見出し画像

意味が豊かになる

自分の名前に使われている漢字には「葉」を意味するものが入っているらしい。
それを知ったのはつい最近の話だ。(インターネットありがとう)
漢字は象形でもあるし、中国の発音を日本の似た音に当てはめて別の文字にするのは文化をまたいだ「あそび」があって面白い。

随分と長い間、自分の名前が好きではなかった。
堅苦しい感じがするし、主体性がなくて受け身っぽいと思っていた。型にはめられて自由がない気がして、とにかく何だか嫌だったのだ。

同じように、自分の誕生日も好きになれなかった。
幼いながらもどことなく理不尽さを感じていた。
何故兄もプレゼントをもらえるのか?兄の誕生日に私の分はないのに??
段々と世間や慣習について知るようになるとその仕組みが分かってきた。
学生の頃は友達と誕生日を教え合っても、みんな自分たちの事で忙しそうだった。気を遣われるのも嫌だし、関連付けて思い出させてしまうのも何だか申し訳ないので誕生日の話題を避けるようにした。

社会に出てからは、半額の売れ残りケーキや定番の料理が閑散としたスーパーで寂しげに陳列されているのがどうしても気になってしまった。
みなさん本番は今日ですよ‥まぁお安く買えるからいいんだけどさ‥と斜に構える嫌な奴だった。

でも、ある年、街ですれ違う人々がいつもより楽しそうなことに気づいた。
物事を都合よく解釈するのは得意な方なので、それに気づいたら今までと見え方がガラッと変わったのだ。
世界人口の約三割くらいは割とハッピーな気分でこの時期を過ごしているんじゃないか?ということ。ケーキの種類がきっと一年で一番多いから眺めるだけでもワクワクするし、毎年違った味を楽しむことができること。街が煌びやかで(私の為だなとひっそりと思っても)良いこと。何なら世界各地で私の事をお祝いしてくれてるじゃん、という妄想もアリだ。
世界中がしょんぼりしているよりも、少しでもハッピーな雰囲気の中で生まれることができたなら、それが何よりのプレゼントだな、とスッと腑に落ちた。

さて、先述の名前の話に戻る。
好きではなかった自分の名前だが、流れに任せる、という意味で捉えたら生きるのが楽になるかも、と思えたのだ。
変に頑なにならず、どこにたどり着くか分からないし、思いっきり遠回りをしているかもしれないけど、どことなくスリリングで実はとても自由なのではないか。「時間」という流れが自分の中にしっかりとある感じもする。

「葉」には紙などの薄いものを数える際に使われたり、書籍に記されたものを意味するようだ。
また、古今和歌集に記された「ことの葉」の葉は「たくさん」を意味する。

色付いた葉が舞った先 着水した想いを
川は受け取って僅かの間、共に旅する。
水に意味が溶け込んで、それが雨になって木に戻り、また芽吹く。

意味を見出すことなら、できる。
可能なら、一つでも多くの意味を見出しますので
その木がもっと茂って心地よく葉を揺らし
人々の癒しと喜びになりますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?