい支配で、支配は支配者のカリスマによって支配力が維持されなければならず、カリスマのある人物が支配者に選ばれなければ支配力が途絶えて支配を継続させられません。過去のカリスマ的支配は、後継者を世襲させようとする支配者によって伝統的支配に変化させられたか、或いはカリスマ的支配を終わらせようとする服従者によって合法的支配に変えられてしまい崩壊しました。ローマの五賢帝時代のカリスマ的支配も、一代から四代までの賢帝はカリスマのある人物を後継者に選ぶことに成功しましたが、五代目の賢帝が後継者選びに失敗してカリスマ的支配を崩壊させました。
 M.ウェーバーは支配を3種類に分類して、社会の実情を的確に言い当ててみせました。
 「支配の諸類型」は、支配を解説し尽くしたM.ウェーバーのとても詳しい研究内容を詳細に読むことができる専門書です。社会でおこなわれる支配についてとても詳しく記述されています。しかし「支配の諸類型」を手に取る殆どの人の興味は、M.ウェーバーが分類した3種類の支配を知ることではないでしょうか。これほど専門的な社会学書を多くの一般の人たちが興味本位で手に取るのも、知りたいことがM.ウェーバーの本にしか情報がないからでしょう。M.ウェーバーの研究内容は特有なもので、ほかの誰も唱えなかった常識で支配を説明したので、それを知るにはM.ウェーバーを勉強するしかありません。みなが知りたいことを形式にしただけでなく、その知識を独占しているカッコ良さと、惜しげも無く全てわかりやすく解説してくれる面倒見の良さには、研究者の人柄が表れています。知りたいことと同じくらい、知らせてくれる人も重要です。選べるのなら、少しでも気前の良い人から教わりたい。こちらが抱くよりも前に親しみを抱いてくれる人であれば尚更有難い。読み物であるなら、そうした心持の分かる人が書いたものが親しみやすい。そうした読み手の要望を汲み取った心遣いが表れているのか、「支配の諸類型」は専門的な中身の如何に関わらず広く多くの人の手に取られています。親しみやすさが無いといわれる専門書であって手強い理論と裏腹に人を惹きつけている異端の社会学書です。

「minimal 支配の諸類型」完

©2024陣野薫


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