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オイルのようにゆっくりと

わたしの人見知りは、全くの初対面の人にはそうでもないが
2回目以降に会うと途端にひどくなる傾向がある
特に対面での会話は頭の中でもう1人の自分が常にうるさい

この言葉の意図はあの時の返事だろうな、こう切り返したらどう思われるだろう、やっぱり今の言い方は良くなかった、話の軸が移ったのは何でだろう、あ、さっき言ってた次のテーマはこれなんだ、いいパスがきてる気がするけどどこまで伝えたらいいんだろう、本当に伝えたい言葉が怖気づいて出てこない、きっと間が合わないと思われているな、…など
会話に集中できないまま、帰り道の反省会でまた自分とばかり話をする

だからつい対面しなくていい文字に頼ってしまう。

けれど、そんなわたしがもし誰かの何かに一瞬でも影響したとしたら
それを伝えなかった世界とは違う未来になっている可能性はあるだろうか
そしてまた別の誰かに知らないうちに影響していくとしたら

違う話をしていたとしても同じ未来だったろうか
あの日あの話を選択してくれた理由をわたしは知りえない。

動いていくガラスのオブジェクトは
時に自分が欠けたり他を傷つけてしまったりもする
またその接触は火打ち石のように互いの鋭い閃きとなることもあるだろう

わたしは自分の閉じている世界を内側から少しずつ引っ掻いて
針の穴のような光を取り込みたい
光がなければオブジェクトのきらめきに気づけない

外側には光があることを教えてくれた人がいる。

見えるものや感じたことを怖がらずに話してもいいと
受け入れてくれる人たちや場所が、今はあることを知ることもできた
何の枠にも当てはめず、その場にいる瞬間だけを見てくれているようで
とても うれしかった たのしかった

オイルの中を漂うオブジェクトのように
そんな時間をもっとゆっくり味わえたらいいのに。

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